伝記『ヌレエフ』の翻訳の検討

『ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影』(Bertrand Meyer-Stabley著、新倉真由美訳、文園社)と『ヌレエフとの密なる時』(ローラン・プティ著、新倉真由美訳、新風舎)の誤訳と改変。『バッキンガム宮殿の日常生活』(Bertrand Meyer-Stabley著、新倉真由美訳、文園社)の一部も対象

2017.01.07
『ヌレエフ』を出版した文園社はもうない?
2016.12.18
エリック・ヴュ=アンを昇進させやすくするためのルグリ昇進
2016.06.16
既存の指摘記事の手直し
2015.06.16
ブログ公開3周年
2015.06.06
王室は任命の実権を持たない

『ヌレエフ』を出版した文園社はもうない?

文園社の異変

もう数ヶ月も前のこと、とても久しぶりに文園社の新刊紹介ページを見に行きました。新倉真由美の4冊目の翻訳本が出ないとも限らないので。そうしたら、「www.bunensha.co.jp という名前のサーバが見つかりませんでした。」というエラーメッセージが返りました。JPRS Whoisサービスでドメインbunensha.co.jpの状態を調べたら、その時点では他の正常なjpドメインと同じく、Connected(接続済)でした。しかし12月下旬にはTo be deleted (削除予定)となり、新年を迎えた今やDeleted(削除済)。

文園社の雑誌「バレリーナへの道」を日本アマゾンで検索したところ、2015年12月発売のVol.103を最後に発売が止まったようです。まだ残っている公式ブログである『バレリーナへの道』BLOG(http://balletrinanomichi.blog.fc2.com/)は、2015年4月に載ったVol.101発売のお知らせが最終更新です。2015年1月にはVol.100発売について、

練りに練った企画がよかったのでしょうか、有難いことに、年明け早々、100号のご注文を着々といただいております。

と意気揚々と書いていたのに。

不思議なことに、日本アマゾンでは文園社の新刊を今も注文できるし、「入荷予定あり」も珍しくありません。出版社が消えても在庫は残るとはいえ、小規模そうな文園社の在庫なんてたかが知れているでしょうに。まあ、入荷予定が数冊かそこらという可能性もあります。

最近の文園社の動向についてはネットで記述が見つからず、真相が分かりません。『ヌレエフとの密なる時』を出版した新風舎が倒産についてあちこちで書かれているのとは対照的です。文園社は新風舎ほど周りに迷惑をかけず、ひっそり解散したのでしょうか。

肩の荷が少し下りたかも

『ヌレエフ 20世紀バレエの真髄 光と影』と『バッキンガム宮殿の日常生活』も、今も日本アマゾンで新刊を買えます。でも、どちらも今後印刷されることがないのなら、胸が少し軽くなります。あんなでたらめな本が詳細な歴史本であるかのように国内に撒き散らされるのは耐え難いですから。

それでも今のところ『ヌレエフ 20世紀バレエの真髄 光と影』は、ヌレエフの生涯すべてを書いた唯一の日本語の伝記。だからヌレエフに興味を持った人の気を引くはずだし、すでにかなり多くの図書館にあるでしょう。現に東京都23区のうち、実に16区で区立図書館の蔵書となっていますね。私がかつてクラヲタとしてよく通った東京文化会館音楽資料室で開架図書なのには、聖地を汚された気すらします。『ヌレエフ』が一冊残らず地上から消え去るのは難しく、新たな読者は今後も少しずつ生まれるでしょう。私のブログの内容がそのほんの一部にでも届くように、保守の必要はまだありそうです。

ちなみに、『バッキンガム宮殿の日常生活』を区立図書館の蔵書にしている東京都23区の数はなんと19。ダイアナ人気を当てにした2002年の原書を2011年に邦訳出版という時期外れな本に、それほどの要望があるとは思ってもみませんでした。ダイアナやチャールズ一家のページ数が多いとはいえ、王室の生活全般を取り上げているのが有利に働いたのかも知れません。実際、原本の段階でいい加減でなければ、あの広範囲な記述は力作たりえたでしょうに。

