伝記『ヌレエフ』の翻訳の検討

『ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影』(Bertrand Meyer-Stabley著、新倉真由美訳、文園社)と『ヌレエフとの密なる時』(ローラン・プティ著、新倉真由美訳、新風舎)の誤訳と改変。『バッキンガム宮殿の日常生活』(Bertrand Meyer-Stabley著、新倉真由美訳、文園社)の一部も対象

指揮者活動への異論

『ヌレエフ』P.299:
単純に反復し棒を振り続けることは可能だ。しかしそれは彼ほどのスケールのアーティストをかなり情けないものにしてしまうのではないか。我々に多くの素晴らしいものをもたらした彼ほどの男が険しい山に登ろうとしているかのようだ」
Meyer-Stabley原本:
Alors, simple tentative de faire encore et encore parler de soi et de continuer à faire sonner le tiroir-caisse ? C'est possible, mais ce serait alors assez pitoyable qu'un artiste de cette envergure, qui nous donna tant de choses au temps de sa splendeur, s'embarque sur les chemins d'une Lola Montes. »
Telperion訳:
そして、単に延々と自分について語らせ、レジを打ち続けようとしているのだろうか。それは可能ではあるが、全盛期に多くを我々に与えてくれたこのスケールのアーティストがローラ・モンテスの道に乗り出すのは、相当哀れなことになるだろう」

1991年9月9日の『Le Quotidien de Paris』紙(訳本では新聞名が省略された)でヌレエフが指揮者として活動を始めたことに反対するジェラール・マノニ。

ヌレエフがしているように見えること

"tantative de ~"(~の企て)で~に当たるもの、つまりヌレエフがしようとしている(とマノニが推測している)ことは、次の2つ。

  1. 自分について何度も何度も語らせる(faire encore et encore parler de soi)。恐らく話題作り。
  2. キャッシュ・レジスターを鳴らし続ける(continuer à faire sonner le tiroir-caisse)。恐らく金儲け。

「棒」とか「振る」とか解釈できる言葉は原文にはない。

ローラ・モンテスは山ではない

マノニが言うLola Montesとは、20世紀にアメリカで活動したダンサーLola Montesのことだと思う。リンク先の記事によると、「2008年に90歳で死去」「2000年を最後に舞台から引退」とあるので、1991年当時、Montesは73歳で現役だったことになる。「ローラ・モンテスの道に乗り出す」(s'embarque sur les chemins d'une Lola Montes)という表現には、「表舞台に執着して晩節を汚すのはやめてくれ」というマノニの苛立ちがこめられているのだろう。

ちなみにインターネットでLola Montesを調べようとすると、19世紀に活躍したダンサーLola Montezの記述が大量に出てくるが、指揮者に転向しようとしている晩年のヌレエフを語るためにLola Montezが引き合いに出される必然性は、私には感じられなかった。

新倉真由美が「険しい山に登る」云々と書いたのは、Lola Montesがあまり知られていないことに加え、原文に「道に乗り出す」とあることと、Montesからmont(山)を連想したためではないかと思う。

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Author:Telperion
バレエへの関心が芽生えたのは2011年1月。その翌月に読んだ『ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影』は、そんな新参の私から見ても、間違いや意味不明な記述が多すぎました。その原因のほとんどが翻訳のひどさだと気づいたことからブログ開設を思い立ち、今は同じ訳者による邦訳本3冊を取り上げています。詳しくはこのブログでしたいこと 第3版をご覧ください。
フランス語の学習を始めたのは『ヌレエフ』に出会う少し前。まだまだ知識は浅く、至らぬところもあるでしょう。お気づきのことはぜひ知らせてください。リンクはご自由に。

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