伝記『ヌレエフ』の翻訳の検討

『ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影』(Bertrand Meyer-Stabley著、新倉真由美訳、文園社)と『ヌレエフとの密なる時』(ローラン・プティ著、新倉真由美訳、新風舎)の誤訳と改変。『バッキンガム宮殿の日常生活』(Bertrand Meyer-Stabley著、新倉真由美訳、文園社)の一部も対象

2014.09.23
今ごろ気づいたゴーリンスキー記事の文法解釈間違い
2014.06.14
ブログ公開2周年
2014.05.21
『バッキンガム宮殿の日常生活』のチェック
2014.04.30
グレン・テトリー振付「~ピエロ」
2014.01.15
未完のフーガはヌレエフの人生を象徴するのか

今ごろ気づいたゴーリンスキー記事の文法解釈間違い

初期の「密なる時」記事は段落分けしかない長文が多く、読む気が失せがちです。構文解釈が長くなるのは仕方なくても、段落の分け方を見直すとか、各種タグで見た目に変化を付けるなどして、もう少し取っつきやすい文面にする余地はあると思います。それで最近、サンドル・ゴーリンスキーを題材にした指摘記事を大幅に手直ししましたが、そのとき文中の"il fallait"(必要だった)について、以前書いたことを読みました。段落を丸ごと書きます。

関係節の主語il(彼)はもちろんヌレエフ。「周囲の人間」のようなあいまいな存在を指すには代名詞onを使うのが普通。複数形の代名詞nous(私たち)やvous(君たち、あなたたち)やils(彼ら)は不特定の人々を指すこともあるが、単数形のilにそういう用法はなさそう。

…いやいやいや、"il faut ~"(~が必要である)は非人称代名詞のilのありふれた用法(原文がfallaitなのは時制の違い)。ilはそもそも人ではないので、特定の人か不特定の人かを熱く論じたのがすっかり空振りです。誰にとって必要だったのか、原文には書かれていません。

せめてもの幸いは、完成した訳文には影響が及ばなかったこと。はっきり「彼には必要だった」とは書かなかったし、原文は「彼は必要としていた」という解釈でも破綻しないので。

それでも、こんな初歩的な間違いをするとは恥ずかしい。新倉真由美が文法無視で単語を好き勝手に組み合わせるのをさんざん糾弾している手前、私自身は単語が文の中で果たす役目をきっちり把握しなければ立場がありません。しかも『密なる時』に手を広げた最初の記事だということに余計にがっかりです。原本を買ったのもあそこが何より気になったからなのに、出だしでいきなりしくじっていたとは。

記事を書き換えた結果、ilについて書く場所がなくなったので、間違いは修正する前に消失した感じです。でもフランス語学習歴4年未満の私に油断は禁物ということを肝に銘じるため、ここに記録しておきます。

ブログ公開2周年

また6月14日がやって来ました。このブログを公開して2周年。まさかバッキンガム宮殿の観光客気分でこの日を迎えるとは、つい数か月前ですら予想もつきませんでした。

『バッキンガム宮殿の日常生活』の原文比較

「バレエ翻訳家になりたい新倉真由美がこの本を訳したいとは思えない、やっつけ仕事に決まっている」と前から決めつけてはいましたが、それでも現物には圧倒されます。今読み比べているのは新倉本のたかだか18ページ半ですが、すでに15の記事を公開、あと軽く15は上乗せできそうです。当初は「ページ数が少ないのだから、今度こそどんな細かいミスでも遠慮せずに書こう」と決意していたのですが、どうしたものか。

今の私は、残りのページも読み比べたいという誘惑と戦っています。ええ、比べたいですとも。でも、『バッキンガム』はページ数も大きさも『ヌレエフ』を上回る一方、私は知っている仏単語の数が決定的に少なく、動詞の時制すら辞書で確かめることが多い。あまりに気が遠くなる作業です。そこまでして懸命に読むのは、英国王室本よりはAriane Dollfus著『Noureev : L'insoumis』のほうが楽しそうだし、2冊のヌレエフ本もないがしろにしたくありません。それでも、あと1~2章くらいは『バッキンガム』を読んでもいいかなと迷っていますが。

