伝記『ヌレエフ』の翻訳の検討

『ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影』(Bertrand Meyer-Stabley著、新倉真由美訳、文園社)と『ヌレエフとの密なる時』(ローラン・プティ著、新倉真由美訳、新風舎)の誤訳と改変。『バッキンガム宮殿の日常生活』(Bertrand Meyer-Stabley著、新倉真由美訳、文園社)の一部も対象

2012.11.13
フォンテーンは苦悩よりまず思いやりの人
2012.11.12
戦前は順調に暮らしていた父
2012.11.05
郵便局に並ぶ理由の強引な改変
2012.11.02
何も教えようとしない真の教師?
2012.10.21
ロシア革命が両親にもたらした恩恵

フォンテーンは苦悩よりまず思いやりの人

『ヌレエフ』P.156:
深い懊悩を背負うタイプの女性だったマーゴット・フォンテーンは、オレンジ色やラヴェンダー色を傷つけるのを恐れ、本当に好きな色はピンクだと告白したことは一度もなかった。
Meyer-Stabley原本:
Or Margot Fonteyn est le genre de femme qui, même sous la torture, n'avouerait jamais que le rose est sa couleur préférée de peur d'offenser l'orange ou le mauve.
Telperion訳:
ところがマーゴ・フォンテーンは、たとえ拷問されても、オレンジ色や藤色を傷つけるのを恐れ、ピンクがお気に入りの色だと明かさないタイプの女性だった。

フォンテーンがヌレエフと男女の仲だったのかについて自伝ではぐらかしたことを述べた後に続く文。

フォンテーンは苦しむタイプではない

原文ではまず「フォンテーンは~というタイプの女性だった」(Margot Fonteyn est le genre de femme qui)と切り出し、関係詞quiの後でフォンテーンの性格を説明している。その説明の主要な文はこれ。

  • ピンクがお気に入りの色だと決して告白しない("n'avouerait jamais que le rose est sa couleur préférée)

そして次の2つの語句が補足説明となっている。

  1. たとえ拷問されても(même sous la torture)
  2. オレンジ色や藤色を傷つけるのを恐れ(de peur d'offenser l'orange ou le mauve)

「たとえAであってもBである」という文では、本当に主張したいのはBであり、「たとえAであっても」はそれでもBは正しいと強調するための付け足しなのがほとんど。「たとえ拷問されても」は、好きな色を告白しないという意志がどれほど強いかを目立たせるための表現に過ぎない。

好きな色を告白しなかったのは現実か

原文には、「他の色を傷つけるのを恐れてお気に入りの色を告白しない」がフォンテーンに関する事実でないと思わせる仕掛けが2つある。

  1. 「お気に入りの色を告白しないタイプの女性だった」という言い方。告白しないのはフォンテーン自身というよりタイプの説明だと思わせる。
  2. 述語n'avouerait(告白しない)の時制が条件法現在。記事「最初の不協和音の前にスト?」でも書いたが、条件法は単なる断定文では使わない用法。条件法現在の用法の一つとして、現在の事実に反する仮定を述べるというのがある。英語でいう仮定法現在に当たる。

事実でないなら、比喩と捉えるのが自然だろう。この文で述べているのはフォンテーンの好きな色ではなく、他者を傷つけそうな本心を決して明かさないという性格。この文脈でMeyer-Stableyが言いたいのは、「フォンテーンは誰かを傷つけかねない告白を絶対しないのだから、ヌレエフとの男女関係を認めなくてもそれを信じることはできない」となる。

この文の出典

『Nureyev: His Life』(Diane Solway著)のペーパーバックP.298で、イギリスのバレエ評論家リチャード・バックル(Richard Buckle)によるフォンテーンの人物評が引用されている。出典は1969年3月30日のSunday Times紙。

She would never, even under torture, admit that pink was her favourite colour for fear of offending orange and mauve.

Meyer-Stableyがこの文をフランス語に訳し、「~というタイプの女性だった」と付け加えたことは明らか。仮定法現在の時制が述語"would never admit"で使われていることも分かる。

2014/1/29
大幅に書き換え

戦前は順調に暮らしていた父

『ヌレエフ』P.13:
薄給だった父親は、スターリンが少数民族の軍幹部を更迭したため大尉から降格された。
Meyer-Stabley原本:
Son père (dont la solde était misérable) sera cassé de son grade de capitaine après la guerre, lorsque Staline décidera de limoger de l'armée tous les cadres appartenant à des minorités ethniques. Mais en cette année 1938, l'Union soviétique de Staline lui semble providentielle.
Telperion訳:
父(その俸給は雀の涙だった)は、戦後スターリンが軍から少数民族の幹部を全員更迭することを決意したとき、大尉の位から降格されることになる。しかしこの1938年、父にとってスターリンのソ連は神の摂理に思えた。

