伝記『ヌレエフ』の翻訳の検討

『ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影』(Bertrand Meyer-Stabley著、新倉真由美訳、文園社)と『ヌレエフとの密なる時』(ローラン・プティ著、新倉真由美訳、新風舎)の誤訳と改変。『バッキンガム宮殿の日常生活』(Bertrand Meyer-Stabley著、新倉真由美訳、文園社)の一部も対象

2013.04.13
指揮者の本分
2013.04.11
男性から女性のものになったバレエ
2013.03.11
ヴァレンティノの低身長を皮肉る原著者
2013.01.08
イタリアのチュリンジーンズ?
2012.12.08
内心屈服しないソ連の芸術家の多さ

指揮者の本分

『ヌレエフ』P.299:
指揮は単に拍子をとったり指示するだけでなく、演奏に彼個人の色をもたらす。
Meyer-Stabley原本:
Diriger, ce n'est pas seulement battre la mesure et donner les départs mais c'est aussi apporter sa couleur personnelle à une interprétation,
Telperion訳:
指揮とは拍子を取ってスタートを切るだけではなく、演奏に独自の色をもたらすことでもあり、

指揮者の活動を始めたヌレエフへのジェラール・マノニの批判から。"donner les départs"の直訳は「始まりを与える」。donnerには「伝える」という意味もあり、曲を始める合図を送ることだと推測できる。それなら指揮者の仕事のうち最も簡単と言ってよく、拍子を取るのと同様、素人にもできる指揮者の動作としてふさわしい。

その指揮者ならではの演奏をオーケストラにさせることが指揮の肝心な点であることは、マノニの言うとおり。指揮者はそれを実現するために、リハーサルのときオーケストラに様々な指示を出す。本番で棒を振るのには、その指示をオーケストラに思い出させる側面がある。本番で初めて指揮者が現れて棒を振ったところで、開始や速度を伝えるのがせいぜいで、指揮者が曲に抱くイメージをオーケストラが細かく音に具体化するのはまず無理。だから指示こそが指揮者の最も重要な役目であり、それに比べれば棒振りの役目は軽い。『ヌレエフ』のマノニは指示を「指揮はそんな易しいことだけではない」と鼻であしらっているが、指揮者の指示を馬鹿にするなんて、バレエが主分野とはいえ音楽と縁の深い業界に長くいるジャーナリストの発言とは思えない。

男性から女性のものになったバレエ

『ヌレエフ』P.161:
本来バレエは男性だけのものだったが、ルイ十四世の治世下で宮廷は女性を求め、マリー・タリオニはロマン主義のプリマバレリーナとして成功を収めた。
Meyer-Stabley原本:
Le ballet, à l'origine, était exclusivement masculin. Sous Louis XIV, en passant de la cour à la ville, il fait appel à des femmes et l'époque romantique voit avec Marie Taglioni le triomphe de la prima ballerina.
Telperion訳:
バレエは初め男性だけのものだった。ルイ14世のもとで、宮廷から都市に移行するとき、バレエは女性に訴えかけ、ロマン時代にマリー・タリオーニによってプリマ・バレリーナが勝利した。

バレエで女性が求められたのは宮廷の外

第2文で主文の主語、つまり「女性に訴えかけた」(fait appel à des femmes)のはil(それ)。次の理由から、この代名詞が指すのはバレエ。

  • ilは男性名詞の代名詞なので、女性名詞のcour(宮廷)を指すのではない。ilの前にある男性名詞はballetと"Louis XIV"だけ。
  • ilは主文の主語なので、ジェロンディフ"en passant de la cour à la ville"(宮廷から都市に移るとき)の主語でもある。宮廷から都市に移るのだから、ルイ14世ではない。

バレエが女性に呼びかけたのは、宮廷で生まれたバレエが平民の間で広がるときなのだから、女性を求めたのは宮廷よりむしろ市街のバレエ。

ルイ14世の宮廷で活躍したのは男性ダンサー

フランスのバレエを発展させる原動力となったのは、ルイ14世の後援だというのが定説。フランスのバレエの当初の場所であり、バレエが男性のものだったのは、ルイ14世の宮廷だろう。

Meyer-Stabley原本の参考文献でもある『The Magic of Dance』の邦訳本『バレエの魅力』(マーゴ・フォンテーン著、湯河京子訳、新書館)を読むと、こんなことが書いてあり(P.302~308)、男性ダンサーが大活躍だったことがうかがえる。

  • 20代の頃のルイ14世は自ら踊るのが大好きだった
  • 当時ダンスール・ノーブルやドゥミ・キャラクテールなどの区分けができた
  • ダンサー、ジャン・バロンがルイ14世に寵愛された
  • プロの女性ダンサーが現れたのは男性ダンサーより後だった

