伝記『ヌレエフ』の翻訳の検討

『ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影』(Bertrand Meyer-Stabley著、新倉真由美訳、文園社)と『ヌレエフとの密なる時』(ローラン・プティ著、新倉真由美訳、新風舎)の誤訳と改変。『バッキンガム宮殿の日常生活』(Bertrand Meyer-Stabley著、新倉真由美訳、文園社)の一部も対象

2012.11.30
シューズを投げたのは八つ当たりではない
2012.11.18
プログラム作りの苦労は負傷の原因とはいえない
2012.11.14
マリア・カラスとの比喩はヌレエフの弁明
2012.11.10
運命をゆさぶったのはヌレエフの所業ではない
2012.11.07
蜜月時代が終わったヌレエフとロイヤル・バレエ

シューズを投げたのは八つ当たりではない

『ヌレエフ』P.87:
そして白い胸飾りをつけ舞台袖にいた男性の方をめがけてバレエシューズを投げつけた。
Meyer-Stabley原本:
après quoi, dans les coulisses, il lance son chausson dans la direction de l'homme au plastron blanc.
Telperion訳:
その後舞台袖で、白い胸当てをした男性の方向にシューズを投げつけた。

ヌレエフが指揮者のテンポに腹を立て、「ラ・バヤデール」公演中に自分のヴァリアシオンを中断した後のこと。

舞台袖にいたのはヌレエフ

原文の"dans les coulisses"(舞台袖で)は、その後に続く文"il lance son chausson dans la direction de l'homme au plastron blanc"(彼は白い胸当てをした男性の方向にシューズを投げた)全体を修飾する。つまり、舞台袖にいたのは文の主語であるil(彼)、ヌレエフ。その前に「ヌレエフは舞台袖に引っ込んだ」とは書かれていないが、シューズを投げるくらい怒っていたヌレエフなら、そうすることが不自然ではない。

舞台袖にいたのが白い胸当てをした男性なら、"dans les coulisses"が"l'homme au plastron blanc"(白い胸当てをした男性)のはるか前に書かれるはずがない。直後に続くのが自然。

シューズを投げられたのは指揮者

シューズを投げられた男性には原文で定冠詞leが(縮約形l'の形で)ついているので、このときだけ書かれる無名の男性ではなく、特定された男性。この文脈で読者に既知の男性とは指揮者。指揮者に腹を立てたからそちらにシューズを投げる。短気な行為ではあるが、怒りの対象に向かって怒りをぶつけるという点では正当。

新倉本では、シューズを投げられたのは舞台袖にいる男性なので、オーケストラ・ピットにいる指揮者ではありえない。何ら落ち度のない人間が八つ当たりされたような言い方。

おまけ - 他の伝記の記述

キーロフ・バレエのパリ公演でヌレエフが指揮者と対立して取った行動については、私が頼っているヌレエフの伝記2冊にも書いてある。かいつまんで列挙してみる。

Diane Solway著『Nureyev: His Life』ペーパーバックP.147、ピエール・ラコット談
  • 『ラ・バヤデール』の公演中に舞台を出て行き、数分後に戻った
  • それ以前のリハーサル中にシューズを脱ぎ、威嚇的な動作をした
Julie Kavanagh著『Nureyev: The Life』ペーパーバックP.121、批評家ルネ・シルヴァン(René Sirvin)談
「ドレスリハーサルのとき、指揮者が違うバレエのふしを挿入したか、気に入るテンポで演奏しなかったせいかのせいで、ヌレエフがオーケストラを止めて指揮者に罵声を浴びせた」
同書ペーパーバックP.126、ピエール・ラコット談
「『白鳥の湖』の第3幕のヴァリアシオンで転んだヌレエフが舞台を出て行き、だいぶ経ってから戻った」

公演名が違っていたり(それとも2回も舞台から出て行ったのか?)、シューズを投げたという文は見当たらなかったりする。しかし、ヌレエフが本番中に舞台を飛び出したことや、指揮者といざこざがあったことは事実らしい。