エリック・ヴュ=アンを昇進させやすくするためのルグリ昇進

『ヌレエフ』P.260:
ベジャールによれば彼はバレエの責任者とオペラ座の最高顧問アンドレ・ラリックに、何度もエトワール指名について提案を行っていた。そのためプルミエ・ダンスールに配属されていたマニュエル・ルグリのエトワール指名も気まぐれで行われたのではない。
Meyer-Stabley原本:
Selon la version Béjart, à plusieurs reprises le chorégraphe suggère à l'administrateur de la danse et au président du conseil d'administration de l'Opéra, André Larquié, la nomination du danseur comme étoile et, pour que la chose n'ait pas l'air d'un caprice, celle également de Manuel Legris, un premier danseur distribué dans son ballet.
Telperion訳:
ベジャールの説によると、この振付家はバレエの管理担当者とオペラ座理事長アンドレ・ラルキエに、このダンサーをエトワールとして任命することを何度も提案した。そして、ことが気まぐれの雰囲気にならないようにするために、彼のバレエにキャスティングされたプルミエ・ダンスールであるマニュエル・ルグリの任命も。

エリック・ヴュ=アンへのモーリス・ベジャールの肩入れについて。そしてベジャールがヴュ=アンとルグリのエトワール任命を決行したことで、ベジャールとヌレエフが激突することになる。

ヴュ=アンの存在感が薄い新倉真由美訳

ルグリ任命はまだ提案段階

新倉真由美訳では、ベジャールが提案したのは「エトワール指名について」のみ。しかし原文を見ると、"le chorégraphe suggère"(この振付家は提案した)に続く目的語は、接続詞et(および)で結ばれた次の2つ。

la nomination du danseur comme étoile (エトワールとしてのこのダンサーの任命)
celle également de Manuel Legris(マニュエル・ルグリのそれもまた)

新倉訳ではベジャールはエトワール任命について何かを提案しながらルグリ任命を遂行したように見えるが、実際にはルグリの任命も提案しただけの段階。

ベジャールはヴュ=アンを名指しで推薦した

ベジャールの最初の提案が"la nomination du danseur"(このダンサーの任命)なのにも注意してほしい。danseurは一人の男性ダンサー。その前にduが付いていることから、danseurには定冠詞leが付いている。つまりこのダンサーは誰なのか特定された一人だと分かる。この記事で引用した部分の前に、ベジャールがオペラ座で公演する作品2つでヴュ=アンを起用したとある。だからこのダンサーがヴュ=アンなのは明らか。

新倉真由美の「エトワール指名について」だと、このエトワール指名がヴュ=アンのものだと分からない。特定のダンサーにかかわらない一般的な提案のように見える。

ルグリ任命はヴュ=アン任命を有利に運ぶため

原文ではルグリの任命を持ち出す前に次の語句がある。

pour que la chose n'ait pas l'air d'un caprice, (ことが気まぐれの雰囲気にならないようにするために)

"pour que ~(文)"とは「~のために」という目的をあらわす言葉。この場合はベジャールがルグリの任命を提案した目的だと見当が付く。

当時ベジャールがヴュ=アンに目をかけているのはあからさまだった。ヴュ=アンだけのエトワール任命を提案すると、ひいきのダンサーへの単なる執心扱いされ、まともに取り合われない危険があったのではないだろうか。そこでやはり期待が高いルグリの任命も提案することで、客観的に才能を評価したゆえの推薦だと受け入れてもらいやすくするというのが、ベジャールの意図だったのだろう。

新倉真由美が"pour que"(~のために)を無視したために、「気まぐれで行われたのではない」がベジャールの思惑というより実際の出来事に見えてしまう。先に書いた問題点との相乗効果もあり、ルグリの任命がベジャールにとって比較的軽いと新倉訳から読み取るのは難しい。「お気に入りのダンサーのエトワール指名を出し抜かれた」という触れ方といい、新倉真由美にとってこの事件でのヴュ=アンの存在感は軽いのではないかと疑わしくなる個所ではある。