もしフランス語の原書を楽に読める人が新倉本とMeyer-Stabley本を比較してくれるなら、特に目立つ個所だけでも、数年がかりの列挙でも、私は喜んで読みに行きます。フランス語と翻訳と英国王室を同時に好きな人が多くなさそうなのがネックですが。

ヌレエフ本の記事についての今後の課題

1. 確証不足な個所を確定した記事に昇格させる

今年最初の記事にも書きました。私の実力だと実現には一苦労ですが、もちろん、私が一番やりたいのはこれです。

2. 『Noureev』について思うことも書く

これ、2013年最初の記事のときから、1月と6月に節目の記事を書くたびに言い続けています。なのに今まで果たせない理由は2つ。

  1. 新倉真由美訳のネタが多過ぎる。新規記事の頻度は減っても、上に書いた確証不足な個所について考えることは今もある。
  2. 何が正解とは言いづらい分野に踏み込むのはためらわれる。

それでも、「当時プルミエ・ダンスールだったマニュエル・ルグリ」とか、「ダニエル・エズラロー振付『In the Middle Somewhat Elevated』」とか書いてある愉快な本を、『ヌレエフ』訳者あとがきで新倉真由美が「膨大なデータに裏付けられた事実」とか何とか褒めちぎるのを読むのは、何ともむずかゆいものです。Meyer-Stableyが書いたことは『ヌレエフ』の中身と違うし、私は新倉真由美の絶賛が本心だと思いませんが、それ以外にも、そもそも原本がそれほどの本ではないと思うのです。バレエ素人の芸能記者にも伝記を書きたいと思わせるのは、ヌレエフの大きな影響力のたまものだし、私はMeyer-Stabley本をかなり楽しく読んでいます。でもヌレエフの貴重な参考文献としてすべて信じるのはお勧めできません。

3. 既存の記事を分かりやすく書き直す

私のブログの目的上、『ヌレエフ』や『密なる時』を読んだ人や読もうとしている人に分からない記事を書いては意味がありません。ただでさえ私のブログはフランス語が多くて取っつきにくいと思います。時間をかけない飛ばし読みでも、フランス語の文法を深く考えなくても、新倉真由美訳のどこがおかしいかを理解しやすい記事にする努力は、記事の公開後も続けたいです。

今のところ、『密なる時』の当初の記事の読みにくさが目立ちます。あの頃(2012年末から2013年初め)は私の記事の長文化が始まった一方、箇条書きや小見出しなど、要点を見やすくする工夫をろくにしていなかった時期なので。『ヌレエフ』優先で長らく後回しにしましたが、そろそろ手を付けたいです。

『バッキンガム宮殿の日常生活』のチェック

『バッキンガム宮殿の日常生活』(Bertrand Meyer-Stabley著、新倉真由美訳、文園社)の存在はずっと前から知っていましたが、原本と照合する気は長らく起きませんでした。理由はいくつもあります。

  1. バレエの専門家を自負していると思われる新倉真由美や文園社が本気で出版したがる題材に思えない。どうせ『ヌレエフ』出版の許可をもらいやすくするための抱き合わせに過ぎないのだろう。そんな邦訳本の出来など、初めから見当が付く。
  2. 著作例を見る限り、Meyer-Stableyは注目を集める芸能人の本を書くのをルーチンワークにしていると思う。邦訳の出来がどうであろうと、自分に印税が入るだけで満足するのではないか。
  3. 訳本がイギリス王室に無知丸出しだったとしても、私自身がやはり無知なのでなかなか気づけない。
  4. それに王室に思い入れもないので、その紹介本の出来をヌレエフ本のように真剣に案じられない。