ヌレエフが生まれた1938年当時の父ハメットについて。

ハメットはまだ降格されていない

ハメットが降格されるのが1938年より後なのは、原本では以下のことから分かる。

  1. 「(スターリンが)決意する」(décidera)と「(ハメットが)降格される」(sera cassé)の時制が直説法単純未来。つまりこれらは未来の出来事
  2. ハメットが大尉に昇進するのは第二次世界大戦中
  3. スターリンが更迭を決意するのは戦後(après la guerre)。文脈的に第二次世界大戦が終結した1945年以後

1938年のハメットが恵まれた環境にいたことは、原本でははっきりと書かれている。なのに新倉真由美はその文も、降格がまだ先のことだという言及も消してしまった。

ハメットの経歴を何度もみじめに描く新倉真由美

ハメットの経歴についての新倉真由美の扱いが不審なのは、ここだけではない。

これだけ積み重なると、新倉真由美は「ハメットは共産主義に期待したものの裏切られ、みじめな暮らしを送った」と信じているのではないかという疑いが湧いてくる。第二次大戦前のヌレエフ一家がささやかな幸せを満喫していたことは、レストランで息子の誕生を祝ったり(訳本P.12)、息子が映画館に忍び込んだり(訳本P.14)しているという描写からもうかがえるのだが。

郵便局に並ぶ理由の強引な改変

『ヌレエフ』P.280:
その後二番目の娘のリリアと彼女の夫と孫と共にウーファで二部屋にぎゅうぎゅう詰め込まれ、電話も置かず慎ましい年金で暮らしていた。ルドルフはできるだけ多く送金をしていたが、ソビエト政府はその半分を搾取していた。受け取りのため彼女はリューマチで効かない体で、郵便局に列をなして並んだ。
Meyer-Stabley原本:
Elle vit ensuite de sa maigre retraite avec sa deuxième fille Lilia, le mari de celle-ci et sa petite-fille. Ils s'entassent dans un deux pièces à Oufa. Farida, on l'a vu, ne dispose pas du téléphone. Percluse de rhumatismes, elle doit faire la queue à la poste. Rudolf lui envoie le plus d'argent qu'il peut mais le gouvernement soviétique en prélève la moitié.
Telperion訳:
その後は乏しい年金で次女リリア、その夫と娘とともに生活した。皆はウーファの2部屋のアパルトマンに詰め込まれた。すでに述べたとおり、ファリダは電話を持っていない。リューマチで動かない体で郵便局で並ばなければならない。ルドルフはできる限り多額の金を母に送ったが、ソ連政府はその半分を天引きした。

ヌレエフの母ファリダがソ連で送った苦しい生活について。

金を受け取るため列に並ぶという話はまったくない

原文では「ファリダは電話を持っていない」の次に「郵便局で並ばなければならない」と続く。だから列に並ぶのは電話を使うためだと推測できる。ところが新倉真由美は大なたを振るった。おかげで、列に並ぶ理由が電話のためとは、新倉本からは絶対に分からない。

  1. 「電話も置かず」を「乏しい年金で暮らした」の前に移動
  2. 「郵便局で並んだ」云々の文とその後の「ヌレエフが多額の送金をし、その半分が政府に横取りされた」の順序を入れ替え
  3. 原文にない「受け取りのために」を「郵便局で並んだ」の文に追加

「原本からは並ぶ理由が送金受け取りに見えない!こんな悪文は修正するのが翻訳者の使命!」くらいに思い込まなければ、ここまでの改変はできないのではないのか。なぜそうまでしてファリダが並ぶ理由を送金受け取りのためだと誘導するのか、見当がつかない。

電話がないことは前にも書いていた

"on l'a vu"は文字通りには「人がすでにそれを見た」だが、前に書いたことをまた取り上げる場合に使われる言葉。実際、ファリダが電話を持っていないことは、第13章に書いてある。

『ヌレエフ』P.223:
ファリダは電話をかけられず
Meyer-Stabley原本:
Farida n'a jamais pu obtenir le téléphone
Telperion訳:
ファリダは決して電話を入手できず

新倉本ではファリダが単なる機械オンチとも受け取れる。「知ってのとおりファリダは電話を持っていない」だった場合、読者は「はて、電話がないなんて書いてあったっけ」ととまどったかも知れない。

更新履歴

2016/5/13
諸見出し変更、感想追加

何も教えようとしない真の教師?

