伝記『ヌレエフ』の翻訳の検討

『ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影』(Bertrand Meyer-Stabley著、新倉真由美訳、文園社)と『ヌレエフとの密なる時』(ローラン・プティ著、新倉真由美訳、新風舎)の誤訳と改変。『バッキンガム宮殿の日常生活』(Bertrand Meyer-Stabley著、新倉真由美訳、文園社)の一部も対象

2013.10.31
マッサージを受けるのは本番直後
2013.10.07
独立宣言を聞いて内心は逆だと感じたプティ
2013.09.09
狙った相手を魅了するヌレエフの手腕
2013.09.06
近寄りがたい雰囲気
2013.08.23
同行者が訪問先を間違える?

マッサージを受けるのは本番直後

『密なる時』P.56:
疲労困憊で劇場を後にしたヌレエフを、彼に魅せられたマッサージ師のルイジ・ピニョティが待っていた。彼は稽古着とタイツを脱がせると、すぐ肩の上にガウンを投げかけた。ヌレエフはそれを羽織りタオルで顔を拭くと、疲れ切った体をマッサージ用のテーブルの上に横たえた。
プティ原本:
Noureev sort de scène épuisé, Luigi Pignoti son masseur attitré l'attend et après l'avoir en quelques secondes dépouillé de son pourpoint et de son maillot de danseur, lui jette un peignoir sur les épaules, Noureev s'en enveloppe, s'éponge le front d'une serviette et épuisé va s'allonger sur la table de massage.
Telperion訳:
ヌレエフは疲れ果てて舞台を出る。ひいきにしているマッサージ師のルイジ・ピニョティが待っており、数秒で胴着とダンサーのレオタードをはぎ取った後、肩にガウンを投げかける。ヌレエフはそれにくるまり、額をタオルで拭い、疲れ果ててマッサージ台の上に横たわる。

ピニョティとヌレエフの関係はビジネス上のもの

attitréは「正式な資格を持つ、ひいきの」。だからピニョティを指す"son masseur attitré"は「彼のひいきのマッサージ師」。ヌレエフはピニョティを重用していたが、特に感傷的な結びつきではない。

新倉真由美は「彼のひいきのマッサージ師」を「彼に魅せられたマッサージ師」とした。恐らくattitréをattiré(引き寄せられた)と見間違えたのだろう。

マッサージをするのは劇場を出る前

ヌレエフがマッサージを受ける前に出たのは劇場でなく舞台(scène)。実際、以下の2点から、劇場より舞台のほうがもっともらしい。

  • ヌレエフがマッサージを受けに劇場を出るよりは、ピニョティに楽屋で待機させるほうが好都合
  • ピニョティのもとに来たヌレエフは"maillot de danseur"(danseurは定冠詞leが付いていないので、ヌレエフ個人を指す言葉ではない)を着ている。maillotはタイツともレオタードとも訳せるが、いずれにせよその恰好のまま劇場を後にするのは信じにくい。

ヌレエフが脱いだのは本番舞台の衣装

また、ヌレエフはピニョティにpourpointも脱がせてもらっているが、これもヌレエフが舞台から出たばかりという状況に関係すると思う。pourpointは私の『プログレッシブ仏和辞典 第2版』になかったので、ラルース仏語辞典で意味を見つけた。

pourpoint
Vêtement masculin qui couvrait le torse, en usage du XIIIe au XVIIes.
13世紀から17世紀に使われた、胴を覆う男性の服。(Telperion訳)

そういう昔風の胴着を着るのは、古典バレエの本番の衣装を着るときに思える。

新倉真由美がpourpointを「稽古着」としたのは、マイナーな言葉なので意味を見つけられなかったか、それとも調べるのが億劫だったかで、意味を自分で推測したのだろう。しかし、最初の文を「舞台を後にした」と正しく捉えていれば、「稽古着」という訳語は選ばなかったと思う。

独立宣言を聞いて内心は逆だと感じたプティ

『密なる時』P.54:
ある日ヌレエフはマーゴのことを「僕は彼女と永遠に踊っていくつもりはない。僕は自立すべきだし、さもなければ彼女が年を重ねていった時、僕はいったい何をしていけばよいのだろう」と言った。彼はいかなる束縛も望んでいなかったが、その神々しいばかりのパートナーには非常に強く惹かれていた。
プティ原本:
Rudolf: « I will not dance with her for ever. I have to be independent or what will I do when she is older*. » Le monstre parlait de Margot. Il ne voulait aucune contrainte, et pourtant il était très attaché à sa divine partenaire.
* « Je ne dansereai pas avec elle toute ma vie. Je dois être indépendant, sinon que faire quand elle sera plus âgée. »
Telperion訳:
ルドルフ曰く、「彼女といつまでも踊りはしない。独立しなければならない、そうしなければ彼女が年を取ったら僕はどうすればいい(英語)」。怪物はマーゴのことを話していたのだ。彼はいかなる束縛も望まなかったが、それでも自分が神から授かったパートナーには強い愛着を抱いていた。