でも、最近になって少し考えが変わりました。

  1. たとえ出版関係者が満足しても、読者はたまったものではない。かつて私が『ヌレエフ』を参考文献にしようとしたのに裏切られてがっかりしたことを思うと、わずかではあるが、他人ごとではないという気がする。
  2. 2冊のヌレエフ本からは、「新倉訳が間違いなのが明白」「原本と訳本のずれが大きい」の2点を満たす問題をこれ以上見つけるのは難しくなりつつある。記事を書くのに悩む必要がない誤訳を新たに『バッキンガム』から探すのは、簡単にできる気分転換になるかも知れない。

とはいえ、訳本の本文が348ページという厚い本を読むのは大変です。原書に金を出すのも私にはハードルが高く、どうせならAriane Dollfus著『Noureev: L'Insoumis』と格闘するほうがよほど楽しそうです。ところが、便利なものが見つかりました。『バッキンガム』に載っている原著のタイトルは『BUCKINGHAM PALACE AU TEMPS D'ÉLISABETH II』ですが、それと同じ2002年出版で、内容も同じと思われる『La Vie quotidienne à Buckingham Palace sous Elisabeth II 』が英アマゾンにあったのです。「LOOK INSIDE!」機能付きで!

ざっと見たところ、英アマゾンで公開されている原文は訳本にして約17ページ分。仏和辞書を引きまくる必要がある私にはこれでも手こずる量ですが、収穫を期待できる量でもあります。イギリス王室を知らない私が妥当な訳を提案できるかは自信がなく、記事に仕上げられる数には限りがありそうですが、ちょっとのぞいてみます。

グレン・テトリー振付「~ピエロ」

ええと、『ヌレエフ』や『密なる時』とは何の関係もないし、私に糾弾の意志はないのですが、それでも口に出さないと落ち着かないもので。

今ごろになって、『バレリーナへの道』No.95のヌレエフ特集第2弾の話です。その中にある多くの談話のなかでも、佐々木三重子のはとりわけ面白いひとつでした。そこでヌレエフのドキュメンタリー「芸術と孤高のダンサー ルドルフ・ヌレエフ」について説明した中で、こんな一文が。

さらに、バランシンの『アポロ』での野性的な踊りや、グレン・テトリーの『月のピエロ』、ポール・テイラーの『オーリオール』には目を見張った。

あの、「月のピエロ」じゃなくて「月に憑かれたピエロ」です。シェーンベルク作曲「月に憑かれたピエロ」を音楽に使っているのが名前の由来ですから。googleで「シェーンベルク 月のピエロ」とか「グレン・テトリー 月のピエロ」とかを検索すると、「月に憑かれたピエロ」表記の検索結果が大量に出てくるほどの定訳です!

定訳の素晴らしさ

シェーンベルクの「月に憑かれたピエロ」は連作歌曲集。私が唯一好きな無調音楽です。ためしに含まれる歌曲のいくつかを要約してみます。

第1曲 月に酔い
目で飲むワインが月から注ぎ、詩人は飲んで酔いしれる
第13曲 打ち首
月はトルコの半月刀。ピエロは月が自らの首を打ち落とすのを想像し、恐怖のあまり気絶する
第20曲 帰郷
月の光は船の舵、睡蓮は舟、ピエロは故郷に漕いでゆく

「月に憑かれた」は実に楽曲にかなった詩的な表現だと分かります。この邦題を考えたのが誰かは存じませんが、心底尊敬します。

翻訳の難しさ

「月のピエロ」はドキュメンタリー「芸術と孤高のダンサー」の字幕表記なのでしょう。この訳になっても仕方ないと思える要素がいろいろあります。

  1. 原題は"Pierrot Lunaire"で、素直に訳すと「月のピエロ」。lunaireの訳語としては「月の、月のような」の他にはせいぜい「突拍子もない」があるくらい。「月に憑かれた」はあの歌詞あってこその訳語で、何も知らずに生み出すのは無理です。
  2. オリジナルのドキュメンタリーで、テトリー振付"Pierrot Lunaire"の音楽がシェーンベルク作の同名の曲だと示していないかも知れません。だとしたら、バレエ名の由来があの曲だと気づくのは困難でしょう。
  3. 今では、googleに適当にキーワードを打ち込めば、的確な答えが返ることが多くなりました。しかし「芸術と孤高のダンサー」が発売された1991年は、googleは存在しないし、インターネットそのものが黎明期。調べ物の手間が今とは比較になりません。

