伝記『ヌレエフ』の翻訳の検討

『ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影』(Bertrand Meyer-Stabley著、新倉真由美訳、文園社)と『ヌレエフとの密なる時』(ローラン・プティ著、新倉真由美訳、新風舎)の誤訳と改変。『バッキンガム宮殿の日常生活』(Bertrand Meyer-Stabley著、新倉真由美訳、文園社)の一部も対象

2012.12.11
非難されているのはヌレエフの振付
2012.11.27
驚かせたのは監督ラッセルでなく俳優ヌレエフ
2012.11.04
「白鳥の湖」の騒動が起きたのは公演前
2012.09.05
振付家が作家を選択する権利は異例か
2012.09.03
演じる役に自分を投影

非難されているのはヌレエフの振付

『ヌレエフ』P.278-279:
「彼はバレエ団の能力を、限界に来ている自分自身の可能性に利用したのです」
「彼は言葉での説明と言うステップを飛ばして何もかも詰め込もうとしました。フランス的なやり方を破壊したのです」
Meyer-Stabley原本:
« Il adapte les possibilités de la troupe aux siennes, qui sont maintenant limitées, insinue une étoile. Il surcharge tout en supprimant des pas du vocabulaire. Il détruit le style français. »
Telperion訳:
あるエトワールはほのめかす。「今や限定された自分の能力にバレエ団の能力を合わせている。ボキャブラリーのステップを取り去り、すべてを詰め込み過ぎる。フランスのスタイルを破壊している」

この談話はヌレエフの振付が非難されたという文の次に来るので、振付批判の具体例だと最初から予想できる。

ボキャブラリーとは

仏和辞書にあるvocabulaireの意味は、「語彙、言葉づかい、専門用語、用語辞典」といったところで、これだけだと引用文での意味は私には分からない。しかし、バレエをろくに知らない私でも、バレエ関連の文をいろいろ読むうちに、どうやらvocabulaireは振付に関連して使われる専門用語らしいと分かってきた。

Meyer-Stabley本
「クラシック作品の中に民族的なステップを取り入れた」(訳本P.271)に相当する原文"transposeront ces pas folkloriques dans le vocabulaire classique."で、振付にかかわる言葉としてvocabulaireが使われている。
『Nureyev: His Life』(Diane Solway著)や『Nureyev: The Life』(Julie Kavanagh著)
仏語vocabulaireに相当する英語vocabularyを振付に関連する記述で見かける。どうやら、振付でよく使われる動きのパターン集という意味で使われているように見える。
google検索
「ボキャブラリー 振付」を検索したら、たくさんの用例が出てきた。

上の引用文でも、vocabulaireは「(振付の)ボキャブラリー」という意味で使われていると見て間違いない。仏和辞書にある本来の意味を見ても、vocabulaireは「言葉での説明」と言い換えられる言葉ではない。

振付は音声を伴わないのだから、「言葉での説明を飛ばす」は振付への非難ではあり得ない。新倉真由美の訳だと第2文以降は、ヌレエフが振付を教えるときの態度を別人が非難しているかのように見える。

しかし、原本ではすべて同じエトワールによる発言。非難の対象も最初から最後まで振付そのものだと思われる。

バレエ団の能力とヌレエフの能力

siennesは英語のhisに相当する「彼のもの」。前に出た言葉の言い換えとして使われる。siennesの前に"les possibilités de la troupe"(バレエ団の能力)とあるので、siennesはここでは「彼の能力」となる。possibilitéの訳語として「可能性」もあるが、もしそれを採用するなら、「バレエ団の可能性」「彼の可能性」とそろえなければならない。

"adapter A à B"は「~に適合させる」。バレエ団の能力をヌレエフの能力に合わせる、そしてヌレエフの能力が今限定されているということから、このエトワールが第1文で言いたいのは、「自分の能力が落ちたものだから、バレエ団にまで低レベルなことをやらせる」なのだろう。「利用する」はadapterから導き出せる訳語ではないと思う。