ルグリもベジャールの新作に配役されていた

ルグリの説明である"un premier danseur distribué dans son ballet"にあるdistribuéは、バレエ関連の文では「配役された」という意味。公演におけるダンサーのキャスティングを説明するときにはおなじみの単語。だから"distribué dans son ballet"(彼のバレエで配役された)とは、彼、つまりベジャールのバレエでルグリが役を与えられていたという意味。

実際、ルグリはこのときベジャールの新作バレエにキャスティングされていた。なぜか新倉本では作品名が出ていないが、原本にはこの作品はArepo(『アレポ』)と明記してある。パリ・オペラ座の公演記録サイトMémOpéraには、Arepoが初演され、ベジャールがヴュ=アンとルグリをエトワールに任命した公演の記録も残っている。そこでArepoのDistribution(配役)の項を見ると、ヴュ=アンの名もルグリの名もあるのが分かる。

原著者のミス - ルグリはプルミエ・ダンスールではない

パリ・オペラ座バレエ好きには広く知られていることだろうが、ルグリの説明にある"premier danseur"とは、パリ・オペラ座バレエでエトワールに次ぐ階級。しかし当時のルグリはプルミエ・ダンスールのさらに一つ下の階級であるスジェだった。ルグリは後にヌレエフの意向でスジェから一気にエトワールに任命されるので、プルミエ・ダンスールだったことはない。

アンドレ・ラルキエの地位は新倉真由美の想定より恐らく高い

役職の訳語を見つけるのは私の最も苦手な分野。アンドレ・ラルキエの役職はやむを得ず日本語で書いたとはいえ、これが適訳という自信はない。ただ、気づいた点を一つだけ書いておきたい。

conseilは「顧問」という意味がある言葉だが、"conseil d'administration"の意味は「取締役会」。企業でないオペラ座でこの言葉をそのまま使うわけにはいかないが、最上位の意思決定機関のようには見える。ラルキエはそのprésident(議長、代表取締役など)。

エトワール任命を執り行うオペラ座総裁(directeur de l'Opéra)との違いは分からないが、ラルキエはオペラ座の最高責任者のような地位であり、顧問より権力の中枢に近いように思える。ベジャールがエトワール任命を提案する相手として選ぶのも理にかなう。

この記事は過去記事と他ブログの記事の統合版

この記事は、このブログの別記事と他ブログの記事と内容が重なっている。2つの記事が生まれた時系列は次のとおり。

  1. ここで取り上げた原文と新倉訳の一部について、私がブログ「三日月クラシック」のコメントに投稿
  2. 「三日月クラシック」の作者ミナモトさんに記事「『光と影』原文比較1」(http://lunarudy.blog41.fc2.com/blog-entry-613.html)からで私のコメントを取り上げていただく
  3. 私がこのブログで残りの部分を記事ベジャールが昇進させたいのは主にエリック・ヴュ=アンにする

このため、1つの原文についての指摘が2つのブログにまたがり、全容がつかみにくかった。しかも少し前に「三日月クラシック」が非公開になっているのに気づいたため、読みやすさのために2つの記事の対象個所を1つにまとめた記事を新たに書いた。

追記: ただし、2017年になってから「三日月クラシック」は再公開された。

既存の指摘記事の手直し

公開3周年記事の後、新規記事なしで1年経過。ブログどころか、ヌレエフとパリオペの新着ニュースから離れていた時期もありました。その間に新倉真由美の4冊目の翻訳本が誕生しなくて幸いでした。そんなものを数か月放置する結果になったら、たとえその後で追いついたとしても後味が悪すぎます。有限不実行で恥ずかしいので、この記事のタイトルは「ブログ公開4周年」にはしません。