ヌレエフの言葉だけを読むと、「マーゴは今のパートナーというだけだ」と言いたげに見える。しかしそれを聞いたプティの感想は、「束縛嫌いなルドルフにとっても、マーゴは別格」。一見不思議な反応に思える。なぜだろうか。

ヌレエフが不意にマーゴの話をしたかのような原本

プティ原本では、まずヌレエフの発言が来て、次にヌレエフがフォンテーンのことを話していると明かされる。「彼女って誰?…ああ、フォンテーンか」と一瞬疑問を持たせる説明になっている。私の考えでは、この一瞬の疑問は当時のプティが本当に感じたことではないだろうか。つまり、プティが「ヌレエフはマーゴのことを話している」と理解したのが、ヌレエフの言葉を聞いた後。いきなりフォンテーンの話をされ、しかも彼女といえばマーゴなのは自明だと言わんばかりの話し方をされれば、「ルドルフにとってマーゴの存在は非常に大きい」とプティが推測したくもなるだろう。

最初からマーゴの話をしているかのような新倉本

一方、新倉真由美の文では、「ルドルフがマーゴの話をした」と最初に説明した。そのため、2人がフォンテーンについて話したときにルドルフが上の発言をしたような印象を受ける。その場合、ヌレエフがフォンテーンのことを話したという説明自体は何ら異例でないため、最も目立つのはヌレエフの発言内容。その後で「彼はマーゴには非常に惹かれていた」とプティに言われると、少なくとも私は「フォンテーンに依存しないという宣言を聞いて、なんで感想がそれなわけ?」と当惑する。

原本と訳本は一文ずつの意味は同じで、文の順番が変わっているに過ぎない。プティの文と新倉真由美の文を読んで私が考えたことが、大多数の読者も考えることだとまでは断言できない。でも語順は文章の印象を左右する大事な要素。原著者の文の書き方を翻訳でむやみに変えないほうがいいと思う。今回のような場合は、原文をそのまま訳すのは簡単であり、新倉真由美の書き換えのほうが書きやすいとか分かりやすいとかいう要素は私には感じられない。

更新履歴

2015/2/25
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狙った相手を魅了するヌレエフの手腕

『密なる時』P.18:
際立っているところはひとつもないが、一度興味を抱くと、人々はひと目で虜になってしまう。その視線は、「あなたを好きになりそうなんだけど、仲良くしていけるかな?」とでも語っているようである。
プティ原本:
Rien d'extraordinaire et pourtant quand il vous portait intérêt, on était conquis par le premier regard, un regard interrogateur, « vous me plaisez, semblait-il dire, allons-nous nous entendre ? »,
Telperion訳:
並外れたものは何もなく、それでいて彼から興味を持たれると、一目視線を浴びれば、物問いたげなその視線に征服されるのだ。「気に入りましたよ、分かり合えるでしょうか」と言ってくるかのようだ。

新倉真由美の訳文に少しばかりのあいまいさを感じるので、くどいかもしれないが、きっちり説明してみる。

興味を抱く主体はヌレエフ

「一度興味を抱くと」の原文は"quand il vous portait intérêt"(彼があなたに興味を持つと)。つまり、人々がヌレエフに興味を抱くのでなく、ヌレエフが人々に興味を抱く。ヌレエフが興味を持つと相手が征服されるというのは、「狙った獲物は逃さない」とも言い換えられる。プティは誘惑者としてのヌレエフの手腕を高く買っていることが分かる。

新倉真由美の文は、「初めはヌレエフに興味がない人でも、何かの偶然でヌレエフに興味を持つと、たちまち虜になる」とも読める(実際、私は「ヌレエフと相手のどちらが興味を持ったの?」と迷った)。ヌレエフに興味を持たずじまいの人は、虜になることもない。プティの表現に比べると、ヌレエフの誘惑が空振りに終わる確率が若干上がる表現だと思う。

ヌレエフの虜になるための視線はヌレエフからのもの

「一目で虜になる」という言い回しは、「ある人が何かを見て、その途端に見たものの虜になる」という意味で使われると思う。上記の新倉真由美訳の場合は、「人々がヌレエフを一目見た途端に虜になる」。

しかし原文で「ひと目」に当たる"le premier regard"(最初の視線)は、"un regard interrogateur"(物問いたげな視線)と並べて書いてあり、どちらも同じ視線について説明していると推測できる。問いかける内容から、「物問いたげな視線」の主は明らかにヌレエフ。したがって、「最初の視線」もヌレエフの視線。プティが言っているのは、「人々がヌレエフに一目見られた途端に虜になる」。このほうが、「彼が興味を持つと相手は征服される」との相性もいい。

