伝記『ヌレエフ』の翻訳の検討

『ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影』(Bertrand Meyer-Stabley著、新倉真由美訳、文園社)と『ヌレエフとの密なる時』(ローラン・プティ著、新倉真由美訳、新風舎)の誤訳と改変。『バッキンガム宮殿の日常生活』(Bertrand Meyer-Stabley著、新倉真由美訳、文園社)の一部も対象

逃れたという事実が思い込みのような扱い

『ヌレエフ』P.181-182:
「僕はこの奇妙なサンドイッチ状態から解放され、悪ふざけから逃れたと思っていました」
しかし彼らは真剣に彼を誘惑していたのだ。
Meyer-Stabley原本:
Rivera se souvient qu'il « s'est dégagé comme il a pu de cette bizarre prise en sandwich et s'en est tiré par une blague ». Mais il demeure convaincu que, plaisanterie mise à part, ils ont sérieusement tenté de le séduire.
Telperion訳:
リヴェラは「この奇妙な挟み撃ちからできる限り逃れ、冗談で切り抜けた」と思い起こす。しかし彼は、冗談は別にして、2人が本気で誘惑しようとしたと今も信じている。

アメリカの芸能人ジェラルド・リヴェラが語る、ヌレエフとミック・ジャガーに誘うそぶりをされたときのこと。出典はジャガーの暴露本『Jagger Unauthorized』(Christopher Andersen著)で、邦訳本『ミック・ジャガーの真実』(小沢瑞穂訳)も出ている。

リヴェラにとっての事実は逃れたこと

リヴェラが自分の話をどのように語ったかは、2つの述語で表されている。それぞれの述語、その述語の対象となる内容を並べるとこうなる。

覚えている(se souvient)
  • 逃れた(s'est dégagé)
  • 窮地を切り抜けた(s'en est tiré)
確信したままでいる(demeure convaincu)
  • 2人が本気で誘惑しようとした(ils ont sérieusement tenté de le séduire)

このことから次の事が分かる。

  • 逃れたのはリヴェラにとって事実
  • 誘惑されかけたのはリヴェラにとって自説

実際にあったことに疑問の余地がないからこその「覚えている」。いくら自信があっても、明白な事実でなく自分の考えだからこその「確信した」なのだ。

新倉真由美にとっての事実は誘惑されたこと

一方、新倉真由美は「逃れた」と「彼を誘惑しようとした」をどう扱ったか。

  • "demeure convaincu"に当たるらしい「と思っていました」が、「誘惑しようとした」でなく「逃れた」に付いた
  • 「誘惑しようとした」が「誘惑していた」になった

これではまるで、リヴェラが2人に誘惑されたのは明白な事実で、逃れたと思ったのはリヴェラのはかない勘違いのように見える。

しかも事態を悪化させているのが、リヴェラが続いて語る仮定上の同性愛体験が実体験のように訳されたこと。おかげでリヴェラが性犯罪の被害者に見える。

更新履歴

2014/1/24
箇条書きや小見出しの導入を中心に書き換え

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Telperion

Author:Telperion
バレエへの関心が芽生えたのは2011年1月。その翌月に読んだ『ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影』は、そんな新参の私から見ても、間違いや意味不明な記述が多すぎました。その原因のほとんどが翻訳のひどさだと気づいたことからブログ開設を思い立ち、今は同じ訳者による邦訳本3冊を取り上げています。詳しくはこのブログでしたいこと 第3版をご覧ください。
フランス語の学習を始めたのは『ヌレエフ』に出会う少し前。まだまだ知識は浅く、至らぬところもあるでしょう。お気づきのことはぜひ知らせてください。リンクはご自由に。

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