伝記『ヌレエフ』の翻訳の検討

『ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影』(Bertrand Meyer-Stabley著、新倉真由美訳、文園社)と『ヌレエフとの密なる時』(ローラン・プティ著、新倉真由美訳、新風舎)の誤訳と改変。『バッキンガム宮殿の日常生活』(Bertrand Meyer-Stabley著、新倉真由美訳、文園社)の一部も対象

2013.04.30
マッチョ好き説よりセレブ好き説を支持する原著者
2013.04.10
残ったのは意図的
2013.04.10
いちゃついたのは一晩中でなくパーティの間
2013.03.19
性欲を持て余したとは限らない
2013.03.06
FBIは通報される側の機関

マッチョ好き説よりセレブ好き説を支持する原著者

『ヌレエフ』P.178:
相手を物色するときに美学的な基準はなく、筋骨隆々の恋人たちを好んでいた。著名人に惹かれた一面を指摘する人もいる。彼の“征服した人びと”のリストにはキラ星のごとく輝かしい名前が連ねられている。
Meyer-Stabley原本:
« La beauté n'était pas l'élément qu'il recherchait dans sa vie sexuelle, rapporte l'un de ses amis. Il aimait des amants musclés, bien menbrés, sans critères esthétiques marqués. »
En revanche, on peut s'interroger sur l'aspect attractif de la célébrité dans le choix de ses amants, tant est longue la list de ses « conquêtes » illustres.
Telperion訳:
「美しさは彼が性的な生活で求めた要素ではありませんでした。際立った美的基準はなく、筋肉質でたくましい恋人が好きでした」と友人の一人は語る。
それに反して、彼の恋人選びにおける有名人の魅力ある側面について自問することができる。彼の著名な「征服」のリストはそれほどまでに長い。

ヌレエフが性的関係を持ちたくなる相手として、ここでは2つの説が出る。

  • ヌレエフはたくましい男が好き
  • ヌレエフは有名人が好き

2番目の説を出す前に"En revanche"(それとは逆に)という前置きを付けていることから、Meyer-Stableyは2つの説を相反すると見なしていることが分かる。

マッチョ好き説は伝聞として提示される

2つの説を誰が唱えているのかは、Meyer-Stableyと新倉真由美の文で異なる。

Meyer-Stableyの文
  • 「たくましい男」説を唱えるのはヌレエフの友人の一人
  • 「有名人」説を唱えるのは代名詞onで表される不特定の人びと
新倉真由美の文
  • 「たくましい男」説を唱えるのはMeyer-Stabley
  • 「有名人」説を唱えるのは不特定の誰か

Meyer-Stableyは「自分はこう思う」と明記していない。しかし、1番目の説を唱えるのが明白に他人なのに対し、2番目の説を唱えるのは不特定の人びとなので、そのなかにMeyer-Stableyが紛れ込むことは十分に可能。Meyer-Stableyは2番目の説に肩入れしていると思われる。

一方、新倉真由美の文では、Meyer-Stableyは1番目の説に肩入れしているとしか見えない。

原著者はこの後セレブ好き説の立証につとめる

引用部分の後、Meyer-Stableyはヌレエフと恋愛関係があったとされる有名人の名をいろいろ挙げる。しかもその筆頭は、ほっそりしていて筋骨隆々に見えないアンソニー・パーキンス。Meyer-Stableyが「ヌレエフは有名人が好き」説を信じているのはあまりにも明らか。新倉真由美の文はMeyer-Stableyによる力の入った例示と合わない。

私から見ると、Meyer-Stableyは「ヌレエフと有名人の誰それは恋愛関係にあった」という説に飛びつきすぎるきらいがあり、眉唾物も多いように思える。フレディ・マーキュリーについて否定的な人もいるのは「三日月クラシック」にあるとおりだし、イヴ・サンローランの場合など、根拠が薄いのをMeyer-Stabley自身が自覚しているようだし。しかし翻訳するなら、原著者の意見・論理はきちんと伝えるのが訳者の務めと思う。