2014/2/25
箇条書きを導入

驚かせたのは監督ラッセルでなく俳優ヌレエフ

『ヌレエフ』P.236:
ラッセルが彼に自由に演じさせ、その人物像の輪郭を描かせたのには大変驚きました。
Meyer-Stabley原本:
Russel lui laissa une grande liberté d'interprétation et le voir cerner son personnage était tout à fait étonnant.
Telperion訳:
ラッセルは彼に自由に演技をさせました。そして彼が役の輪郭を描くのを見るのは、実に驚くべきことでした。

「ヴァレンティノ」のプロデューサー、アーウィン・ウィンクラーの談話。

2つの文がet(そして)でつながっている。驚くべきだった(était étonnant)のは、etに続く第2文の主語である"le voir cerner son personnage"(彼が彼の役の輪郭を描くのを見ること)。ヌレエフに自由にさせたラッセルではなく、自由にヴァレンティノ像を構築したヌレエフに驚いている。

Meyer-Stableyのミス - 人名のスペル

アーウィン・ウィンクラーは原本ではIrvin Winklerと書かれているが、IrvinでなくIrwinが正しい。

「白鳥の湖」の騒動が起きたのは公演前

『ヌレエフ』P.258:
そして最悪な事態が起きた。一九八四年一二月“白鳥の湖”の改訂版の公演が大騒動で中断し延期になったのだ。
Meyer-Stabley原本:
Mais le pire est à venir, la nouvelle production, en décembre 1984, du Lac des cygnes, précédée d'intermèdes houleux.
Telperion訳:
しかし最悪の事態はこれからだった。それは1984年12月の「白鳥の湖」の新作で、その前に大騒ぎの幕間劇が演じられた。

ヌレエフが新解釈の「白鳥の湖」をパリ・オペラ座バレエで初演したときのこと。

公演を中断するのでなく公演に先行する騒ぎ

原本では「白鳥の湖」の新作が「騒々しいintermèdesに先立たれた」(précédée d'intermèdes houleux)と書いてある。intermèdeの意味は「幕間の出し物」「中断、小休止」だが、ここで具体的に何を指すのかは、この文だけでは何とも言えない。確実なのは、intermèdeが指すのが何の騒ぎであれ、新作より前に起こったということ。だから「公演が大騒動で中断し」とは訳せない。

調べれば分かる騒動の内容

Meyer-Stableyは非常に不親切なことに、公演前に何があったのかを説明せず、せいぜい「抗議のせいで稽古が2週間遅れた」というヌレエフの談話を引用したに過ぎない。しかし幸い、ルドルフ・ヌレエフ財団サイトの「白鳥の湖」説明ページ(音楽が鳴るので注意)に、具体的な記述がある。それによると、当時のパリ・オペラ座バレエのダンサーたちは、それまでのバレエ団のレパートリーだったブリュメイステル版から離れるのを嫌がり、ヌレエフ版の稽古をしようとしなかった。ヌレエフは翌年にブリュメイステル版を上演することを約束し、ようやく公演にこぎつけた。

ヌレエフ財団サイトはヌレエフの情報を知るにはとても役に立つ。また、ヌレエフ版パリオペ「白鳥の湖」は映像が販売されているので、付属の解説にも期待できるかも知れない。いくら原著者が不親切でも、当時の状況を把握し、それに合う翻訳を考えるのは不可能ではない。

騒ぎの内容を頭に置くと、Meyer-Stableyがintermèdeという言葉を選んだ理由は、次のいずれかではないかと思える。

  1. 舞台の外での騒ぎを幕間劇にたとえた
  2. 練習拒否で公演準備が止まったことを小休止と呼んだ

更新履歴

2014/10/8
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振付家が作家を選択する権利は異例か

『ヌレエフ』P.271:
振付家としては作家を選択する権利
Meyer-Stabley原本:
chorégraphe, emploi pour lequel il touchera des droits d'auteur.
Telperion訳:
振付家の職では著作権料を受け取る。