女性ダンサー優位時代を打ち立てたマリー・タリオーニ

プリマ・バレリーナの台頭に関する"l'époque romantique voit avec Marie Taglioni le triomphe de la prima ballerina"の直訳は「ロマン時代はマリー・タリオーニによってプリマ・バレリーナの勝利を見た」。

  • 「ある時や場所(ここではロマン時代)が~を見た」とは、「~が起こった」という意味のフランス語独特の言い回し。
  • マリー・タリオーニの前にある前置詞avecは手段を表す。つまり、プリマ・バレリーナの勝利を起こしたのがタリオーニ。

実際、『バレエの魅力』P.259~260には、タリオーニが確立したポワントでの踊りをサポートするために男性の負担が増え、男性自身の踊りがおろそかにされるようになったと書いてある。つまりタリオーニは女性ダンサー優位時代を作る立役者とされている。

しかし新倉真由美の訳だと、タリオーニはすでにできた女性優位時代を謳歌しただけとも受け取れる。これはタリオーニの過小評価。

2014/1/27
箇条書きの増加をもとに書き換え

ヴァレンティノの低身長を皮肉る原著者

『ヌレエフ』P.238:
彼は小柄だったがそのビロードのような瞳や後光はそれを忘れさせ、何十万ものラテン人の愛人として君臨していた。
Meyer-Stabley原本:
Son œil de velours, son auréole d'amant latin avaient fait oublier à des millions de femmes que leur dieu n'était qu'un nabot.
Telperion訳:
そのビロードのような目、ラテンの恋人のオーラは、何百万人もの女に自分たちの神が小男に過ぎないということを忘れさせていた。

ヌレエフが映画『ヴァレンティノ』で演じた俳優ルドルフ・ヴァレンティノの説明の1つ。

ラテン人なのはファンでなくヴァレンティノ

原文の"amant latin"とは、ヴァレンティノの通称"latin lover"(ラテンの恋人)のフランス語訳。意外なことに、この通称が生まれた理由のはっきりした説明を見つけることは私にはできなかった。しかし、ヴァレンティノがイタリアからの移民であること、闘牛士(「血と砂」)やアラブの族長(「シーク」)などエキゾチックな役が有名なことを考えると、「ラテン人である恋人」という意味だと思われる。

Meyer-Stableyの文から確実に言えるのは、latin(ラテンの)が形容するのはヴァレンティノである"amant"(恋人)であり、ヴァレンティノのファンである"des millions de femmes"(何百万人もの女性)ではないということ。しかし新倉真由美の「何十万ものラテン人の愛人」という言い方では、ヴァレンティノの大勢のファンがラテン人だったように見える。

ヴァレンティノの背の低さへの言及

悪意が見えるMeyer-Stabley

文の最後の"n'était qu'un nabot"は「ちびでしかなかった」。

  1. 仏和辞書を見る限り、nabotは露骨な言い方。
  2. "était un nabot"(ちびだった)でなく"n'était qu'un nabot"(ちびでしかなかった)という表現なのも、嫌味が増していると思う。
  3. そしてこの語句が文の最後。初めのほうでヴァレンティノの顔をほめたのが色あせるくらいのインパクトを感じる。

新倉本P.233でもMeyer-Stableyはヴァレンティノを「背を高く見せるためにヒールのある靴を履き」と書き、他にも容姿をこき下ろしている(原文はこちら)。Meyer-Stableyはヴァレンティノを好いていないように見える。

賛辞に書き換えた新倉真由美

新倉真由美は"n'était qu'un nabot"を「小柄だった」とした。新倉真由美は『密なる時』P.15で"les laides"(醜い者たち)を「美しいとは言い難かった者たち」と訳しており、あからさまな悪口を好まないのではないかと思う。クレーム除けのためにも、悪口をマイルドに言い換えるのが仕方ない面もあるだろうから、これだけなら私は取り上げなかったかも知れない。

しかし新倉真由美はヴァレンティノの低身長への言及を文の最初に移動し、その後にヴァレンティノの容姿の良さや人気についての文を持ってきた。おかげでMeyer-Stableyが込めた皮肉は雲散霧消してしまった。新倉真由美は普段、原文の構成要素の順番を訳文でも同じにすることにとてもこだわっている。それに原文を直訳すると私の上の訳のようになり、「ちびに過ぎない」は最初にならない。なのに順番をこれほど変えるとは、とても強い意思が働いていると思う。私にとっては、嫌味がこもった文をほめ言葉として訳すのはやり過ぎ。

イタリアのチュリンジーンズ?