更新履歴

2014/2/3
新倉本でヌレエフが落ち度のない人間に当たったように見えることに触れる
2016/5/8
諸見出し変更

プログラム作りの苦労は負傷の原因とはいえない

『ヌレエフ』P.136-137:
しかし公演のたびに四人のダンサーのためにプログラムを構成するのは次第につらくなり、案の定千秋楽の夜に事件が起こった。
Meyer-Stabley原本:
Il est déjà dur pour quatre danseurs de composer le programme de toute une soirée, mais voilà que la catastrophe se produite le dernier soir :
Telperion訳:
4人のダンサーにとって公演全部のプログラムを組むのはすでにつらかったが、そこに最後の夜に災難が起こった。

1962年1月にヌレエフ、エリック・ブルーン、ロゼラ・ハイタワー、ソニア・アロワという4人のスターが、共同で構成したプログラムの公演を行ったときのこと。この後、出演者の一人ブルーンが千秋楽直前に負傷し、出演を断念することが書かれる。

4人が作ったプログラムは1種類

前半の原文"Il est déjà ~ une soirée,"と新倉訳「しかし公演のたびに~つらかったが、」を見比べると、次のことに気づく。

  1. 原文のdéjà(すでに)に「次第に」という意味はない
  2. programme"(プログラム)は単数形
  3. "toute une soirée"は「1つの公演全体」。「すべての公演」という意味になるには、soirée(公演)が複数形にならなければいけない。

原文からは、4人が苦労して作ったプログラムは1つだと分かる。公演が複数回行われたのは後半の「最後の夜」という語句から明らかだが、プログラムは毎回同じだった。「すでにつらかった」とは、4人が苦労したのが公演開始前だったという状況を表している。

1つめの危機が2つめの危機の原因とは限らない

後半の"voilà que ~(直説法の文)"は、状況の変化を指して「ほら、~になった」のような意味で使われる。この場合は「初日前にはプログラム作りでへとへと、千秋楽前には出演者キャンセルのピンチ!」と危機感を煽っているのだろう。

しかし新倉訳の「案の定」にある「こんなことになったのは当然だ」という因果関係の主張は、原文からは読み取れない。実際、新倉訳と違い、プログラム構成は公演初日にはすでに終わっている。そんな過去の出来事が原因で千秋楽直前に負傷するのが予測可能なのか、私には疑問。

更新履歴

2016/7/13

マリア・カラスとの比喩はヌレエフの弁明

『ヌレエフ』P.245:
完璧でないという点ではよくマリア・カラスと比較される。彼女はよく間違えて歌うことがあったが、ドラマチックな役への集中度によって人びとの関心を集めた。
Meyer-Stabley原本:
Conscient de ses imperfections, il se compare à Maria Callas, qui chantait faux parfois mais qui forçait l'attention du public par l'intensité de son jeu dramatique.
Telperion訳:
自分の不完全さを自覚して、彼は自分をマリア・カラスにたとえた。カラスは時折調子はずれに歌ったが、劇的な演技の強烈さで聴衆の注意をいやでも引きつけた。

技量が最盛期を過ぎながらもヌレエフが現役続行にこだわるさまについて。

たとえたのは一般人でなくヌレエフ

"il se compare à Maria Callas"には2つの解釈が考えられる。

  1. 彼は自分をマリア・カラスにたとえる(比較する)
  2. 彼はマリア・カラスにたとえられる(比較される)

この場合は、以下の2点の理由から、1番目の解釈が妥当。つまりヌレエフをカラスにたとえているのは、世間一般ではなくヌレエフ自身。

  1. 分詞構文「不完全さを自覚して」の存在
    分詞構文"Conscient de ses imperfections"(彼の不完全さを自覚して)の主語は、主文の主語であるヌレエフ。付随する分詞構文でヌレエフの考えを書いているのだから、主文もまたヌレエフの考えだと見るのが自然であり、「ヌレエフは不完全さを自覚して、マリア・カラスにたとえられた」ではちぐはぐに見える。新倉真由美は「自覚して」を無視することでこのちぐはぐさを解消しているが、それよりは原文の一部を無視しなければ成り立たない解釈を疑うべき。
  2. 引用文の文脈
    この引用文は、周囲から引退をほのめかされ始めたヌレエフが反論するさまがいろいろ書かれた後に来る。だからこれもヌレエフの反論ととらえるのが自然。「カラスだって間違えるが聴衆の心をとらえたではないか、私だってまだまだ観客を感動させられる」という主張なのだ。実際、この少し前でヌレエフは「若いダンサーは私よりテクニックが上でも深みがない」と言っている(訳本P.244)。

