伝記『ヌレエフ』の翻訳の検討

『ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影』(Bertrand Meyer-Stabley著、新倉真由美訳、文園社)と『ヌレエフとの密なる時』(ローラン・プティ著、新倉真由美訳、新風舎)の誤訳と改変。『バッキンガム宮殿の日常生活』(Bertrand Meyer-Stabley著、新倉真由美訳、文園社)の一部も対象

職名のからかいが職員や絵画の侮蔑に激化

『バッキンガム』P.108:
女王の絵画保管者や美術品の専門家もいるが、絵画は芸術品ではなく保管者も専門家ではなかった。
Meyer-Stabley原本:
Enfin, on trouve à la fois un conservateur des tableaux de la reine et un expert en œuvres d'art, comme si les tableaux n'étaient pas de œubres d'arts, et comme si un conservateur n'était pas un expert...
Telperion訳:
最後に、女王の絵画保管人と芸術作品専門家が同時にいる。まるで絵画が芸術作品でなく、保管人が専門家でないかのように…。

王室に関わる笑える名前の肩書をいろいろ挙げた段落の最後。

原文が述べる2つの肩書の特性

最後に挙がる肩書は、"un conservateur des tableaux de la reine"(女王の絵画保管人)と"un conservateur des tableaux de la reine"(芸術作品専門家)。これらについてMeyer-Stableyが問題にした点を順に見ていく。

1. 2つの肩書が同時に存在する

これらの肩書は次の文の目的語として現れる。onは不特定の人を指すので、「onが~を見つける」は「~が見つかる」と置き換えてよい。

on trouve à la fois ~ (人々が同時に~を見つける)

「肩書が見つかる」とは肩書が存在するというだけのこと。でも"à la fois"(同時に)には注意してほしい。1つ1つの肩書が単独で変なのではなく、相反する肩書が2つとも存在することが変だとほのめかしていると考えられる。

2. 2つの仮定に基づくように見える

2つの肩書が同時に存在するという状況は、こう論評される。

  • comme si les tableaux n'étaient pas de œubres d'arts, (まるで絵画が芸術作品でないかのように)
  • et comme si un conservateur n'était pas un expert (そして保管人が専門家でないかのように)

"comme si + 時制が直説法半過去の文"は、比喩の表現「まるで~であるかのように」。実際、上の2文では直説法半過去の述語であるétaientとétaitが使われている。英語でいう"as if + 仮定法の文"に相当する。

つまり、Meyer-Stabley自身にとって、"comme si"に続く文、「絵画が芸術作品でない」や「保管人が専門家でない」は事実ではない。でも、2つの肩書が同時に存在するには、これらの前提が必要だと思っている。

2つの肩書が共存するのがおかしい理由

多分Meyer-Stableyが言いたいのは、具体的にはこうだろう。

  1. 絵画は芸術作品に含まれるのに、絵画の担当者と芸術作品の担当者が別にいるのはおかしい。芸術作品の担当者に絵画も扱わせるとか、「絵画」と「工芸」のように重複しない分類にするとか、もっと合理的なやり方があるはず。
  2. どちらの担当者も扱う品の専門家なのに、「保管人」と「専門家」と呼び分けるのはおかしい。どちらも「~保管人」または「~専門家」に統一するほうが合理的。

同じ段落の冒頭でMeyer-Stableyは、名前と実態と合わない肩書を冷やかしている。段落の最後でも、やはり肩書の名前そのものがかもし出すおかしさを語っている。

新倉真由美が原文の"comme si"をないもののように扱ったせいで、新倉本では「絵画が芸術作品でない」や「保管人が専門家でない」が事実になった。「王室所有の絵画に芸術的価値はない」「絵画保管人は素人」とは穏やかでない。新倉本P167-8では、王室が所有する一級の絵画が話題になっているのだが。

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Telperion

Author:Telperion
バレエへの関心が芽生えたのは2011年1月。その翌月に読んだ『ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影』は、そんな新参の私から見ても、間違いや意味不明な記述が多すぎました。その原因のほとんどが翻訳のひどさだと気づいたことからブログ開設を思い立ち、今は同じ訳者による邦訳本3冊を取り上げています。詳しくはこのブログでしたいこと 第3版をご覧ください。
フランス語の学習を始めたのは『ヌレエフ』に出会う少し前。まだまだ知識は浅く、至らぬところもあるでしょう。お気づきのことはぜひ知らせてください。リンクはご自由に。

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