2014/2/22
大幅に書き直し
2016/5/13
諸見出しを変更

残ったのは意図的

『ヌレエフ』P.166:
帰り道、高地にある別荘に戻るため一群は道をよじ登っていました。ルドルフは夢中だったので、狙いをつけた少年と共に暗闇の中に取り残されてしまったのです。
Meyer-Stabley原本:
Au retour, tandis que le group regagnait la villa perchée et grimpait les centaines de marches, Rudolf resta sur la jetée dans l'idée sans doute de s'attarder dans l'obscurité avec le garçon convoité.
Telperion訳:
帰り道、一行が高い場所にある別荘に戻り、何百歩もよじ登った一方、ルドルフは桟橋にとどまりました。恐らく、欲しくてたまらない若者とともに暗闇の中に長居することを考えたのでしょう。

フランコ・ゼッフィレッリに招待された客たちが夕食をレストランで取った後のことを客の一人が語る。

この証人は、ヌレエフが他の客とともに別荘に帰らなかったのは意図的だと見なしている。次の言葉選びからそのことが分かる。

  • ヌレエフがしたという動詞resterは自動詞「とどまる、残る」であり、「取り残される」ではない。
  • 「欲しい相手と暗闇の中に長居する」(s'attarder dans l'obscurité avec le garçon convoité)は、"dans l'idée de ~"(~という考えで)の後に来る。つまり、長居するのはヌレエフが考えたかもしれないこと。

相手が少年とは限らない

フランス語のgarçonは少年、青年のどちらも指す。新倉真由美はgarçonを「少年」と訳す癖があり、それが正しいかどうかは判別できないことが多い。一般論としては、ヌレエフが『ヌレエフ』から受ける印象ほど未成年好みだったとは限らないと言っておく。

この文に出るgarçonは、一人でゼッフィレッリに招かれていると思われる。もし保護者がついていたら、ヌレエフと二人きりにさせるとも、他の客と別荘に帰らなかったのに気づかないとも思えない。だからこのgarçonは青年だと思う。

2014/2/16
文法説明を少し増やす

いちゃついたのは一晩中でなくパーティの間

『ヌレエフ』P.166:
ルドルフは一晩中招待客の一人と人目も憚らずいちゃついていました。
Meyer-Stabley原本:
Mais toute la soirée Rudolf flirta ouvertement avec un invité.
Telperion訳:
しかしパーティの間中、ルドルフは客の1人と大っぴらにいちゃついていました。

フランコ・ゼッフィレッリがヌレエフを含めた招待客の夕食をレストランで手配したときの目撃談。

「夜」でなく「パーティ」と解釈するべき理由

問題なのは、"toute la soirée"( soirée全体)の解釈。仏和辞書にあるsoiréeの意味は次の3つ。

  1. 日没から就寝までの夜
  2. 夜のパーティ
  3. 夜の公演

この場合、夜の公演は問題外なので、単なる夜か、それとも夜のパーティかのどちらかになる。次の理由から、ここでは「パーティ」だと推測できる。

  1. ゼッフィレッリが企画したのは単なる夕食会であり、オールナイトなパーティではない。
  2. この後、他の客たちはゼッフィレッリの別荘に帰る一方、ヌレエフは暗闇に残った。一晩経った後なら、もう明るいはず。
  3. さらにその後、すでに戸締りがすんだ別荘にヌレエフが遅れて帰ったことが語られる。別荘に入れなかったヌレエフは怒って大暴れし、ゼッフィレッリに別荘から追い出される。だからこの目撃者がヌレエフを一晩中観察できたとは思えない。

たとえsoiréeがパーティでなく夜の時間を指すとしても、「soirée全体」と「一晩中」は同じでないだろう。先ほど書いたように、soiréeは就寝前に限定されるが、日本語の「一晩中」は夜明けまでを指すことが多いのだから。

談話主はゼッフィレッリの客だった

訳本ではこの話をしたのが誰かをまったく書いていないが、原本には談話の前にこう書かれている。

Meyer-Stabley原本:
L'un des invités, lui, s'en souvient :
Telperion訳:
客の1人がそのことを覚えている。

