伝記『ヌレエフ』の翻訳の検討

『ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影』(Bertrand Meyer-Stabley著、新倉真由美訳、文園社)と『ヌレエフとの密なる時』(ローラン・プティ著、新倉真由美訳、新風舎)の誤訳と改変。『バッキンガム宮殿の日常生活』(Bertrand Meyer-Stabley著、新倉真由美訳、文園社)の一部も対象

良好な親子関係に貢献したチャールズ皇太子

『バッキンガム』P.297:
それはチャールズに起きた一つの奇跡である。
Meyer-Stabley原本:
Et l'on attribue une part de ce prodige à Charles.
Telperion訳:
そしてこの奇跡の一因はチャールズだとされている。

家庭のもめ事が多かった時期があるにもかかわらず、原書出版の2002年、チャールズと息子たちが普通に親子関係を築いていることについて。

奇跡の一部はチャールズが起こした

述語の動詞attribuerの意味

原文の述語として"attribuer A à B"という言い回しが使われている。仏和辞書には「AはBのものだとする、AをBに帰する」など、いくつかの意味が載っている。この場合、Aが"une part de ce prodige"(この奇跡の一部分)、BがCharles(チャールズ)なので、「Aの原因をBとする、AをBが作ったと見なす」という意味が最もふさわしい。

英語の動詞attributeもフランス語のattribuerとだいたい同じ意味。だからattributeを英和辞書で引くと、attribuerがどういう言葉かを理解しやすい。

奇跡の体験者を示すのでは存在意義がない原文

原文は「この奇跡の一部をチャールズのものだとする」とも訳せる。これを「この奇跡の一部はチャールズに起きた」と言い換えるというやり方もあるかも知れない。

しかし「この奇跡」はチャールズとウィリアムとハリーの関係のことなのだから、チャールズだけに起きたわけではないのは分かり切っている。「この奇跡の一部はチャールズに起きた」では、3人の自然な関係を述べた後に書き足す意味がない。

チャールズ以外の要素を消した新倉真由美

新倉真由美の「それはチャールズに起きた一つの奇跡である」は、「この奇跡の一部はチャールズに起きた」とも違う。 原文ではチャールズが関わるのは"une part de ce prodige"(この奇跡の一部)。他の部分はチャールズのものではない。全体としての奇跡は、チャールズと他の誰か(恐らくはウィリアムとハリー)のものとなる。

新倉真由美は「この奇跡の一部」を「一つの奇跡」と書き換えることにより、奇跡がチャールズだけに起きたということにした。でも「一つの奇跡」は奇跡全体を指すのだから、原文とは違う意味。

新倉真由美はこの文の少し前、「チャールズは冷たい親だと見なされていた」という意味の原文を「チャールズは冷たい親だった」と書き換えた。「チャールズは奇跡の原因」と思えなかったのも、「奇跡はチャールズだけのもの」と決めつけたのも、チャールズが冷たい親だったという確信と無縁ではないのかも知れない。

確かな事実としての書き方ではない原文

次の2点から、チャールズが奇跡の一部を生んだというのは世間一般による判断だと分かる。

  • 主語l'onは不特定の人々を指す代名詞
  • 述語attribuerには「誰かがこのように判断した」という含みがある

チャールズが冷たい親だったと確信している新倉真由美にとって、今の親子の仲が良いのは確かに奇跡。「不特定の人がそう判断している」というMeyer-Stableyの慎重な言い方は、無用の長物なのだろう。

でもMeyer-Stableyが書いているのは、良い親子関係への貢献度。確かな事実でなく、「不特定の人がそう判断している」という言い方になるのは、私には納得できる。

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Author:Telperion
バレエへの関心が芽生えたのは2011年1月。その翌月に読んだ『ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影』は、そんな新参の私から見ても、間違いや意味不明な記述が多すぎました。その原因のほとんどが翻訳のひどさだと気づいたことからブログ開設を思い立ち、今は同じ訳者による邦訳本3冊を取り上げています。詳しくはこのブログでしたいこと 第3版をご覧ください。
フランス語の学習を始めたのは『ヌレエフ』に出会う少し前。まだまだ知識は浅く、至らぬところもあるでしょう。お気づきのことはぜひ知らせてください。リンクはご自由に。

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