記事を読みやすくする努力は続けたい

『ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影』が日本中の図書館から消え去ればとても嬉しいのですが、それがかなうのは現実的ではありません。それどころか日本アマゾンで新品を手配できるという始末。だから対訳を用いた問題指摘記事は存在意義をまだ失っていないと思います。このブログに来る人は、ヌレエフやパリオペについて検索していてたまたま来ることが多いと私は想定しています。そういうライトな読者にも分かりやすい記事であるように、手入れを続ける必要はあるでしょう。カテゴリ「思うこと」のような感想記事なら、不慣れな昔を懐かしむだけでもよいのですが。

一番気になるのは既存のヌレエフ記事の見出し

最近は閲覧デバイスとしてスマホがPCより普及したので、本文を読むにはまずタイトル一覧の段階で興味をそそられなければなりません。通りすがりの人にも「この本をうのみにはできない」という印象を残すには、タイトル一覧だけでも問題がもっとはっきり分かるのが理想でしょう。たとえばの話、「プティ・ラットの意味」より「プティ・ラットはコールド・バレエではない」のほうが親切です。

比較的新しい『バッキンガム宮殿の日常生活』記事はタイトルが以前より雄弁だと思います。でも2冊のヌレエフ本の記事は、その点大いに不満なものが多くあります。タイトルだけでなく記事の小見出しも同じ。いいタイトル、いい小見出しを追及すると、本文にも手を入れる必要が生まれることが多く、記事によっては書き直しはなかなか大変です。それでも、今年のゴールデンウィークに『ヌレエフ』指摘記事カテゴリの新しめの記事に少し手を入れました。昔ほどこのブログに手を入れられない現状は認めざるを得ませんが、今後も完全放棄はしたくありません。

優先順位を下げざるを得ないバッキンガム記事

新規記事のネタには困らない『バッキンガム宮殿の日常生活』。でも1年前も書いたとおり、「この本を放置したら数々のデマが拡散する」という危機感はあまりありません。それにこれの指摘記事は書いたのが比較的新しいので、まだ甘い目で見てしまいます。もったいないことですが、放置が続きそうです。誤訳とフランス語に興味がある人にはこれほどお奨めな本も少ないでしょうに。

でも既存記事について、対策を打つべきと思っている点が1つあります。私は過去に王室の知識を得るために公式王室サイトhttp://www.royal.gov.ukにとても頼りました。ところがいつの間にか、王室サイトがhttp://www.royal.ukにリニューアルし、royal.gov.ukドメインへのリンクがすべて切れたのでした。しかも今のサイトは写真がやたらと多い一方、説明を見つけるのが難しくなりました。チャールズ1世が5人の議員を逮捕しに下院に押し入った話も見つかりません。ステートルームのバーチャルツアーも、自分で視点を設定できないYoutube動画に置き換わった模様。royal.gov.ukからのリンクをroyal.ukからのリンクに書き直すことが可能な個所はすべて書き直したいものですが、駄目な場合もあるでしょう。そのとき、王室サイトほど信頼性がある別な情報源が見つかるかを考えると、頭が痛くなります。

ブログ公開3周年

今日で3周年を迎えました。でも最近はろくに更新していなくて、歯がゆい気持ちです。1月から長引いていた咳と3月の花粉症のダブルコンボに会い、しばらくはとても文章を書けない状態だったのが発端でした。復調した後も、崩れた記事書きリズムを立て直すのはなかなか難しい。そろそろ他のことにも目を向けたいし、3冊それぞれに指摘記事作成には困難があります。でも、まだできることは少しはありそうです。

『ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影』指摘の課題

記事を書く困難さ

年明けと6月の節目記事でいつも書いているとおり、「私の解釈のほうが正しいという確証が足りない」「取り上げるには小さすぎないか」という迷いが原因で記事にしていない個所の多さにじりじりしています。

