伝記『ヌレエフ』の翻訳の検討

『ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影』(Bertrand Meyer-Stabley著、新倉真由美訳、文園社)と『ヌレエフとの密なる時』(ローラン・プティ著、新倉真由美訳、新風舎)の誤訳と改変。『バッキンガム宮殿の日常生活』(Bertrand Meyer-Stabley著、新倉真由美訳、文園社)の一部も対象

関係悪化の原因として語られるのはブルーンの感情のみ

『ヌレエフ』P.151:
ルドルフはすっかり有名人になってしまった自分の周辺で、エリックがあまり注目を浴びなくなるのを気の毒に思っていた。
Meyer-Stabley原本:
De plus, le Russe est devenu une telle célébrité qu'il est pénible pour Erik de sentir moins d'attention autour de lui.
Telperion訳:
その上、ロシア人があまりに有名人になったため、自分の周りでの関心のほうが低いと感じるのは、エリックにとってつらいことだった。

デンマークの名ダンサーであるエリック・ブルーンとヌレエフの関係が、恋愛としては成り立たなくなったことについて。

構文解析

原文の"il est pénible pour Erik de sentir ~"では、次の構文が使われている。英語にも同様の構文があるので、比べてみると理解しやすい。

フランス語
il est A(形容詞) pour B(名詞) de C (不定詞)
英語
it is A(形容詞) for B(名詞) to C (不定詞)
日本語の意味
CはBにとってAである。

原文に当てはめると、AからCまではこうなる。

形容詞A
pénible (つらい、耐えがたい)
名詞B
Erik (エリック)
不定詞C
sentir moins d'attention autour de lui (彼の周りでより少ない関心を感じる)

原本と新倉本が違う個所

感情の主はヌレエフでなくブルーン

さっき取り上げた文の先頭にあるilは仮主語に過ぎない。真の動作主、つまり少ない関心を感じているのも、その状況を苦痛に思うのも、前置詞pourの後に書かれたブルーン。

その前に「ロシア人(ヌレエフ)があまりに有名人になった」という文があるため、新倉真由美はその後に続く"il est pénible"を非人称構文ではなく「彼はpénibleである」と解釈したのではないかと思う。

ブルーンの悩みは深刻

pénibleの意味は「つらい、耐えがたい、苦しい」など。それほどの悩みは、ブルーンを案じるヌレエフより当事者ブルーンに似つかわしい。

仏和辞書やラルース仏語辞典を読む限り、pénibleに「気の毒に思う」という訳語は似合わない。「感情の主はヌレエフ」という思い込みから、感情の内容は同情だと新倉真由美が信じて訳語を考案したのかも知れない。

不確定な個所 - ヌレエフとブルーンのどちらの周りのことか

"moins d'attention"(より少ない関心)の後に続く"autour de lui"(彼の周りで)を新倉真由美は「ヌレエフの周りで」と解釈している。私自身は「ブルーンの周りで」だろうと思っており、それは私の訳にも出ている。でも、新倉真由美が間違いだとは言い切れないので、解釈が違うと書くだけにとどめておく。

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Author:Telperion
バレエへの関心が芽生えたのは2011年1月。その翌月に読んだ『ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影』は、そんな新参の私から見ても、間違いや意味不明な記述が多すぎました。その原因のほとんどが翻訳のひどさだと気づいたことからブログ開設を思い立ち、今は同じ訳者による邦訳本3冊を取り上げています。詳しくはこのブログでしたいこと 第3版をご覧ください。
フランス語の学習を始めたのは『ヌレエフ』に出会う少し前。まだまだ知識は浅く、至らぬところもあるでしょう。お気づきのことはぜひ知らせてください。リンクはご自由に。

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