伝記『ヌレエフ』の翻訳の検討

『ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影』(Bertrand Meyer-Stabley著、新倉真由美訳、文園社)と『ヌレエフとの密なる時』(ローラン・プティ著、新倉真由美訳、新風舎)の誤訳と改変。『バッキンガム宮殿の日常生活』(Bertrand Meyer-Stabley著、新倉真由美訳、文園社)の一部も対象

提案に耳を貸すそぶりだったヌレエフ

『ヌレエフ』P.290:
これが報道されたとき、ある若きエトワールはヌレエフにこう示唆した。
「彼は感じは良いがなんの経験もありません。カドリーユとして入団し、本当に上達すれば四年以内にはエトワールになれるでしょう」
Meyer-Stabley原本:
Et quand on rapporte alors à Noureev ce qu'une danseuse étoile de l'Opéra suggère : « Ce garçon est sympathique mais n'a aucune expérience. Il n'a qu'à entrer dans le corps de ballet comme simple quadrille et, s'il est vraiment doué, il peut devenir étoile en quatre ans », le Russe s'exclame, conciliant : « Mais il ne demande que cela ! Kenneth rêve d'entrer dans la troupe de l'Opéra et je veux qu'il travaille le style français. »
Telperion訳:
そして、当時オペラ座のある女性エトワールがほのめかしたことがヌレエフの耳に入った。「彼は感じが良いですが、何の経験もありません。単なるカドリーユとしてバレエ団に入りさえすればよいのです。もし本当に才能があれば、4年でエトワールになれます」。そのとき、ロシア人は妥協するように叫んだ。「しかし彼が頼んだのはそれだけだ! ケネスはオペラ座のバレエ団に入るのを夢見ていたし、私は彼にフランスのスタイルを勉強して欲しいのだ」

1989年7月前後、ヌレエフがパリ・オペラ座と何らつながりがないケネス・グレーヴェ(Kenneth Greve)をエトワールにしようとして総スカンを食ったときのこと。

ヌレエフの妥協発言が消された

原本と新倉本を見比べて最も目立つのはもちろん、この提案について知ったときのヌレエフの反応が新倉本では消えたこと。

ヌレエフの言葉からは、「エトワールでなくてもいい、パリ・オペラ座に入れたいだけだ」と要求を後退させたことが分かる。いきなりエトワールという当初のプランを押し通すのは無理そうだとヌレエフは悟っていたのだろう。conciliant(協調性がある、妥協的な)という形容詞を使ったMeyer-Stableyも、ヌレエフの妥協に気づいている。ヌレエフの言葉がなくてエトワールの提案だけでは、「ヌレエフの要求は理路整然と反対された」という意味にしかならない。

原本の一部を省略するのは出版界ではありふれたことらしく、新倉真由美と文園社に限ったことではない。しかし、ある発言だけを残し、その発言に本の主役がどう反応したかを消すのは、かなり変わっていると思う。私は新倉真由美が「他人のことなど歯牙にもかけないヌレエフ」像を誇張するのをいろいろ見てきた。そのせいで、ここでの省略を見て、ヌレエフの妥協的な態度が新倉真由美のヌレエフ像に合わないからではないかと勘繰ってしまう。

ヌレエフはエトワールの発言を人から聞いた

「まずカドリーユとして入団させるべき」という発言は、"ce qu'une danseuse étoile de l'Opéra suggère"(オペラ座のエトワールが示唆したこと)と説明してある。それをヌレエフに報告したのはon(不特定の人)。つまり、このエトワールはヌレエフに面と向かって進言したのではない。別の場所で言ったことを誰かがヌレエフにご注進した。

提案したエトワールが若いとは限らない

グレーヴェの待遇について示唆したのは、"une danseuse étoile de l'Opéra"(オペラ座のエトワール)とだけ書かれている。

  • "une danseuse étoile"なので女性。男性ならdanseuseでなくdanseurになる。冠詞もuneからunに変わるかも知れない。
  • 「若き」にあたる単語は原文にない。

1989年当時、現役の女性エトワールは定年の40歳未満なのだから、全員若いには違いない。でもダンサーの肉体能力はあまり長続きしないので、30歳を過ぎたら「若いダンサー」とは呼ばれないような印象がある。当時のパリ・オペラ座の場合、たとえば定年まで5年を切っていたフロランス・クレールやクロード・ド=ヴュルピアンを「若きエトワール」と呼ぶのが普通か、私には疑わしい。

「若きエトワール」だとクレールやヴュルピアンを候補から外したくなる一方、原文を読めば対象外と分かる男性のマニュエル・ルグリやローラン・イレールが候補に入ってくるのは、地味ながら気にかかる。いくら憶測しかできないとはいえ、少しの手掛かりでも大事に提示してもらいたいのは、私自身がヌレエフ時代のエトワールたちにある種の感傷を持つせいかも知れない。

更新履歴

2016/5/5
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Author:Telperion
バレエへの関心が芽生えたのは2011年1月。その翌月に読んだ『ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影』は、そんな新参の私から見ても、間違いや意味不明な記述が多すぎました。その原因のほとんどが翻訳のひどさだと気づいたことからブログ開設を思い立ち、今は同じ訳者による邦訳本3冊を取り上げています。詳しくはこのブログでしたいこと 第3版をご覧ください。
フランス語の学習を始めたのは『ヌレエフ』に出会う少し前。まだまだ知識は浅く、至らぬところもあるでしょう。お気づきのことはぜひ知らせてください。リンクはご自由に。

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