この人物はゼッフィレッリと共に行動する立場なので、ヌレエフのそばに一晩中居続けはしなかっただろうと推測できる。

更新履歴

2016/5/13
諸見出しを変更

性欲を持て余したとは限らない

『ヌレエフ』P.186:
常に肉体的な高揚感にブレーキをかけられず、その捕え難さに魅せられていたヌレエフは、すべてを放蕩に使い果たして性欲から健康を害し、燃え上がるような生命に許された時間は僅かと知りながら放埓な生活をやめられなかった。
Meyer-Stabley原本:
Toujours attiré par l'insaisissable, n'envisageant jamais de freiner ses élans charnels, Noureev ne cessera de faire les quatre cents coups, donnant à ses débauches toute la sensualité de ses ancêtres, faisant de sa sexualité un acte de santé, décidé à ne lui accorder que peu de temps de sa vie bouillonnante.
Telperion訳:
捕えられないものに常に引きつけられ、肉欲の勢いを決して抑制しようとせず、ヌレエフは放埓に過ごすのをやめず、先祖の官能すべてを放蕩に捧げ、性欲を健康的な行為とし、たぎるような人生のほんのわずかな時間しか許さないと決意していた。

原本と違う新倉真由美の訳

1. 性欲から健康を害したわけではない

「性欲から健康を害し」に対応する原文は"faisant de sa sexualité un acte de santé"。"faire A de B"は「BをAにする」なのを踏まえて上の部分を訳すと、「彼の性欲を健康の行為にして」。「ヌレエフにとって性欲を満たすのは健康維持になることだった」というような意味ではないかと思う。「健康を害し」という訳語を引き出すのは無理。

ヌレエフは性欲の結果としてHIVに感染したのだろうから、新倉真由美の文は事実ではある。でもここでそれを書くのは、Meyer-Stableyの意図ではなく、新倉真由美が「性欲」「健康」から連想したことに過ぎない。

2. 時間が僅かと知っていたわけではない

「燃え上がるような生命に許された時間は僅かと知りながら」に対応する原文は、"décidé à ne lui accorder que peu de temps de sa vie bouillonnante"(彼のたぎるような人生のわずかな時しかそれに許さないことを決意して)。つまり、僅かな時間しかかけないというのはヌレエフが自分で決めたこと。受け入れなければならない現実ではない。

時間を許されるべき「それ」(代名詞lui)とは、恐らく少し前にある"sa sexualité"(彼の性欲)を指す。

3. ブレーキをかけたかったとは限らない

「ブレーキをかけられず」に対応する原文は"n'envisageant jamais de freiner"(決して抑制しようとせず)。本当は欲望に駆られたくなかったようなニュアンスはない。

4. やめられなかったとは限らない

「やめられず」に対応する原文は"ne cessera"(やめない)。上と同じく、本当は放埓な生活をやめたかったというニュアンスはない。

5. 放蕩に使い果たしたのはすべてではない

ヌレエフが放蕩に捧げたのは"toute la sensualité de ses ancêtres"(先祖の官能すべて)であり、文字どおりの「すべて」ではない。私にも原文の意味は分からないが、Meyer-Stableyにはロシア人またはタタール人が色好みという先入観があるのかも知れない。

『ヌレエフとの密なる時』にある元の文

Meyer-Stableyはこの部分で、プティの『Temps Liés avec Noureev』にある表現をかなり借用している。プティが書いた文を『密なる時』の該当する訳、そして必要なら私の訳と共に載せる。