『ヌレエフ』P.29:
何も教えようとしないのですが、とても音楽的で非常に教養があり、ロシアのディアギレフバレエ団で踊っていた方でした」
Meyer-Stabley原本:
Elle n'avait jamais réellement enseigné, mais elle était très musicienne, fort cultivée, et avait dansé des années auparavant dans la troupe des Ballets russes de Diaghilev. »
Telperion訳:
実際には教えていたことはなかったが、とても音楽好きで大変教養があり、以前は何年もディアギレフのバレエ・リュスの一座で踊っていた」

生涯初めてのバレエ教師となるアンナ・ウデルツォーワとの出会いを語るヌレエフ。

教えていなかったのはヌレエフと知り合う前

文中の述語の時制は2種類ある。

直説法半過去
「音楽好きで教養があった」の述語était
直説法大過去
  • 「教えていなかった」の述語"n'avait enseigné"
  • 「踊っていた」の述語"avait dansé"

これは、「音楽的で教養があった」のはヌレエフがウデルツォーワを知った当時のことであり、「教えていなかった」と「踊っていた」がそれより過去のことだから。つまり、ウデルツォーワが「本当に教えたことはなかった」のは、バレエ・リュスで踊っていたのと同様、過去のことであり、ヌレエフと会った以降のことではない。

ただし、ウデルツォーワは子どもに教えた経験があると自ら語っている。「本当に教えたことがなかった」の意味は、私にはよく分からない。本人が自分を本職の教師だと思っておらず、素人の座興のようなスタンスだったのだろうか。

ロシア・バレエはバレエ団の名

ウデルツォーワがいた"Ballets russes de Diaghilev"は、そのまま訳せば「ディアギレフのロシア・バレエ」となる。しかし新倉真由美はひねった訳にでもしたかったのか、「ロシアのディアギレフバレエ」と語順を入れ替えた。

しかし、"Ballets russes"が20世紀前半にあった伝説的なバレエ団の名前だということは、「三日月クラシック」の記事の「P.232 そのロシアの誉れ高い~」の項にあるとおり。このバレエ団を「ディアギレフバレエ」と呼ぶのは聞いたことがない。

教えない人を真の教師呼ばわりする新倉訳

「何も教えようとしない」とその直前の「彼女こそ真の教師だったと言えます」(訳本より)は、あまりにも相容れない。それにウデルツォーワがヌレエフの才能を見込んでクラシック・バレエの基礎を教えることは、このあと書かれているとおり。

更新履歴

2016/5/13
バレエ・リュス関連の記述を増加

ロシア革命が両親にもたらした恩恵

『ヌレエフ』P.13:
結婚前父と母は畑仕事に励み一九二〇年代から共産党員になりました。その思想はとてもわかりやすかったからです。
Meyer-Stabley原本:
Avant leur mariage, mon père et ma mère avaient simplement travaillé dans les champs. Depuis les années 1920, tous deux étaient membres du Parti communiste, ce qui est bien compréhensible. Pour eux, la révolution était un miracle ;
Telperion訳:
結婚前、父と母は単に畑で働いていた。1920年代からは、2人とも共産党員だった。よく分かる。2人にとって、革命は奇跡だったのだ。

ヌレエフが語る、両親が共産党員になったいきさつ。

分かりやすいのは思想でなく両親の行動

"ce qui est bien compréhensible"は「よく理解できること」。これは前の文の言い換え。つまり、よく理解できることとは、両親が共産党員になったという事実。「理解できること」の前に"Parti communiste"(共産党)という言葉はあるが、共産主義を表す言葉がないことも、理解できることが思想でないということを示している。

単なる思想でなく実益があった共産主義

引用部分の後で「飢餓すれすれの生活から革命のおかげで脱出した」と書かれるのだが、これは思想ではなく、ヌレエフの両親に実際に起こった出来事。"avaient simplement travaillé dans les champs"(単に畑で働いていた)もそうだが、両親がかつて貧しい農民に過ぎず、その生活レベルが革命によって飛躍的に向上したことを、ヌレエフはめりはりのある表現で書いている。

引用最後の文「2人にとって革命は奇跡だった」は、訳本では省略されている。しかしこの文は、少し後で新倉真由美が「しかし奇跡は起きなかった」と訳した文につながるものなので、残すべきと私は考える。

2014/1/19
主に小見出しの追加
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Telperion

Author:Telperion
バレエへの関心が芽生えたのは2011年1月。その翌月に読んだ『ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影』は、そんな新参の私から見ても、間違いや意味不明な記述が多すぎました。その原因のほとんどが翻訳のひどさだと気づいたことからブログ開設を思い立ち、今は同じ訳者による邦訳本3冊を取り上げています。詳しくはこのブログでしたいこと 第3版をご覧ください。
フランス語の学習を始めたのは『ヌレエフ』に出会う少し前。まだまだ知識は浅く、至らぬところもあるでしょう。お気づきのことはぜひ知らせてください。リンクはご自由に。

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