『ヌレエフ』P.136:
チュリンジーンズ
Meyer-Stabley原本:
Turin, Gênes,
Telperion訳:
トリノ、ジェノヴァ

ヌレエフがクエヴァス・バレエのもとで出演した最後の公演地の一部。これらがイタリアの都市だということは直前に書いてある。普通の日本人にどこのことか分かるようにするには、イタリア語の発音で書くべきだろう。トリノもジェノヴァもフランスに近い大都市なので、仏和辞書で見つかることが期待できるし(私の『プログレッシブ仏和辞典第2版』にはどちらもある)、google検索や仏語wikipediaからも判明する。

2つの都市を区切る読点が訳本で抜けているのは、誤植の可能性も捨てきれない。しかしGênesが英語発音らしき「ジーンズ」になっているのは戸惑わされる。フランス語の本に書かれたイタリア都市名がイタリア語らしくもフランス語らしくもないのだから。Gênesのフランス語発音はジェネだと思うが、このほうが「フランス語の発音で書いている」と推測でき、フランス語のイタリア地図を探してみる気になりやすい分、正解にたどり着く可能性がまだ高い。イタリアの都市をフランス語表記の英語発音で書くのは、大半の読者の想定外ではないだろうか。

内心屈服しないソ連の芸術家の多さ

『ヌレエフ』P.77:
仮にルドルフがソヴィエトの芸術家らしく振舞ったとしても、その精神は屈服せず忠誠心も見せかけにしか映らないからだ。
Meyer-Stabley原本:
Car si Rudolf joue tant bien que mal le jeu habituel des artistes soviétiques ― plier mais ne pas céder ―, sa loyauté semble trop fictive.
Telperion訳:
ソ連の芸術家になじみの慣習、すなわち「屈すれど譲らず」をルドルフがどうにかこうにか守っても、その忠誠心はあまりに見せかけのように見えたからだ。

キーロフの西欧ツアーに参加するヌレエフに向けられた懸念。

精神が屈服しないのはソ連の芸術家の行動

文中の"plier mais ne pas céder"は、「屈服する」という意味の動詞2つを用いた「plierするがcéderしない」という形をしている。恐らくplierは目で見える形の屈服、céderは内心の屈服を指すのだろうと思う。「その精神は屈服せず」と訳した新倉真由美も、同じような解釈なのだろう。

さて、原文はカンマによって2つの部分に分けられる。

  1. カンマの前は、「ルドルフがどうにかソ連の芸術家のルールに従って行動しても」という従属節。
  2. カンマの後は、「彼の忠誠心はあまりに見せかけのようだった」という主文。

「精神は屈服せず」を新倉真由美は主文につなげている。しかし次の理由から、原文の"plier mais ne pas céder"は従属節の一部。

  1. "plier mais ne pas céder"はカンマの前にある。
  2. "plier mais ne pas céder"は長ダッシュのペアに囲まれている。長ダッシュのペアは括弧と同じような意味を持ち、前に書かれたことを補足するために使われる。

"plier mais ne pas céder"の前にあるのは、"le jeu habituel des artistes soviétiques"(ソ連の芸術家のおなじみのルールや慣習)。つまり、「屈するが従わない」とは、ソ連の芸術家一般の行動の説明。

心からは屈服しなかったソ連の芸術家たちの例

新倉真由美の訳を読むと、内心屈服しなかったのはヌレエフ一人で、ソ連の芸術家は精神まで屈服していたとしか読めない。しかし、ソ連の芸術家たちのことをいろいろ考えてみると、ソ連にとどまったまま当局からの圧力に耐えた芸術家たちがいかに多いかに思い至る。

スヴャトラフ・リヒテル
私が真っ先に思い浮かべる名前。父がドイツ人だったために国外での演奏をなかなか許可されなかったピアニスト。
マイヤ・プリセツカヤ
バレエ・ファンが真っ先に思い浮かべるのはこの名前かもしれない。やはり出自が原因で国外になかなか出られなかった。
セルゲイ・プロコフィエフ
迫害されたとは言わなくても、当局と蜜月だったわけでもなさそう。

「体制に順応していた」(訳本P.76)と書かれているコンスタンティン・セルゲイエフですら、パリでセンセーションを起こしたヌレエフのソ連送還に不賛成で、送還命令の実行を可能な限り先延ばしした(Diane Solway著『Nureyev: His Life』やJulie Kavanagh著『Nureyev: The Life』での記述)。当局に心底従っていた芸術家もいたのだろうが、西側で広く知られるソ連の芸術家は、むしろ当局からの圧力に何らかの形で苦しんだほうが多いかも知れない。

2014/2/11
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プロフィール

Telperion

Author:Telperion
バレエへの関心が芽生えたのは2011年1月。その翌月に読んだ『ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影』は、そんな新参の私から見ても、間違いや意味不明な記述が多すぎました。その原因のほとんどが翻訳のひどさだと気づいたことからブログ開設を思い立ち、今は同じ訳者による邦訳本3冊を取り上げています。詳しくはこのブログでしたいこと 第3版をご覧ください。
フランス語の学習を始めたのは『ヌレエフ』に出会う少し前。まだまだ知識は浅く、至らぬところもあるでしょう。お気づきのことはぜひ知らせてください。リンクはご自由に。

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