原文をすべて辞書で調べるほどの気力を持てないのも心残りです。原文と新倉真由美の文を読み比べたとき、構文解析が正しそうで、新倉文に矛盾が見られなくても、新倉文が正しい訳だとは言い切れません。frileux(寒さに弱い)をfurieux(怒り狂った)と読み違えただけでとんでもない誤訳になる例もあるので。ああいうのを見過ごしていなければいいのですが。

今できそうなこと

ブログで取り上げている3冊のうち、実力が及ぶ限りのことはしたと一番思えるのがこの本です。今後するのは、ボツ箱カテゴリ向き(新倉文はどう見てもおかしいが、正しい訳を確定できない)に少し追加するとか、記事にするに足る問題だと思い直した個所を取り上げるくらいでしょうか。

『ヌレエフとの密なる時』指摘の課題

記事を書く困難さ

プティの原文が難しくて、どういう意味だか見当が付かない個所がいくつもあります。そういう個所は新倉訳を読んでも、「原文をこう解釈するのはとても無理があるけど」と思いますが、それだけで記事にはできません。

今できそうなこと

目下のところぜひともやりたいのは、初期記事の書き直し。内容を端的に説明した見出しを付けるだけでも、斜め読みで要点をつかみやすくなりそうな記事は、あちこちにあります。この種の書き直しのとき投稿日は変更しないので、新着記事にはなりませんが。

他2冊だと「取り上げるには小さすぎないか」と迷う誤訳でも、『密なる時』なら記事にしていいかも知れません。原本はとても薄い本だし、私が意味をしっかり理解できる個所は限られます。すべて書いても、大して煩雑にはならないでしょう。

『バッキンガム宮殿の日常生活』指摘の課題

記事を書く困難さ

これはヌレエフ本2冊と違い、記事にできるくらい大きな誤訳がいくらでもあります。最近更新が伸び悩んでいる理由は、投稿リズムが崩れた以外には2つ。

  1. ヌレエフ本の記事を圧倒する量にしないためには、ヌレエフ本にあれば取り上げた誤訳でも、見送る必要がある。選別はとてもストレスがたまる作業。
  2. ヌレエフ本と違い、英国王室本は何冊も現役出版中。英国王室について熱心に知りたい読者がフランス人の著作『バッキンガム』を選ぶ確率は、ヌレエフについて知りたい読者が『ヌレエフ』を読む確率より低い。私の記事の必要性も落ちるはず。
  3. 『バッキンガム』で意味が破綻した個所は『ヌレエフ」を上回る。私の記事を読まなくても、この本が信用ならないと気づく読者はかなりいそう。

今できそうなこと

でも、今の記事数74では、あの本のお話にならない品質を書ききれていないとは思います。あと数十増やしても、ヌレエフ本指摘記事の存在感は薄れないでしょう。ま、今は波に乗れなくて苦労しているので、数十増えるか分かりませんが。

記事数を増やすなら考えなければならないのは、記事のカテゴリ分け。どう分ければいいか頭を悩ませています。細分化し過ぎても煩雑だし、大ざっぱ過ぎても参考にならないし。

王室は任命の実権を持たない

『バッキンガム』P.73:
王室の遠隔操作による首相や知事など高級官僚の任命には、女王の手にキスをするという特別な計らいが伴っている。
Meyer-Stabley原本:
La nomination d'un haut fonctionnaire, depuis le Premier ministre jusqu'au gouverneur général d'un des lointains dominions de la couronne, s'accampagne d'une faveur, celle de baiser la main de la reine.
Telperion訳:
総理大臣からはるか遠くの英連邦加盟国の総督に至るまで、上級公務員の任命には、女王の手にキスをするという好意が伴う。

女王の公務とイギリス政府がどうかかわるかについての説明から。

新倉真由美の文の不自然な点

1. 王室が任命を操作?

イギリスは「君臨すれども統治せず」の元祖。現在、女王は行政機関が下した決定を追認することが多く、行政に自ら指図はしない。そのことは原本に散々書かれているし、王室本を読むほどイギリスに興味がない人でも耳にしたことは多いはず。しかし新倉本の「操作による」からは、誰が任命されるべきかまで王室が指図している印象を受ける。現状にそぐわない。

2. 女王が任命現場にいるのに「遠隔」?