近寄りがたい雰囲気

『密なる時』P.26-27:
彼と出会った人々は、振り返ってみるものの、あえて近づいて見つめたり賛辞を浴びせたりすることはしなかった。このスーパースターは、映画好きな人々の間でよく知られている、スフィンクス(グレタ・ガルボのこと)のように虚ろな目をし、神秘的で尊大な雰囲気を醸し出していた。
プティ原本:
Les gens sur son passage se retournaient et n'osaient pas l'approcher pour le regarder de plus près ou lui demander une dédicace, tant le monstre prenait un air mystérieux et hautain, les regard absent, tel un sphinx bien connu des cinéphils*.
*Greta Garbo.
Telperion訳:
彼の通り道にいる人々は振り返った。そして、もっと近くで見たりサインを求めたりするために思い切って近寄りはしなかった。それほどまでに怪物は神秘的で尊大な雰囲気をまとい、ぼんやりした目つきで、映画好きによく知られたスフィンクス*のようだった。
*グレタ・ガルボ

献辞の宛先

街中でヌレエフに気づいた一般人が近寄る場合の動機として挙げられた"lui demander une dédicace"は、直訳すると「彼に献辞を求める」。つまり、ここでいう献辞とは、一般人からヌレエフにでなく、ヌレエフから一般人に渡るもの。一般人が有名人からもらいうる献辞としてすぐに思い浮かぶのは、「誰それへ愛をこめて、ルドルフ」といった言葉が書かれた紙。これを求める言葉とは、一般人が有名人に呼び掛ける言葉としてはきわめてありふれた、「サインください!」だろう。

ヌレエフの雰囲気と近寄らない人々の関係

ヌレエフが人を寄せ付けない雰囲気だったという文の前にtant(それほどに)があるので、この雰囲気こそが人々が寄ってこない原因だと分かる。この言葉がないと、有名人のプライベートを乱さないという思いやりのせいだとも受け取れる。せっかくプティの考えが明快なのだから、訳文でもそのまま伝えておきたい。

同行者が訪問先を間違える?

『密なる時』P.85:
彼は家族との再会や子供時代を過ごしたキーロフ劇場の訪問に深く感動したとのことだった。
プティ原本:
Il est très ému de retrouver sa famille, de revoir le Kirov, le théâtre de son enfance.
Telperion訳:
彼は家族と再会し、少年時代の劇場であるキーロフを再訪して、とても心を動かされた。

1987年にヌレエフがソ連に家族に会うために一時帰国したとき同行したロッシュ=オリヴィエ・メーストルから聞いた話を書いているプティ。原文のここだけ読むと、これはメーストルの談話とも、それを聞くプティの説明とも取れる。一方、新倉真由美は「とのことだった」と追加したので、メーストルの談話にしか見えない。

実は、この文がメーストルの語りをそのまま写したものでないということは、「キーロフを再び見る」から分かる。実際にはこの旅行でヌレエフが行ったのは、飛行機の乗り継ぎに使ったモスクワ、そして最終目的地のウーファだけだったのだから。一時帰国で見た劇場とはウーファのオペラ座。ウーファに縁がないプティの頭の中で、そこの劇場が名高いキーロフ劇場にすり替わっても不思議はない。しかしヌレエフに同行したメーストルが、ウーファのオペラ座とレニングラードのキーロフ劇場を取り違えるとは考えられない。だからこの文はプティ自身による説明なのだろう。

なお、キーロフを子供時代の劇場(le théâtre de son enfance)と呼んだのも、同じくプティがウーファを知らないゆえの勘違いに見える。ウーファで育ったヌレエフがキーロフに初めて来たのは17歳、すでにenfanceと言える歳ではないのではなかろうか。

あいまいな原文の場合、私は「プティがそう思ったんだろう、勘違いしても無理もない」ですませている。しかし、旅行の件で信頼性の高い証言を出せる立場のメーストルの話として、明らかに間違った「キーロフ劇場の訪問」が出てくるのは、かなり変だと思う。私はヌレエフの伝記を読むとき、「これは事実か、それとも誰かの推測か」とか「こう言ったのは誰か、その人の言うことは信頼できるのか」にはかなり神経をとがらせている。ヌレエフについて言われていることを全部信じようとすると収拾がつかなくなるせいだが、この場合に限らず、「誰がそれを言ったのか」は重要なことだと思う。それに関する情報を変えてほしくない。

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プロフィール

Author:Telperion
バレエへの関心が芽生えたのは2011年1月。その翌月に読んだ『ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影』は、そんな新参の私から見ても、間違いや意味不明な記述が多すぎました。その原因のほとんどが翻訳のひどさだと気づいたことからブログ開設を思い立ち、今は同じ訳者による邦訳本3冊を取り上げています。詳しくはこのブログでしたいこと 第3版をご覧ください。
フランス語の学習を始めたのは『ヌレエフ』に出会う少し前。まだまだ知識は浅く、至らぬところもあるでしょう。お気づきのことはぜひ知らせてください。リンクはご自由に。

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