伝記『ヌレエフ』の翻訳の検討

『ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影』(Bertrand Meyer-Stabley著、新倉真由美訳、文園社)と『ヌレエフとの密なる時』(ローラン・プティ著、新倉真由美訳、新風舎)の誤訳と改変。『バッキンガム宮殿の日常生活』(Bertrand Meyer-Stabley著、新倉真由美訳、文園社)の一部も対象

2013.08.28
ラコットがヌレエフに付き添うことの長所と短所
2013.08.27
トランジット行きは救済ではなく破滅
2013.06.02
実は大っぴらな接触を避けていたヌレエフ
2013.05.31
感じが悪くなったポントワによるヌレエフ評
2013.04.14
マリー=エレーヌ・ド・ロスチャイルドとヌレエフは仲が良かった

ラコットがヌレエフに付き添うことの長所と短所

『ヌレエフ』P.95:
ルドルフと一緒にいる限りトランジットまで行くことはできないだろう。
Meyer-Stabley原本:
Tant qu'il restera avec Rudolf, ils ne l'emmèneront pas en transit. Mais en restant avec lui il ne peut rien tenter.
Telperion訳:
ルドルフと共にいる限り、彼がトランジットに連れて行かれることはない。しかし彼と共にいながらでは、何も企てることができない。

ヌレエフがソ連に送還されようとしている現場に居合わせ、ヌレエフがトランジットに連れ去られるのを阻止しようと決意したピエール・ラコット。これを新倉真由美が「ヌレエフをトランジットに連れて行かなくてはならない」という正反対の意味に訳したことについては、記事「トランジット行きは救済ではなく破滅」で述べた。

ヌレエフを連れて行かないのはKGB

原文第1文の直訳は、「彼がルドルフとともにいる限り、彼らは彼をトランジットに連れて行かないだろう」。先ほど触れた記事の部分に続き、新倉真由美はここでも「彼ら」をラコットやその仲間だと思っている。しかし、「ラコットがルドルフとともにいる限り、ラコットたちは彼をトランジットに連れて行かない」は奇妙な文。ヌレエフをトランジットに連れて行くときにラコットが一緒にいてはいけない理由はないのだから。

別記事の部分と同じく、「彼ら」がKGBなどソ連当局の人間だとすれば、原文は理に叶った文になる。ラコットがヌレエフと別れるまでは、KGBはヌレエフを連れて行くのを延ばすということだ。

ラコットがヌレエフと共にいると不利な点もある

新倉真由美が訳さなかった第2文の直訳は、「しかし、彼とともにいる間は、彼は何も試みることができない」。文冒頭の「しかし(mais)」に注意したい。前の文では、ラコットがヌレエフとともにいることでヌレエフが受ける恩恵について書いている。ならその後「しかし」で続くこの文は、ラコットがヌレエフとともにいることの不利な点を述べていると推測できる。実際、ラコットがヌレエフとともにいる限り、ラコットはヌレエフとともにKGBに注視され続ける。下手な行動をすれば、たちまち妨害されるだろう。

つじつま合わせのような原文改変

新倉真由美は「彼ら」とはラコットやその友人たちのことだと解釈している。そして同時に、周辺の原文にさまざまな改変をしている。

  1. 「トランジットに連れて行ってはならない」を「トランジットに連れて行かなくてはならない」にする。
  2. 「トランジットに連れて行かないだろう」を「トランジットまで行くことはできないだろう」にする。
  3. 「しかし彼とともにいると何もできない」という文を消す。

不注意につぐ不注意という可能性もあるが、「彼らとはラコットたちのことである」という仮説に邪魔な原文を片っ端から消していったのではないかと疑いたくなる頻度。しかし、ここまで原文を変える前に、そうしなければ成り立たない仮説を疑うべきだと思う。

更新履歴

2016/5/11
諸見出し変更

トランジット行きは救済ではなく破滅

『ヌレエフ』P.95:
ルドルフをトランジットまで連れて行かなくてはならない。そこは中立のゾーンで、彼に対し誰も何もできなくなるからだ。
Meyer-Stabley原本:
Il ne faut pas qu'ils emmènent Rudolf en transit : là, il serait en zone neutre et personne ne pourrait plus rien pour lui.
Telperion訳:
ルドルフをトランジットに連れて行かれてはならない。そこでは彼は中立地帯にいて、もう彼のために誰も何もすることができないのだから。

ヌレエフがソ連に送還されると知り、どうするべきか必死に考えるピエール・ラコット。

ラコットはヌレエフをトランジットに行かせたくない

第1文の直訳は「彼らがルドルフをトランジットに連れて行ってはならない」。"Il ne faut pas que ~"(~してはならない)と"ils emmènent Rudolf en transit"(彼らがルドルフをトランジットに連れて行く)が結合している。

  • ヌレエフをトランジットに連れて行こうとしているのは「彼ら(ils)」。
  • ラコットはヌレエフがトランジットに行くのを止めたい。新倉本の「連れて行かなくてはならない」とは正反対。

