伝記『ヌレエフ』の翻訳の検討

『ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影』(Bertrand Meyer-Stabley著、新倉真由美訳、文園社)と『ヌレエフとの密なる時』(ローラン・プティ著、新倉真由美訳、新風舎)の誤訳と改変。『バッキンガム宮殿の日常生活』(Bertrand Meyer-Stabley著、新倉真由美訳、文園社)の一部も対象

ダンサーは政府の答弁を予習するか

『ヌレエフ』P.77:
ヨーロッパ内の会合でソヴィエト連邦側がどう答えるか。
Meyer-Stabley原本:
que dire de l'Union soviétique aux Occidentaux rencontrés.
Telperion訳:
出会った西側の人間にソ連についてどう言うか。

パリ、ロンドン、アメリカに及ぶキーロフ・バレエの大規模なツアーの前に、ヌレエフを含め、参加するダンサーたちが受けたさまざまな指示の一つ。

Occidentaux rencontrésのどちらが他方を修飾するのか

"Occidentaux rencontrés"を新倉真由美は「ヨーロッパ内の会合」と訳している。「会合」を意味する名詞rencontrésを形容詞Occidentauxが修飾するという解釈だと分かる。

ところが、rencontréは動詞rencontrer(出会う)の過去分詞であり、「出会い、会見」を意味する名詞rencontreではない。rencontrésが名詞でないのだから、名詞なのはOccidentauxのほう。フランス語では名詞より後に形容詞が続くのはごく普通。

名詞Occidentaux(の単数形Occidental)の意味は、仏和辞書によると「西洋人、欧米人」。原本を読む限り、Meyer-StableyはOccidentを「西側」、つまりソ連や追随する東欧諸国と対立するアメリカや西欧諸国という意味で使っているようなので、Occidentから派生した言葉であるOccidentalも、西側諸国の人間という意味だろう。

答えるのはソ連政府でなくダンサー

"dire de l'Union soviétique"は「ソ連について言う」。ソ連が言うのではない。

フランス語では「~についてどう思うか」という疑問文で"dire de ~"を使うが、ここでは「出会った西側の人間に」(aux Occidentaux rencontrés)が続くので、文字どおりの「~についてどう言うか」のほうが文脈に合う。

新倉真由美の文の不自然な点

ダンサーたちが指示されたこととして、訳本では上の引用の他に2つが挙げられている。

  • 誰とどこに外出するか
  • 記者会見で何と答えるか

これらと違い、「ソヴィエト連邦側がどう答えるか」はダンサーたちがするべき行為ではない。「ソ連政府がどう答えるかについて、ダンサーたちが何を知っておくか」と補足できないわけではないが、政府の動向を部外者のダンサーがあらかじめ知っていることなど、誰も期待しなさそうに思える。

更新履歴

2012/11/18
「新倉真由美の文の不自然な点」部分を加筆
2014/1/18
小見出しの追加など、分かりやすさを念頭にいろいろと書き換え

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Telperion

Author:Telperion
バレエへの関心が芽生えたのは2011年1月。その翌月に読んだ『ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影』は、そんな新参の私から見ても、間違いや意味不明な記述が多すぎました。その原因のほとんどが翻訳のひどさだと気づいたことからブログ開設を思い立ち、今は同じ訳者による邦訳本3冊を取り上げています。詳しくはこのブログでしたいこと 第3版をご覧ください。
フランス語の学習を始めたのは『ヌレエフ』に出会う少し前。まだまだ知識は浅く、至らぬところもあるでしょう。お気づきのことはぜひ知らせてください。リンクはご自由に。

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