伝記『ヌレエフ』の翻訳の検討

『ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影』(Bertrand Meyer-Stabley著、新倉真由美訳、文園社)と『ヌレエフとの密なる時』(ローラン・プティ著、新倉真由美訳、新風舎)の誤訳と改変。『バッキンガム宮殿の日常生活』(Bertrand Meyer-Stabley著、新倉真由美訳、文園社)の一部も対象

記念植樹あれこれ

『バッキンガム』P.55:
記念日を祝して植樹されることもあり、一九六一年にはインドのマロニエ通りができた。一九三五年一二月一二日にはメアリー王妃がアエスキュル・インディカを植え、同年ジョージ六世が即位した。チャールズとアンの誕生記念には樫の木を植えた。
Meyer-Stabley原本:
Certains arbres ont été plantés à l'occasion de célébrations d'anniversaires, tel cet Aesculus Indica mis en terre par la reine Mary le 12 décembre 1935 ; George VI fit de même l'année de son couronnement et deux chênes datent respectivement des naissances de Charles et d'Anne.
Telperion訳:
記念日を祝う機会に植えられた木もある。たとえば1935年12月12日にメアリー王妃が土に植えた、このアエスクルス・インディカだ。ジョージ6世は戴冠の年に同じことをし、2本のオークはそれぞれチャールズとアンの誕生に由来する。

インド・マロニエの並木道は記念植樹の例ではない

上の引用には、新倉本の「一九六一年にはインドのマロニエ通りができた。」に相当する原文がない。実は、対応する原文は引用の直前の文に含まれている次の語句。

Meyer-Stabley原本:
une avenue de marronniers d'Inde - les arbres rois du parc -, créée en 1961
Telperion訳:
1961年に造られた、庭園の木の王者たるインド・マロニエの並木道

記念植樹についてはこの文で初めて触れられ、最初の例となるのがメアリー王妃の植樹。前の文に書かれたインド・マロニエ通りが割り込んで、さも記念植樹で生まれたように書かれるのはおかしい。

インド・マロニエの並木道とメアリー王妃の植樹を結ぶ木

ただし、インド・マロニエ通りは記念植樹ではなくても、この文と無関係ではない。メアリー王妃が植えたのは「このアエスクルス・インディカ」(cet Aesculus Indica)。「この」が付いていることから、その前に書かれたインド・マロニエの並木道のものだと見当が付く。植樹の年が違うのだから、同じ木ではありえない。並木道の木である"marronnier d'Inde"の学名がAesculus Indicaなのだろう。実際、フランス語wikipediaの"Marronnier de l'Himalaya"の項では、"marronnier d'Inde"が"Marronnier de l'Himalaya"の別名、"Marronnier de l'Himalaya"の学名がAesculus indicaだとしている。

ジョージ6世の戴冠は文の主題ではない

構文解析

ジョージ6世に関する文は次のとおり。

George VI fit de même l'année de son couronnement

主語は言うまでもなく"George VI"。述部は次のように分けられる。

fit
動詞faire(する)の直説法単純過去「した」
de même
「同じように」という意味のイディオム
l'année de son couronnement
彼の戴冠の年

「同じようにした」とは、前の文にあるメアリー王妃の植樹を指している。つまりジョージ6世も植樹した。木の品種も同じだったのだろうと私は想像している。

どうやら新倉真由美は、"de même l'année"を「同年」と解釈したらしい。しかしこれだと、「形容詞même + 冠詞 l' + 名詞année」という並びになる。名詞を修飾する形容詞が、同じ名詞に付く冠詞の前に来ることはありえない。

新倉真由美の文の不自然さ

  1. 第1章の宮殿案内は小見出しでいくつかの部分に分かれているが、この文があるのは庭園を説明する部分。庭園の説明の中でさらに記念植樹に絞っている部分に、「ジョージ六世が即位した」は場違い。
  2. 1935年はジョージ6世の父ジョージ5世の治世。『バッキンガム』巻末P.365のエリザベスII世略歴からもそのことは分かる。「ジョージ6世が同年即位」はありえない。

チャールズとアンの記念樹を植えた人物は記載なし

チャールズとアンの誕生記念樹についての原文は次のとおり。

deux chênes datent respectivement des naissances de Charles et d'Anne
  1. 主語は"deux chênes"(2本のオーク)。
  2. 述語はdatentで、"dater de ~"(~から始まる、~にさかのぼる)という表現の一部。
  3. "datent de"に続くのは"les naissances de Charles et d'Anne"(チャールズとアンの誕生)。原文のdesは"de les"の縮約形。

ジョージ6世の文とet(そして)で結ばれてはいるが、2つの文は完全に独立している。チャールズとアンの誕生記念樹を植えた人物は書かれておらず、ジョージ6世とは限らない。

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Author:Telperion
バレエへの関心が芽生えたのは2011年1月。その翌月に読んだ『ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影』は、そんな新参の私から見ても、間違いや意味不明な記述が多すぎました。その原因のほとんどが翻訳のひどさだと気づいたことからブログ開設を思い立ち、今は同じ訳者による邦訳本3冊を取り上げています。詳しくはこのブログでしたいこと 第3版をご覧ください。
フランス語の学習を始めたのは『ヌレエフ』に出会う少し前。まだまだ知識は浅く、至らぬところもあるでしょう。お気づきのことはぜひ知らせてください。リンクはご自由に。

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