Meyer-Stableyは第13章でヌレエフの踊りがいかなるものかをかなり頑張って書いている。本気でヌレエフとカラスの比較をするつもりなら、そちらに書いたのではないだろうか。

マリア・カラスの歌いぶり

  • intensitéは「集中」でなく「強烈さ、激しさ」など。
  • jeuは「ゲーム、競技、演奏」などさまざまな意味があるが、ここで合いそうなのは「演技」だろう。行為を指す言葉なので、「役」ではない。

intensitéを「集中度」と呼べない以上、intensité(強烈さ)とjeu(演技)をつなぐ前置詞deは、一番よくある「~の」という意味でよいと思う。

更新履歴

2016/5/8
諸見出し変更

運命をゆさぶったのはヌレエフの所業ではない

『ヌレエフ』P.59:
しかし一九五八年夏、この悪しき天才は輝かしい運命のカードを急いでかき回してしまった。八月キーロフのバレエ団は分散してしまったのだ。
Meyer-Stabley原本:
Mais en cet été 1958 un mauvais génie s'empresse de brouiller les cartes de ce destin trop brillant. Au mois d'août, la troupe du Kirov se disperse.
Telperion訳:
しかしこの1958年夏、あまりにも輝かしいこの運命のカードを魔物が急いでかき混ぜた。8月、キーロフの一座は散り散りになった。

ワガノワ卒業後にいきなりキーロフ・バレエのソリストになるという異例の抜擢をされたヌレエフが、危うく地方のウーファ・バレエに送られそうになる事件の前置き。

悪しき天才ではなく悪い精

"mauvais génie"をヌレエフだと見なして「悪しき天才」と訳すのは無理もない。実のところ、私自身も長らくそう思っていた。génieの意味として最初に挙げられるのは「天才」。それにMeyer-Stableyはヌレエフについて"mauvais caractère"(新倉真由美の定訳は「悪しき性格」)という表現をよく使うのだから。

しかし、よく見ると"mauvais génie"には不定冠詞unが付いている。もしヌレエフのことなら、特定された人物なのだから、定冠詞leを付けるはず。"mauvais génie"がヌレエフのことでないなら、「悪しき天才」という訳も見直す必要がある。

あらためて仏和辞書でgénieを引いたところ、génieには「妖精、守護神」などという意味もある。しかも"mauvais génie"が「悪さをする悪魔」という意味で載っていた(ちなみに反対語の"bon génie"は、直訳が「良い妖精」、転じて「守り神」)。

魔物の比喩が表すのは異動の衝撃

この文の後を読み進めると、ヌレエフがキーロフ・バレエから地元の小規模なウーファ・バレエに異動するよう命じられたことが分かる。ヌレエフがバシキール共和国から奨学金をもらっていたせいだとはいえ、この配置換えはヌレエフのあずかり知らぬところで決まったこと。急転直下な展開を魔物のしわざと言いたくもなるだろう。

ヌレエフはキーロフ・バレエを分散させていない

一方、新倉真由美の訳を読むと、ヌレエフが運命のカードをかき混ぜたのと、キーロフ・バレエが分散したことは密接に関係しているように見える。実際、「運命のカードをかき混ぜた」のすぐ後に「バレエ団が分散した」と続くのだから、そういう印象を持つもの無理はない。

しかし、実際にはキーロフ・バレエは解散も活動休止もなく存続している。それに8月に活動が停止するのは、欧米の芸術活動団体には普通にあること。現に、ヌレエフが8月に初めてモスクワを訪れたとき、劇場やコンサートホールは閉まっていた(新倉本P.37)。「三日月クラシック」の記事でも書いたが、やはりバレエ団の分散とは、ヌレエフがクリミアに出かけ、恐らく他のダンサーも思い思いの場所に休暇を過ごしに出かけたことを指すのだろう。

更新履歴

2016/6/17
「八月キーロフのバレエ団は分散してしまったのだ」を対訳に含める

蜜月時代が終わったヌレエフとロイヤル・バレエ

『ヌレエフ』P.218:
ルドルフはロイヤル・バレエ団には特別待遇で受け入れられたが、マーゴット・フォンテーン同様少しずつキャスティングから離れていくように見えた。
Meyer-Stabley原本:
Rudolf, qui a fait du Royal Ballet sa troupe d'accueil privilégiée, se voit peu à peu écarté des distributions, ainsi que Margot Fonteyn.
Telperion訳:
かつてはロイヤル・バレエを特権的に歓迎してくれる自分の一座にしていたルドルフは、マーゴ・フォンテーンと同様、少しずつキャスティングから遠ざけられた。