1. toujours attiré par l'insaisissable
プティ原本:
toujours attiré par l'insaisissable
『密なる時』P.61:
常に手の届かないものに心惹かれ
2. n'envisageant jamais de freiner ses élans charnels
プティ原本:
pas plus qu'il n'envisageait de freiner ses élans sentimentaux ou plutôt charnels,
『密なる時』P.58:
また、精神的な願望を抑制することもなく、肉体的欲求にブレーキをかけることとは、さらに無縁だった。
Telperion訳:
愛情またはむしろ肉欲の勢いを抑制しようとすることもなく、
3. faisant de sa sexualité un acte de santé, décidé à ne lui accorder que peu de temps de sa vie bouillonnante
プティ原本:
hygiénique comme on se lave les mains, ne lui prenait que peu de temps de sa vie bouillonnante.
『密なる時』P.29:
まるで手を洗うように淡白で衛生的であり、激情に身をやつすことはほとんどなかった。
Telperion訳:
手を洗うように衛生的で、彼にとってはたぎるような人生のうちわずかな時間しかかからなかった。
ここについては、記事「ヌレエフが性欲にかけるわずかな時間 」にささやかな解説がある。

このうち、3番目の項の前半部分「性欲を健康の行いとして」はプティの写しではない。しかしプティが使っているhygiéniqueには「衛生的な」の他に「健康に良い」という意味があることを念頭に置くと、Meyer-Stableyがプティの「手を洗うように健康的な」という表現を自分の言葉に置き換えたのだと推測できる。

Meyer-Stableyによるプティの文の借用に関する疑問

プティのいう「彼の性欲は手を洗うようなもので、わずかな時間しかかからない」という言葉は、「彼にとって性欲を満たすことはたいした意味を持たない」という意味に思える。プティはこの少し後に、「命を過剰に燃やす人間という表面的な見かけの下で、ルドルフは自分の人生に侵入する情熱の奴隷だった」(記事「命を燃やすのと情熱の奴隷になるのとの対比」より)と書いてから、ヌレエフの踊りへの情熱を語るし、他でも何度も「踊りこそヌレエフの中心」と主張している。

一方、Meyer-Stableyにとって、ヌレエフの性欲処理は踊りにひけをとらない重要な要素で、人生の大半をかけて追及したこと。「わずかな時間しかかからない」というプティの言葉は、多分Meyer-Stableyの見解に反する。最初の引用部分を見ても、「わずかな時間しか許さないと決めていた」は他の部分から浮いているように見える。

「Meyer-Stableyはプティが賛成しなさそうなことを書くとき、なんでプティの表現を使うかね?」と疑問を持つ個所はここだけではない。それについてはいずれ取り上げたい。(→ 13/3/26に記事プティの原文とMeyer-Stableyの引用の違いを作成)

2014/2/17
問題視した新倉真由美訳を明記

FBIは通報される側の機関

『ヌレエフ』P.229-230:
七二年にはなんの根拠もなくFBIの監視官が別の通報を行った。
Meyer-Stabley原本:
Une autre alerte, sans aucun fondement, relancera la surveillance du FBI en 1972.
Telperion訳:
別な警報で原因で根拠もなく、FBIの監視は1972年に再開される。

FBIがヌレエフにソ連のスパイという疑惑をかけたことについて。

原文は「主語 + 述語 + 目的語」という単純な文に、"sans aucun fondement"(何の根拠もなく)が加わったのみ。

主語
Une autre alerte (別の警報)
述語
relancera(再開する)
目的語
la surveillance du FBI (FBIの監視)

「別の警報がFBIの監視を再開する」とは、この少し前に書かれたメモの通報と同じような外部からの警報が、監視再開の原因になったということだろう。FBIは通報を受け付ける機関であり、FBIから通報する機会は少なそうに思える。

更新履歴

2014/9/30
箇条書きを導入
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プロフィール

Telperion

Author:Telperion
バレエへの関心が芽生えたのは2011年1月。その翌月に読んだ『ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影』は、そんな新参の私から見ても、間違いや意味不明な記述が多すぎました。その原因のほとんどが翻訳のひどさだと気づいたことからブログ開設を思い立ち、今は同じ訳者による邦訳本3冊を取り上げています。詳しくはこのブログでしたいこと 第3版をご覧ください。
フランス語の学習を始めたのは『ヌレエフ』に出会う少し前。まだまだ知識は浅く、至らぬところもあるでしょう。お気づきのことはぜひ知らせてください。リンクはご自由に。

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