伝記『ヌレエフ』の翻訳の検討

『ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影』(Bertrand Meyer-Stabley著、新倉真由美訳、文園社)と『ヌレエフとの密なる時』(ローラン・プティ著、新倉真由美訳、新風舎)の誤訳と改変。『バッキンガム宮殿の日常生活』(Bertrand Meyer-Stabley著、新倉真由美訳、文園社)の一部も対象

ステート・ルームを訪問するのは読者

『バッキンガム』P.50:
訪問の様子を詳しく観察してみよう。
Meyer-Stabley原本:
Reprenons la visite en détail.
Telperion訳:
訪問を詳しく再開しよう。

宮殿で最も豪華な場所であるステート・ルームの数々を説明する部分から。

訪問とは読者とMeyer-Stableyの宮殿巡り

原文で使われている他動詞reprendreには、ここに載せきれないほどさまざまな意味がある。その中で「訪問を」につながりそうなのは「再開する」。reprenonsは一人称複数(私たち)に対する命令文の活用形なので、訪問を再開するのは読者とMeyer-Stabley。だから訪問とは、この章でMeyer-Stableyがしている仮想的な宮殿内部ツアーだと分かる。

新倉真由美はreprendreを「観察する」と解釈した。しかし、reprendreは「再び手にする」とか「回復する」とか、原状復帰の意味合いが強い言葉。「観察する」にそういうニュアンスはなく、「観察する」と言い換えられそうな意味は仏和辞書に見当たらない。

この文の直前には、国主催のパーティのときに王家の人々が白の客間から舞踏会の間まで、5つのステート・ルームを次々に訪れることが書いてある。このため、新倉真由美の文は、「王族たちが数々のステート・ルームを訪れる様子を観察してみよう」という意味に見える。しかしこの後で説明されるのは、ステート・ルームの詳細な外観。「訪問の様子を観察する」なのに、訪問者やパーティがまったく話題にならないのはやや不自然。

臨場感を高めるMeyer-Stableyの呼びかけ

バッキンガム宮殿の案内である第1章で、Meyer-Stableyは読者を宮殿に来た客、自分を客のガイドに見立てている。たとえば、私がこのブログで今まで引用した部分だけでも、次の個所は読者であるvous(あなた)の動作になっている。

「訪問を再開しよう」も、読者が宮殿を訪問中だという前提に立っている。この文の前でMeyer-Stableyは、王族の行列の他に、ステート・ルームの概要、"Table of the Grand Commanders"の来歴、ヴィクトリア時代のメンデルスゾーンやアルバート公の逸話を聞かせている。知識披露を終えて部屋巡りに戻るきっかけの文が、「訪問を再開しよう」なのだ。今度はステート・ルームの紹介が詳細になるので、「詳しく」(en détail)という形容が付いている。

臨場感の点で、「訪問の様子を観察」は「訪問を再開」より落ちる。その場で見るのでなく、たとえばテレビ中継を見る場合も使えるからだ。それに、自分が英国主催パーティのど真ん中にいるという想像はなかなかしにくいもの。仮にその場に自分がいると想像しても、物陰からそっと観察するという地味なイメージになりかねない。

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Telperion

Author:Telperion
バレエへの関心が芽生えたのは2011年1月。その翌月に読んだ『ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影』は、そんな新参の私から見ても、間違いや意味不明な記述が多すぎました。その原因のほとんどが翻訳のひどさだと気づいたことからブログ開設を思い立ち、今は同じ訳者による邦訳本3冊を取り上げています。詳しくはこのブログでしたいこと 第3版をご覧ください。
フランス語の学習を始めたのは『ヌレエフ』に出会う少し前。まだまだ知識は浅く、至らぬところもあるでしょう。お気づきのことはぜひ知らせてください。リンクはご自由に。

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