連れて行こうとしているのはKGB

新倉真由美はヌレエフを連れて行く「彼ら」(ils)をラコットやその友人たちだと見なしたらしい。しかし、ラコットたちはロンドンに発つヌレエフを見送りに来たのであり、ヌレエフをどこかに連れて行こうとはしていない。この状況でヌレエフを連れて行こうとしているのは、ソ連行きの飛行機に乗せたがっているKGB職員。

トランジットではヌレエフの不利になる

ラコットの考えの理由である"personne ne pourrait plus rien pour lui"を「彼に対し誰も何もできなくなる」と訳すことは可能。前置詞pourにはさまざまな意味があるのだから。しかし、その前に異論の余地なく「トランジットに行かせてはならない」とあるのだから、その理由は「トランジットに行くとこういう不利な事態になる」とならなければならない。だからここでのpourは、「~に対し」でなく「~のために」と解釈しなければ、この部分全体の意味が通らない。

おまけ - KGBもヌレエフもトランジットに用はないはずでは

フランス語のtransitは日本語のトランジットと同様、目的地に行く途中で別な国の空港に立ち寄ることを指すらしい。ヌレエフはパリから出発しようとしており、トランジットのために空港にいるのではない。なのになぜトランジットに連れて行くとか行かないとかいう話になるのか、私には分からない。

強いて推測するなら、ラコットのような見送り客が立ち入れない区域のことを便宜上トランジットと呼んでいるのかも知れない。この場合の中立とは、ソ連寄りでもフランス寄りでもないということだろう。国に出入りする人間しか入れない区域は普通のフランス領土とは違うという感覚なのかも知れない。

更新履歴

2016/5/11
分かりやすさを目指して大幅に書き直し

実は大っぴらな接触を避けていたヌレエフ

『ヌレエフ』P.71:
彼らは終演後に夕食に誘ってくれ、もちろん喜んで応じました」
ルドルフはイライザ役を務めていたアメリカ女優ローラ・フィッシャーと約束を交わし、滞在先のホテルで団員たちと共に数時間を過ごした。
Meyer-Stabley原本:
Les Américains m'invitèrent en retour à venir souper avec eux. J n'osai pas y aller. »
Rudolf réussit pourtant à nouer le contact avec Lola Fisher, l'actrice américaine jouant le rôle d'Eliza Doolittle, et à partager quelques moments avec la troupe américaine à son hôtel.
Telperion訳:
アメリカ人たちはお返しに、これから一緒に夜食に取ろうと招待してくれた。私は思い切って行くことはしなかった」
しかしルドルフは、イライザ・ドゥーリトル役を演じたアメリカの女優ローラ・フィッシャーに接触し、そのホテルでアメリカの一座と少しの時間を共にすることに成功した。

ヌレエフがキーロフにいた時代、ブロードウェイの劇団がソ連で「マイ・フェア・レディ」を上演し、ヌレエフがバラの花を団員たちに贈った後のこと。

一介の若いソリストだったヌレエフは、さすがに周囲の目を無視できないのか、西側の人間と一緒に食事するほど深く交際するのは避けた。しかしやはり仲良くしたく、別の機会を設けるという、揺れ動く心理が書かれている。

ところが新倉本では、ヌレエフの遠慮が雲散霧消した。

  1. 「あえて行きはしなかった(J n'osai pas y aller)」という否定文が「喜んで応じました」という肯定文になる
  2. 結局は劇団員と交流したことを述べる文にある「しかし(pourtant)」が抜ける
  3. 劇団員と過ごしたわずかな時間(quelques moments)が「数時間」になる

1つ1つは小さなケアレスミスと呼んでもよい。しかしこの短い文のなかで立て続けにこれらが起き、そのどれもが「ヌレエフはブロードウェイ劇団員と食事をした」という結論に結び付くのには注目してしまう。これは不注意さの一例というより、「周囲のことなど無視して自分の好きなように振る舞うヌレエフ」という新倉真由美が思い描くヌレエフ像が、Meyer-Stableyの原文を押しのけた一例だと思う。

感じが悪くなったポントワによるヌレエフ評

『ヌレエフ』P.211:
ルドルフはほとんど私生活もなく腹心の友も持たずひとりぼっちでした」
Meyer-Stabley原本:
Rudolf était un solitaire sans attaches, presque sans vie privée. »
Telperion訳:
ルドルフは孤独な人で、縁故もなく、私生活もほとんどありませんでした」

ノエラ・ポントワによるヌレエフ評の一部。

ヌレエフにないのは腹心の友でなく縁故

attacheは「つなぐもの」というのが基本的な意味で、人間関係を指す場合は「縁故、コネ」。「腹心の友」というほど緊密な関係ではないらしい。ラルース仏語辞典で人間関係を指すattacheはこう説明されている。

Liaison, relation qui fait dépendre quelqu'un d'une autre personne ou d'un milieu (surtout pluriel) : Avoir des attaches avec la police.

