伝記『ヌレエフ』の翻訳の検討

『ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影』(Bertrand Meyer-Stabley著、新倉真由美訳、文園社)と『ヌレエフとの密なる時』(ローラン・プティ著、新倉真由美訳、新風舎)の誤訳と改変。『バッキンガム宮殿の日常生活』(Bertrand Meyer-Stabley著、新倉真由美訳、文園社)の一部も対象

マーキュリーとの恋愛は本当? - オカルト証言

Meyer-Stableyの『Noureev』には、ヌレエフといろいろなセレブの恋愛関係の話も出てきます。ほとんどの場合、関係はごく一時的なものらしく、真偽ははっきりしません。私は信じるとも信じないともつかない態度でいます。でもフレディ・マーキュリーの名前にだけは、そういう生ぬるい気分になれません。

ヌレエフがマーキュリーを看取ったという説明

Meyer-Stableyはヌレエフとマーキュリーの関係にそれなりの行数を割いています。そのなかにこうあります。

『ヌレエフ』P.183:
一九九一年マーキュリーが逝去したとき、ヌレエフは彼に寄り添っていた。
Meyer-Stabley原本:
Lorsque Mercury décédera en 1991, Noureev sera à ses côtés.

誰がそう言ったのかははっきり書いてありません。でも、Meyer-Stableyがヌレエフとマーキュリーの関係の証人として挙げた名前は次の2つ。

Yuri Matthew Ryuntyu(新倉本ではユーリ・マチュー・リュンチュ)
1999年6月22日付のDaily Express紙で、ヌレエフとマーキュリーが情熱的な関係だったと証言。
Retwick Whitaker(新倉本ではレトウイック・ホワイトカー)
マーキュリーの死を悲しむヌレエフの手紙を受け取ったと証言。

逝去つながりということで、「逝去の時ヌレエフが寄り添っていた」の情報源はWhitakerかなと私は思います。

反証のほうがすぐ見つかる看取り説

でもクイーン関係で調べると、そういう話がまったく出てこないことは、すでに「三日月クラシック」のミナモトさんが「続・フレディとヌレエフ」で書いたとおり。私も追加します。

2011年9月9日付のDaily Mail紙の記事
歌手Dave Clarkがフレディをしのびます。マーキュリーが世を去ったとき同じ家にいたのは、Clarkの他にはJoe Fanelli、Peter Freestone、Jim Huttonとあります。
『フレディ・マーキュリーと私』(ジム・ハットン著、島田陽子訳、ロッキング・オン)
フレディの恋人による回想。ここでも同じ家にいたのは上と同じ顔触れのようです。ちゃんと読んでいないので、「ジョー」がJoe Fanelliのことだと断定できませんが。

直接読んだRyuntyuの看取り説

さて、もうだいぶ前になりますが、ひょんなことからYuri Matthew Ryuntyuのサイトを見つけました。在住するオーストラリアで2009年に『ROCK IDOL & SUPERSTAR: Freddie Mercury and Rudolf Nureyev』を出版したそうです。私が初めてRyuntyuのサイトを訪れたときは、その本の一部をPDFファイルとして読むことができました。ええ、びっくりしました。あまりのうさんくささに。

残念ながら、今ではRyuntyuのサイトからその抜粋は読めません。でもファイルは手許にダウンロードしてあるので、少し引用します。抜粋全文に興味がある方は、うまく検索すれば、丸ごと転載したブログに行きあたるかも知れません。広く紹介したい内容ではないし、著作権的に真っ黒なので、ここにはURLを載せませんが。

マーキュリー逝去前日の1991年11月23日、ヌレエフがオーストラリアにいるRyuntyuにパニック状態でかけてきた電話で言ったこと。

I feel telepathically that Freddie is at the threshold of death. This is about to happen.

テレパシーでフレディの死が近いことを察知したって…

There is no face of mine on the silver amalgam of my Venetian mirror – there is the face of my Freddie coming out of it.

自宅の鏡の中に自分でなくフレディの顔が見えたと。

It seemed he was calling from one of his islands...

マーキュリー逝去が報じられた後にヌレエフからかかったという電話の発信元は、どこかの島。リ・ガリかサン・バルテルミーかは分かりませんが。

At 7 pm of November 24, he … passed out.

ヌレエフの言葉から。ロンドンにはいなかったのに、最期をしっかり見届けたと。

オカルト看取り説に出くわした脱力感

そうか、ヌレエフは超自然的な力でフレディを見たから、その場にいた人たちは気づかなかったのか…って、当然のように受け入れろというんですか、その話。信じる前に、ヌレエフかRyuntyuの精神状態を疑うことに、私はまったく気が咎めません。

ま、疑うなら断然Ryuntyuのほうですね。Meyer-Stabley著『Noureev』、そしてDiane Solway著『Nureyev: His Life』や Julie Kavanagh著『Nureyev: The Life』を読む限り、当時のヌレエフが周りに正気を疑われたようには見えません。一方、Ryuntyuは地の文でも、Ryuntyuが描写するヌレエフと同じくらい興奮かつ混乱しているようです。

I knew. I know. I am sure. The next will be … Rudy NUREYEV.
知ってた。知ってる。確かだ。次は…ルディ・ヌレエフだ。(Telperion訳)

いちいちこういう大げさな書き方。読んでいて疲れます。

上に書いた通り、Meyer-Stableyが「彼に寄り添っていた」説をRyuntyuの証言から取ったとは限らないでしょう。1999年6月22日付のDaily Express紙ではRyuntyuはもっとまともに話していて、Meyer-Stableyは「いい証言が見つかった」と無邪気に採用したのかも知れません。でも、ただでさえ「いったいどこから看取り説が出たのさ」と疑わしく思っているところにあんなオカルト説が出てくるのでは、まともに考えるのがあほらしくなります。頭ごなしに否定してはいけないのかも知れません。でも、世間一般でもオカルト話は通常の証言と同等には扱われないものでしょう。

コメント

興味深く記事を読みました。

近年になってフレディ、クイーンが好きになって聴いていますので。

関心を持っていただき嬉しいです


クイーンはバレエよりはるかに愛好層が広いだろうから、怪しげな話の多さはヌレエフどころではないと想像します。でも私個人としては真偽不明とすら言う気になれない説に飛びつくとは、Meyer-Stableyはよほどフレディの威光にあずかりたかったのでしょうかね。

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Author:Telperion
バレエへの関心が芽生えたのは2011年1月。その翌月に読んだ『ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影』は、そんな新参の私から見ても、間違いや意味不明な記述が多すぎました。その原因のほとんどが翻訳のひどさだと気づいたことからブログ開設を思い立ち、今は同じ訳者による邦訳本3冊を取り上げています。詳しくはこのブログでしたいこと 第3版をご覧ください。
フランス語の学習を始めたのは『ヌレエフ』に出会う少し前。まだまだ知識は浅く、至らぬところもあるでしょう。お気づきのことはぜひ知らせてください。リンクはご自由に。

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