オリジナルのドキュメンタリーにシェーンベルクの名がなかったという断定もできません。しかし、定訳調べの面倒くささは私自身が実感しています。google前の時代については、調査が行き届かなくてもとやかく言いにくいですね。「月に憑かれたピエロ」という邦題は大好きなので、ここでぶつくさ言っていますが。

未完のフーガはヌレエフの人生を象徴するのか

先日は「フーガの技法」のContrapunctus 14自体について結構語ったので、今日はもう少しヌレエフを絡めます。

選曲者の心境

葬儀で演奏される曲を選んだのが誰か、Solway本やKavanagh本を丁寧に読めば見つかるのかも知れませんが、今のところ私は知りません。しかしヌレエフは自分の埋葬場所を手配しておいたのだし、葬儀で朗読された詩もニューヨークタイムズ紙の記事によると"reportedly chosen by Nureyev"(聞くところではヌレエフが選んだ)なのだから、曲を選んだのも恐らくヌレエフなのでしょう。

あれほど壮大に展開しながら、「フーガの技法」の主題という中核を得ることなく中断されたContrapunctus 14。自分が成し遂げたことに誇りを持ち、そしてまだまだやり残したことがあるという気がなければ、自分の葬儀にこの曲は選べないのではないかと思います。ヌレエフはダンサーとしては舞台に立たなくなっていたとはいえ、新作バレエやら指揮やら、やりたいことをたくさん抱えていました。この曲を選んだ時にどれほど現世に後ろ髪を引かれていたのだろうと思うと、やるせなさを感じます。

ヌレエフの人生は完成しなかったのか

ところがその一方、今の私はKavanaghやMeyer-Stableyとは違い、Contrapunctus 14が未完であるほどにヌレエフの人生が未完だとは思わないのです。ヌレエフがもっと長生きしたらやはり密度の濃い時を過ごし続け、何十年たってもやりたいことを見つけ続けていたのではないか。そういう人の場合、人生が終わるのが54歳でも74歳でも、その完成度は変わらないのではないかと。

それと、あれほど自分の意思を通し続け、いろいろな障害をはねのけてきたヌレエフに、最後は病に倒されたという幕切れは何だか似合わないという思い込みがあります。我田引水かも知れませんが、その思い込みと関連して思い出すのが、プティの『Temps Liés avec Noureev』の結びとなる文です。

Dans ses orages, ses éclairs de génie, ses triomphes, le danseur arrêtait le temps.

嵐と稲妻のような才能と数々の輝かしい成功の中で、そのダンサーは時を止めてしまった。(『ヌレエフとの密なる時』P.102)

プティがヌレエフと共に踊った夢幻のような時が終わった後の文ですが、ヌレエフの人生そのものでもあるでしょう。プティはヌレエフがHIV陽性なのを知った時にショックを受けたに違いないと想像しているし、死が早過ぎるとも書いているのですが(『密なる時』ではP.97)、「時を止めた」と能動的な行為のようにヌレエフの死を書いているのですね。フランス語では普通な表現だという可能性がゼロではありませんが(とりあえずプログレッシブ仏和やラルース仏語では見つけていません)、興味を引かれます。プティとの踊りも、ヌレエフが自ら途中で切り上げたらしいのでした。

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プロフィール

Author:Telperion
バレエへの関心が芽生えたのは2011年1月。その翌月に読んだ『ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影』は、そんな新参の私から見ても、間違いや意味不明な記述が多すぎました。その原因のほとんどが翻訳のひどさだと気づいたことからブログ開設を思い立ち、今は同じ訳者による邦訳本3冊を取り上げています。詳しくはこのブログでしたいこと 第3版をご覧ください。
フランス語の学習を始めたのは『ヌレエフ』に出会う少し前。まだまだ知識は浅く、至らぬところもあるでしょう。お気づきのことはぜひ知らせてください。リンクはご自由に。

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