伝記『ヌレエフ』の翻訳の検討

『ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影』(Bertrand Meyer-Stabley著、新倉真由美訳、文園社)と『ヌレエフとの密なる時』(ローラン・プティ著、新倉真由美訳、新風舎)の誤訳と改変。『バッキンガム宮殿の日常生活』(Bertrand Meyer-Stabley著、新倉真由美訳、文園社)の一部も対象

職員に尊敬されるのはダイアナでなくチャールズ

『バッキンガム』P.105:
王室で最も尊敬する人物、という調査ではチャールズ皇太子妃と僅差だった。
Meyer-Stabley原本:
Un sondage effectué parmi le personnel la désignerait comme la personne la plus respectée de la famille, suivie de près par le prince Charles.
Telperion訳:
職員の間で行われた調査では、王家のうち最も尊敬される人として選ばれた。少し後に続いたのはチャールズ皇太子である。

エリザベス2世が宮殿の職員にとって良い主人だという評判について。上でははっきり訳出しなかったが、最も尊敬される人として選ばれたのは彼女(désigneraitの前にある代名詞la)で、文脈からエリザベスと分かる。

ダイアナが批判の直後で尊敬されるという不思議

上の新倉真由美の文は、これだけ読むと普通に見える。でも、新倉本では前の文は次のとおり。

宮殿では皆、女王は気難しい〈主人〉ではないと口を揃えて言う。ダイアナ妃のように気まぐれではなく、マイケル・ケント公妃のようにお高くもなく、マーガレット王女のように疲れさせることもない。

女王と比べて評判が悪い3人のなかにダイアナが入っているのに、なぜ直後でダイアナが王家の中で最も尊敬されているのだろう。

もっとも、後で書くとおり、「宮殿では評判が悪くても一般社会では尊敬される」という答えを出すことはできる。でも私は、この文脈で一般の世論調査が出ることに納得が行かなかった。

まったくダイアナに味方しない原文

次点はチャールズ

原文で女王に続いたのは"le prince Charles"。新倉真由美は"la princesse Charles"とでも見間違えたのか? でも英語でダイアナを"Princess Charles"と呼ぶのは見かけないので、フランス語でも同じだろうと私は思うのだが。

調査の対象は職員

原文ではsondage(調査)の後に"effectué parmi le personnel"(職員の間で行われた)とある。さらに前に「宮殿では皆」とあるのだから、宮殿に勤務する職員のことだろう。

世論調査なら、ダイアナのほうがチャールズより人気が高いだろう。でもこれは職員の調査。どちらのほうが仕えやすい主人かという問いには、別な答えが返ってもおかしくない。

宮殿の職員の感想とおぼしき「ダイアナは気まぐれ」の直後に、職員の調査でダイアナが尊敬されるという結果が出るのは、いかにも不自然。でも単なる「調査」なら、広い世論調査だと受け取り、反対の結果を受け入れることは可能。「職員の調査」より「調査」のほうが、尊敬されるダイアナというイメージを作るには都合がいい。

エリザベスは明確に一位

原文最後の"suivie de près par le prince Charles"の直訳は「チャールズ皇太子によって近くで付いて来られ」。エリザベスにチャールズが付いてくるのだから、最も尊敬されるのがエリザベス、2番目に尊敬されるのがチャールズという順位ははっきりしている。

新倉真由美が選んだ言葉は「チャールズ皇太子妃と僅差だった」。これだと、エリザベスとダイアナの順位がはっきりしない。ダイアナが1位、エリザベスが2位という可能性もある。

漢字1つの問題だとしても

調査対象が訳されなかったのは、単に粗雑なだけかも知れない。ダイアナが1位にも見えるのは、新倉真由美自身も気づいていないかもしれない。「チャールズ皇太子」の後に「妃」が付かなかったら、私はこの記事を書かなかっただろう。それとて、漢字1文字のことでは、単なる誤植の可能性もある。

でも私は、「チャールズ皇太子妃」を善意で見てあげることができない。私は『ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影』を読みながら、「特定の一方向に偏った間違いが多すぎ!」と散々思ってきた。『バッキンガム宮殿での日常生活』の宮殿案内以外を読み始めたばかりの今、再びそう思っている。

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Author:Telperion
バレエへの関心が芽生えたのは2011年1月。その翌月に読んだ『ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影』は、そんな新参の私から見ても、間違いや意味不明な記述が多すぎました。その原因のほとんどが翻訳のひどさだと気づいたことからブログ開設を思い立ち、今は同じ訳者による邦訳本3冊を取り上げています。詳しくはこのブログでしたいこと 第3版をご覧ください。
フランス語の学習を始めたのは『ヌレエフ』に出会う少し前。まだまだ知識は浅く、至らぬところもあるでしょう。お気づきのことはぜひ知らせてください。リンクはご自由に。

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