「任命には、女王の手にキスをするという好意が伴う」という文から、任命の場で官僚が女王の手にキスをすると分かる。任命を宣言する文を読み上げるのも、恐らく女王なのだろう。これを「遠隔」と呼ぶのは解せない。

dominionは操作でなく加盟国

新倉訳の「遠隔操作による」に相当する原文の語句は"d'un des lointains dominions"。ラルース仏語辞典にあるdominionの定義は次のとおり。

Nom donné aux États indépendants membres du Commonwealth.
英連邦に加盟する独立国に与えられた名前。(Telperion訳)

原文にあるCommonwealthは英語で、日本語訳は「英連邦」。その加盟国とは、オーストラリアやニュージーランドといった国々。"d'un des lointains dominions"は「最も遠くの英連邦加盟国の」となる。

dominionは学習用の仏和辞典に載るような単語ではないだろう。でも、ラルース仏語辞典の他に仏語wikipediaにもdominionの項はある。決して調べが付かない単語ではないと思う。

gouverneur généralは知事でなく総督

先ほどの「最も遠くの英連邦加盟国の」が修飾しているのは"gouverneur général"。ラルース仏語辞典や仏語wikipediaに項がない分、難易度はdominionより高い。でも調べる手段はある。

出典1. 英和辞典

イギリスの役職と予想されることから、仏単語を英単語に直した"governor general"を英和辞典で引いてみる。「ジーニアス英和大辞典」にはこうあった。

  1. 《主に英》(英連邦・英国植民地の)総督
  2. (副知事・副長官など補佐役のいる大地域の)知事、長官

Meyer-Stableyの原文ラルース仏語辞典によるdominionの定義にはCommonwealth(英連邦)という英単語もあるのだから、"gouverneur général"は1番目の意味だと簡単に推測できる。

出典2. イギリス王室サイト

Meyer-Stabley原本に参考資料としてURLが載っているイギリス王室サイトは、実に情報豊富。このサイトで"governor general"を検索すると、あちこちで見つかる。たとえば、オーストラリアの"Governor-General"の説明はこう始まる。

The Governor-General is The Queen's representative in Australia. As such, he or she performs the same constitutional role in Australia as The Queen does in the United Kingdom.

総督とはオーストラリアにおける女王の代理人である。女王が連合王国で果たすのと同じ制度上の役割を果たす。(Telperion訳)

オーストラリアだけでなく、多く(すべてかも)の英連邦加盟国に一人のGovernor-Generalがいる。イギリスの行政に関する日本語の文献を漁れば、日本語でこの役職が「総督」と呼ばれていることが分かる。

総督職は実権こそないが高位

たとえばオーストラリアの政治や外交について語るとき、総督の言動は話題にならない。総督とは女王と同じく、実権のない名誉職なのだろう。とはいえ、「知事」から想像できるよりずっと高い役職だと思う。任命時に女王の手に接吻することを許されるのも納得できる。

更新履歴

2014/6/12
英単語Commonwealthは引用したMeyer-Stableyの原文にはなかったので修正
2017/9/4
オーストラリアのGovernor-Generalの説明文URLを公開当時のドメインroyal.gov.ukから現行ドメインroyal.ukに変更
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プロフィール

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Author:Telperion
バレエへの関心が芽生えたのは2011年1月。その翌月に読んだ『ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影』は、そんな新参の私から見ても、間違いや意味不明な記述が多すぎました。その原因のほとんどが翻訳のひどさだと気づいたことからブログ開設を思い立ち、今は同じ訳者による邦訳本3冊を取り上げています。詳しくはこのブログでしたいこと 第3版をご覧ください。
フランス語の学習を始めたのは『ヌレエフ』に出会う少し前。まだまだ知識は浅く、至らぬところもあるでしょう。お気づきのことはぜひ知らせてください。リンクはご自由に。

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