1970年にケネス・マクミランがロイヤル・バレエの監督に就任したことの影響。

異なる2つの時期

ヌレエフの説明である関係節"qui a fait du Royal Ballet sa troupe d'accueil privilégiée"の直訳は、「ロイヤル・バレエを恵まれた歓迎の彼の一座にしていた」といったところ。これを新倉真由美が「ロイヤルバレエに特別待遇で受け入れられた」と言い換えたのは上手いと思う。問題はその時制。

  • 関係節の述語"a fait"の時制は直説法複合過去
  • 主文の「少しずつ遠ざけられるように見える」(se voit peu à peu écarté)の述語voitの時制は直説法現在

つまり、ヌレエフとロイヤル・バレエが蜜月関係にあったのは、キャスティングが段々減っていく現在より過去の出来事。ヌレエフを優遇したのは、ロイヤル・バレエの創立者ニネット・ド・ヴァロワや前監督フレデリック・アシュトンであり、新監督マクミランではない。

"se voir"の注釈

"se voir ~"は「自分が~だと思う」「~される」両方の意味で使われる。1970年代にヌレエフとロイヤル・バレエの間に溝ができたのは、どうやら思い過ごしではなく事実なので、私は「遠ざけられた」を採用した。もっとも、「遠ざけられるように思えた」でも間違いではないだろう。

1970年代のヌレエフとロイヤル・バレエに関する他の資料

訳本を読むと、「特別待遇で受け入れられた」と「キャスティングから離れていくように見えた」は同時期に見える。このため、ヌレエフはロイヤル・バレエの舞台から引退した一方、運営に参加するようにでもなったのかと想像したくなる。しかし、ヌレエフの伝記『Nureyev: His Life』(Diane Solway著)や『Nureyev: The Life』(Julie Kavanagh著)を読む限り、1970年代のヌレエフとロイヤル・バレエは結びつきが弱まっただけように見える。

また、テレグラフ紙に載った舞踏評論家ジョン・パーシヴァルの訃報によると、1970年代のパーシヴァルはロイヤル・バレエにはなはだ批判的で、ロイヤル・バレエ経営陣の1人が「マクミランの足場を揺るがせ、代わりにヌレエフを据えようとする企てと見なしたもの」(what he saw as a plot to destabilise MacMillan and replace him with Nureyev)への不満をタイムズ紙で述べたほどだという。ヌレエフが1970年代に特別待遇されていたら、大のヌレエフびいきなパーシヴァルはそういう態度を取らなかったのではないだろうか。

ヌレエフ版「ロミオとジュリエット」初演からほのみえるロイヤル・バレエとの距離

訳本の後の方で、ヌレエフ版「ロミオとジュリエット」が1977年に初演されたことが触れられているが、Meyer-Stableyと新倉真由美の表現にはわずかな差がある。

『ヌレエフ』P.246:
ロンドンコロシアムで
Meyer-Stabley原本:
à Londres (mais au Coliseum)
Telperion訳:
ロンドンで(しかしコロシアムで)

この部分はヌレエフが1977年にマクミラン退任後のロイヤル・バレエの監督になれなかったことにからめての記述。だから、「しかしコロシアムで」は「しかしコヴェント・ガーデンでなく」と同じことであり、ヌレエフ版「ロミオとジュリエット」を初演したのがロイヤル・バレエでなくロンドン・フェスティバル・バレエだったことを惜しんでいるのだと想像できる。

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Telperion

Author:Telperion
バレエへの関心が芽生えたのは2011年1月。その翌月に読んだ『ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影』は、そんな新参の私から見ても、間違いや意味不明な記述が多すぎました。その原因のほとんどが翻訳のひどさだと気づいたことからブログ開設を思い立ち、今は同じ訳者による邦訳本3冊を取り上げています。詳しくはこのブログでしたいこと 第3版をご覧ください。
フランス語の学習を始めたのは『ヌレエフ』に出会う少し前。まだまだ知識は浅く、至らぬところもあるでしょう。お気づきのことはぜひ知らせてください。リンクはご自由に。

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