ヌレエフがパリ・オペラ座バレエの監督になるにあたって要求したと噂された様々な特権のうち、振付家としての待遇について。

仏文解釈

引用した部分の直訳は「振付家、そのために著作権料を受け取ることになる職」。

  • コンマの後でchorégraphe(振付家)という職について追加説明している。
  • "droits d'auteur"は「著作権料、印税」。仏和辞書に載っている。
  • toucherには様々な意味があるが、ここでは目的語が著作権料なので、「(金など)を受け取る」が妥当。

droitには「権利」という意味があり、droitが単数形の場合の"droit d'auteur"は「著作権」。しかしここではdroitは複数形droitsだし、「選択する」に当たる単語は見当たらない。

新倉真由美の文の不自然な点

そもそも「振付家が作家を選択する権利」自体が耳にしない概念で、私には「振付作品のベースになるストーリー考案者や作曲家を選択する権利」くらいしか思い浮かばなかった。その場合、ストーリーや音楽を選ぶのは振付家に一任されるほうが普通であり、ごく真っ当な権利に思える。「作家を選択する権利を主張」のどこが特記すべき優遇の要求なのか? 原本の記述なら、振付作品を使うたびに支払が上乗せされるというのが優遇なのだと分かる。

演じる役に自分を投影

『ヌレエフ』P.236:
俳優たちは皆、演じる役の人物に自分自身を重ね合わせます。ヌレエフもヴァレンチノの中に多くの神秘的でロマンチックな部分を見つけたのでしょう。
Meyer-Stabley原本:
Touts les acteurs mettent une partie d'eux-mêmes dans les personnages qu'ils incarnent et l'on retrouve une large part du mystère et du romantisme de Noureev dans son Valentino.
Telperion訳:
俳優は皆、演じる役の中に自分の一部を移すものであり、ヌレエフの神秘とロマンチズムの多くがそのヴァレンティノの中に見られます。

第2文で、"du mystère et du romantisme de Noureev"(ヌレエフの神秘とロマンチズムの)に続くことから、"son Valentino"(彼のヴァレンティノ)の「彼」とはヌレエフのことだと推測できる。「彼のヴァレンティノ」とは、ヴァレンティノ本人でなく、ヌレエフが解釈したところのヴァレンティノ。

第2文の主語l'onは、「ストライキに関与するのは誰か」で述べたonの別表記なので、やはり不特定の人々を指したり、主語をぼかしたりするために使われる。ここでのonは、ヌレエフのヴァレンティノの中に、ヌレエフの神秘とロマンチズムを見つける人々なのだから、映画「ヴァレンティノ」の観客だろう。誰かをまず代名詞で呼び、同じ文でその後に名前を明記することはまずないので(名前が先、代名詞が次なのが論理的な順序)、Noureevの前にあるonはヌレエフではない。

第1文で"mettre A(目的語) B(場所を示す属詞)"は「AをBに置く」。引用文でAは"une partie d'eux-mêmes"(自分自身の一部)、Bは"dans les personnages qu'ils incarnent"(彼らが演じる人物の中)。「自身の一部を演じる人物の中に置く」は、「演じる人物に自分の特徴を持たせる」ということで、「ヌレエフ演じるヴァレンティノにはヌレエフの特性が多く見つかる」という意味の第2文とも符合する。

訳本の「演じる役の人物に自分自身を重ね合わせます」だけを読むなら、今書いた意味と同じに受け取ることは可能。しかし、続く文が「ヌレエフもヴァレンチノの中に見つけた」なので、新倉真由美は「演じる役の中に自身と共通する部分がすでに存在するのを見つけ出す」と解釈していることが分かる。

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プロフィール

Author:Telperion
バレエへの関心が芽生えたのは2011年1月。その翌月に読んだ『ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影』は、そんな新参の私から見ても、間違いや意味不明な記述が多すぎました。その原因のほとんどが翻訳のひどさだと気づいたことからブログ開設を思い立ち、今は同じ訳者による邦訳本3冊を取り上げています。詳しくはこのブログでしたいこと 第3版をご覧ください。
フランス語の学習を始めたのは『ヌレエフ』に出会う少し前。まだまだ知識は浅く、至らぬところもあるでしょう。お気づきのことはぜひ知らせてください。リンクはご自由に。

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