伝記『ヌレエフ』の翻訳の検討

『ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影』(Bertrand Meyer-Stabley著、新倉真由美訳、文園社)と『ヌレエフとの密なる時』(ローラン・プティ著、新倉真由美訳、新風舎)の誤訳と改変。『バッキンガム宮殿の日常生活』(Bertrand Meyer-Stabley著、新倉真由美訳、文園社)の一部も対象

トールチーフとブルーンがかつての恋人だという示唆

『ヌレエフ』P.127-128:
彼女は周知のとおりバイ・セクシュアルなエリックがタタール人に惹かれ、彼女のロマンスが終わってしまうかもしれないと思ったが、自分が紹介したダンサーを二人とも失うとは想像していなかった。
Meyer-Stabley原本:
Même si elle sait que sa romance danoise est terminée, qu'Erik, bisexuel notoire, ne peut qu'être attiré par le Tartare, elle peine à comprendre qu'en présentant les deux danseurs l'un à l'autre elle les perd tous les deux.
Telperion訳:
自分のデンマークのロマンスに終止符が打たれたこと、周知のバイセクシャルであるエリックがタタール人に魅了される以外にないことは知っていても、2人のダンサーを互いに紹介することで2人とも失うと理解するのは、彼女には難しかった。

マリア・トールチーフの仲介でヌレエフとエリック・ブルーンが知り合い、互いに相手に夢中になったことについて。ヌレエフとブルーンが合う前、ヌレエフとトールチーフはきわめて親密な関係だった。

以前私は記事「トールチーフとバランシンやブルーンの縁がヌレエフを魅了」でこう書いた。

トールチーフとブルーンが以前恋愛関係にあったことは、ヌレエフとブルーンが出会う場面でほのめかされている。

そのとき頭にあったのが、ここで取り上げる文。しかしトールチーフとブルーンの関係がほのめかされているのは、あくまで原本のこと。新倉真由美の文では違うということに今さら気づいたので、補足のために取り上げる。

根拠1. ロマンスの相手はデンマーク人

原本の記述

原本からの引用で一番注目してほしい個所は"sa romance danoise"(彼女のデンマークのロマンス)。「デンマークの」が付いているのは、相手がデンマーク人のブルーンだから。

すでにトールチーフは"la compagne du danseur Erik Bruhn"と呼ばれている。先ほど触れた記事では私はcompagneを「愛人」としたが、ラルース仏語辞典によると、男女関係でのcompagneはもっと重い意味で、妻または内縁の妻の位置を占める女性。"sa romance danoise"を読んだとき、原本の読者はすぐにブルーンのことだと悟ることができる。

新倉本の記述

しかし新倉本では、danoise(デンマークの)が訳されず、単なる「彼女のロマンス」になった。前のページで当時トールチーフとヌレエフが恋人同士だったことが書かれている一方、ブルーンはトールチーフの「仲間」。新倉本の読者が「彼女のロマンス」から思い浮かぶのはヌレエフとのロマンスしかない。

根拠2. ロマンスは過去のもの

新倉本の記述

新倉本でさらに追い打ちをかけているのが、「彼女のロマンスが」に続くのが「終わってしまうかもしれない」だということ。つまりこのロマンスは現在進行中だとされている。トールチーフの現在進行中のロマンスといえば、やはり相手はヌレエフになる。

原本の記述

原本で「終わってしまうかもしれない」に当たる述語は"est terminée"(終わった)。未来形でもなく、推測もなく、断定している。ヌレエフとのロマンスをこの時点でそう表現するとは思えない。

原本を厳密に読むと、最初にトールチーフとブルーンの関係が触れられるとき、「トールチーフはバランシンのかつての妻だった」(elle a été la troisième épouse de George Balanchine,)の後に、"ainsi que la partenaire et la compagne du danseur Erik Bruhn"(ブルーンのパートナーそして伴侶なのと同様に)と続いている。トールチーフとブルーンが親密だったのは、トールチーフがバランシンの妻だったのと同様、もはや過去のこと。「終わった」という表現に合う。

Solway本の記述

なお、Diane Solway著『Nureyev: His Life』ペーパーバックP.186-7には、トールチーフがヌレエフと出会うドーヴィルを訪れる1か月前にブルーンと破局したとある。別れ際にトールチーフがブルーンに「亡命したロシア人に会いに行くから。彼が私の新しいパートナーになるのよ!」という言葉を叩きつけたという逸話もあり、その出典はブルーンの生前に出版された伝記『Erik Bruhn: Danseur Noble』(John Gruen著)。著者John Gruenはブルーンに取材しているので、ブルーンの談話だと思われる。

トールチーフの懸念の違い

ロマンスの相手が原本ではブルーン、新倉本ではヌレエフ。このため、引用前半でトールチーフが予想したことに違いが生まれた。

Meyer-Stabley原本
トールチーフと別れて一人身になったブルーンがヌレエフに恋をする
新倉本
ブルーンがヌレエフに惹かれた結果、自分とヌレエフのロマンスが終わるかもしれない

どちらの本でも、トールチーフになかなか分からなかったのは、ヌレエフとブルーンが相思相愛になり、トールチーフが弾き出されること。

原本のほうが理解しやすいトールチーフの心境

原本の場合、「一人身になったブルーンが魅惑的なヌレエフを次の恋の相手にするとは分かっても、まさかヌレエフがブルーンに応えるとは思わなかった」という流れになり、すんなり納得できる。ヌレエフはまだ亡命したばかりで、同性愛志向は周りに知られていなかったのだから。

ところが新倉本では、予想した「ヌレエフとのロマンスが終わるかも知れない」と、想像しなかった「二人とも失う」が同じことを指すように見える。「想像したのかしなかったのか、どっちだよ」と言いたくなる。「『かも知れない』と予想はしても、予想が実現するとまでは思わなかったのかも」とか、「ヌレエフとブルーンが両思いにならなくても、トールチーフとヌレエフの仲は気まずくなるのかも」とかいう論理を考え付くことは多分できる。でも原本がそうでない以上、こういう推測は骨折り損でしかない。

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Author:Telperion
バレエへの関心が芽生えたのは2011年1月。その翌月に読んだ『ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影』は、そんな新参の私から見ても、間違いや意味不明な記述が多すぎました。その原因のほとんどが翻訳のひどさだと気づいたことからブログ開設を思い立ち、今は同じ訳者による邦訳本3冊を取り上げています。詳しくはこのブログでしたいこと 第3版をご覧ください。
フランス語の学習を始めたのは『ヌレエフ』に出会う少し前。まだまだ知識は浅く、至らぬところもあるでしょう。お気づきのことはぜひ知らせてください。リンクはご自由に。

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