ある人を別の人や環境に依存させるつながり、関係(とりわけ複数形): 警察とのコネがある。(Telperion訳)

実際、ポントワがヌレエフを「縁故がない」と評するのは、中立的な論評だと思う。ヌレエフはキーロフから1人西側に飛び出し、ロイヤル・バレエでも正規の団員にはならず、あちこちのバレエ団と仕事をしていたのだから。ところが、新倉真由美の「腹心の友も持たず」という言葉には、友情をはぐくめないヌレエフへの非難がこもっているように見える。

ポントワが親ヌレエフとされることと辛辣な新倉訳の矛盾

Meyer-Stableyは「フランスの女性ダンサーたちはヌレエフの最上の広告代理業者となる」と書き、その前後にギレーヌ・テスマーやジャクリーヌ・ライエによる賛辞を並べ、次にポントワの言葉を載せている。「広告代理業者になる」というのはヌレエフを売り込むことだろうし、テスマーやライエの発言は実際にそうなっている。それと並ぶポントワの発言も、ヌレエフに好意的だと予想してよい。

同じフランスのダンサーでも、ウィルフリード・ピオレはヌレエフを「他の誰よりも何度も世界最高のダンサーの地位にいた」と認めつつ、「同レベルのダンサーならオペラ座にもいる」と冷めてもいる(「三日月クラシック」の原文比較2より「P.210 彼に最も忠実だったのは~」の項を参照)。そのピオレをMeyer-Stableyは広告代理業者の例から外した。

もしポントワの言い方が新倉真由美の言うように批判的なら、Meyer-Stableyはテスマーやライエでなく、ピオレとともにポントワを並べたのではないだろうか。広告代理業者云々の原文を読んでからというもの、新倉訳のポントワ発言のとげがずっと気になっていた。

非難めいた言い方はもう一つある

ポントワの発言を訳本で読むと、ヌレエフを非難しているような言い方がもう一つある。

訳本
でも著名人を気取ってもいました。
原本
Mais il jouait aussi un personnage.

「腹心の友」と訳すのは原文どおりとは言えないattachesと違い、"jouer un personnage"を「著名人を気取る」と訳すのは単語の意味的に可能に見えるので、間違いだとは言わない。

ただ、仏和辞書を読む限り、「~を気取る」という表現には前置詞àを使う"jouer à ~"のほうがよく使われるらしい。ポントワの談話では前置詞が使われておらず、その場合の(つまり自動詞または間接他動詞でなく単なる他動詞である)jouerには単なる「~を演じる、~の役を担う」という意味もある。最初に書いたMeyer-Stablbeyによる引用の文脈を考えると、私なら非難めいた訳は避けておく。

2013/6/2
実はテスマーによる賛辞は問題の引用文の直前にあるので、「~と書いてから、テスマーやライエによる賛辞を並べ」を「~と書き、その前後にテスマーやライエによる賛辞を並べ」に修正。
2016/5/11
小見出し変更

マリー=エレーヌ・ド・ロスチャイルドとヌレエフは仲が良かった

『ヌレエフ』P.200:
夫人はすぐに彼を取り巻きの一人にした。
Meyer-Stabley原本:
La baronne en a fait rapidement l'un de ses intimes.
Telperion訳:
男爵夫人はたちまち彼を親しい友の一人にした。

マリー=エレーヌ・ド・ロスチャイルドとヌレエフの交友について。

intimeは英語intimateとつながりがある言葉で、ここでは名詞「親友、腹心」。ところが、新倉真由美の訳語「取り巻き」は、私の手持ちの国語辞書2冊にはこう載っている。

『デジタル大辞泉』より
金持ちや権力者につきまとって機嫌を取ること。また、その人。
『新明解国語辞典第5版』より
一時得意の絶頂に在る人にまつわりつき、幇間のような所業をして、なにがしかの利益を得ようとする人たち。

とても「親友」から置き換えられる言葉ではない。新倉真由美は「ヌレエフはロスチャイルド家の一員たるマリー=エレーヌから利益を得るためにご機嫌を取り、マリー=エレーヌもそれを承知で受け入れた」と述べているに等しい。

Meyer-Stableyはヌレエフに関する談話の主を親しい人(procheとかintimeとか)と呼ぶ癖があり、「ほんとうに親しいのか?」と疑問に思うこともよくある。しかし、この2人は本当に仲が良かったのだろう。

  • 引用部分の近くには「(マリー=エレーヌはヌレエフに)最後まで忠実だった」とある。
  • プティは『ヌレエフとの密なる時』P.42で、ヌレエフの親しい女友達の1人としてマリー=エレーヌの名を挙げ、生前エイズ疑惑を否定していたヌレエフがマリー=エレーヌには打ち明けていたとまで書いている。
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Telperion

Author:Telperion
バレエへの関心が芽生えたのは2011年1月。その翌月に読んだ『ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影』は、そんな新参の私から見ても、間違いや意味不明な記述が多すぎました。その原因のほとんどが翻訳のひどさだと気づいたことからブログ開設を思い立ち、今は同じ訳者による邦訳本3冊を取り上げています。詳しくはこのブログでしたいこと 第3版をご覧ください。
フランス語の学習を始めたのは『ヌレエフ』に出会う少し前。まだまだ知識は浅く、至らぬところもあるでしょう。お気づきのことはぜひ知らせてください。リンクはご自由に。

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