伝記『ヌレエフ』の翻訳の検討

『ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影』(Bertrand Meyer-Stabley著、新倉真由美訳、文園社)と『ヌレエフとの密なる時』(ローラン・プティ著、新倉真由美訳、新風舎)の誤訳と改変。『バッキンガム宮殿の日常生活』(Bertrand Meyer-Stabley著、新倉真由美訳、文園社)の一部も対象

パリ・オペラ座バレエの御しにくさ

『ヌレエフ』P.251:
うまく管理されていないと言われていた。
Meyer-Stabley原本:
ingouvernable, dit-on partout.
Telperion訳:
統括不可能だと至る所で言われていた。

ヌレエフが監督に就任した当時のパリ・オペラ座バレエの評判。

ingouvenableの意味は「統治できない、手に負えない」で、統治する側ではなく、統治される側の資質。当時のパリ・オペラ座バレエがうまく管理されていなかったのは事実だろうが、それは管理する監督の手腕というより、管理されるバレエ団の問題であることが、ingouvernableという言葉で示されている。

この文の少し後(ページは同じ)で、原本では「経営陣や組合やダンサーのせいで多くの監督がやむなく辞職した」という意味の文があり、「統括不可能」のもう少し具体的な説明になっている。新倉真由美はその文を「組合や経営陣のせいで多くのダンサーが出演できなくなった」という意味に訳しているので(「三日月クラシック」の記事より「P.251 巨大な力を持つ~」の項を参照)、「うまく管理されていない」とあいまって、パリ・オペラ座バレエは無能な監督が続き、ダンサーは逆境に置かれたという印象が強くなっている。しかしこれはパリ・オペラ座バレエの実像ではない。

さまざまな本で書かれたダンサーたちの反抗的な態度

伝記『Nureyev: His Life』(Diane Solway著)のペーパーバックP.466-467では、当時のパリ・オペラ座バレエのダンサーたちの非協力的な態度が国外の振付家から悪評高いという例がいろいろ書かれている。

  • ヌレエフが監督に就任してまもなく招かれたデヴィッド・ビントレーは途中で引き上げた。
  • ルディ・ヴァン・ダンツィヒも途中で去ろうとしたが、ヌレエフの必死の懇願でなんとか踏みとどまった。
  • グレン・テトリーはダンサーたちの態度に期待が持てず、ヌレエフの依頼を辞退した。
  • フレデリック・アシュトンも同じ理由でヌレエフの依頼を断固拒否した。

ビントレーとヴァン・ダンツィヒについては、伝記『Nureyev: The Life』(Julie Kavanagh著)ペーパーバックP.582でも記されている。

Meyer-Stabley本にも、ダンサーたちが監督となったヌレエフへの反抗を繰り返したエピソードは、「宣戦布告に等しい遺憾の意や「「白鳥の湖」をめぐる抗議と遅れの因果関係」を始め、いくつもある。

さらには、ヌレエフが監督になる前の1980年には、ニューヨークツアーが企画されたが、ヌレエフを目玉のゲストに迎えたことがダンサーたちの怒りを買い、組合がストライキを武器に企画をつぶしている(Solway本ペーパーバックP.451、Kavanagh本ペーパーバックP.535)。

訳本P.250では、ヌレエフが監督になる前のパリ・オペラ座ではオペラ上演が優先され、バレエは軽視されているという現状をヌレエフが語っている。我の強いダンサーたちに突き上げられ、上層部の協力もわずかとあっては、当時のバレエ監督の苦労がしのばれる。

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Author:Telperion
バレエへの関心が芽生えたのは2011年1月。その翌月に読んだ『ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影』は、そんな新参の私から見ても、間違いや意味不明な記述が多すぎました。その原因のほとんどが翻訳のひどさだと気づいたことからブログ開設を思い立ち、今は同じ訳者による邦訳本3冊を取り上げています。詳しくはこのブログでしたいこと 第3版をご覧ください。
フランス語の学習を始めたのは『ヌレエフ』に出会う少し前。まだまだ知識は浅く、至らぬところもあるでしょう。お気づきのことはぜひ知らせてください。リンクはご自由に。

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