伝記『ヌレエフ』の翻訳の検討

『ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影』(Bertrand Meyer-Stabley著、新倉真由美訳、文園社)と『ヌレエフとの密なる時』(ローラン・プティ著、新倉真由美訳、新風舎)の誤訳と改変。『バッキンガム宮殿の日常生活』(Bertrand Meyer-Stabley著、新倉真由美訳、文園社)の一部も対象

なくてもいい報道に毎日向き合う女王

『バッキンガム』P.22-23:
彼女は荒れ狂う海の中の動かざる岩にも似て、マスコミの絶え間ない攻撃に向かい合う哲学者のようだ。彼らは情け容赦なく毎日朝食のたびに、女王自ら出演している連続ドラマに新たなエピソードを加え続ける。題して〈ウィンザー家のスキャンダル〉。
Meyer-Stabley原本:
Tel un roc isolé au milieu d'une mer démontée, elle fait front, philosophe devant les assauts répétés d'une presse impitoyable qui lui offre chaque matin au breakfast un nouvel épisode d'un feuilleton dont elle se passerait volontiers : «Scandale chez les Windsor.»
Telperion訳:
大荒れの海に取り巻かれるぽつんとした岩のように、彼女は立ち向かう。容赦ないマスコミが攻撃を繰り返す前で達観して。マスコミは毎朝の朝食のとき、女王にとってはなくても喜んでやっていける連続ドラマ「ウィンザー家のスキャンダル」の最新回を女王に見せる。

序文から、女王が報道に関して抱えている問題について。

英王室スキャンダル報道は女王にとって無益

文中の"un feuilleton"(連続ドラマ)は、«Scandale chez les Windsor»というタイトルから分かるとおり、英国王家のスキャンダル報道のこと。これには関係節"dont elle se passerait volontiers"が付いており、連続ドラマが次のようなものだと説明している。

Elle se passerait de un feuilleton volontiers. (彼女は連続ドラマなしで喜んで済ませるだろう)。

  1. 述語"se passerait"は、イディオム"se passer de ~"(~なしで済ませる)の一部。『プログレッシブ仏和辞典第2版』を読む限り、代名動詞"se passer"にせよ、普通の動詞passerにせよ、「出演する」という意味にはならなさそう。
  2. 述語の時制は条件法現在。条件法の用途はさまざまだが、ここでは文が事実に反する仮定だということを示しているのだろう。女王の生活からその手の報道がなくなることは、まずないのだから。
  3. volontiersは「喜んで、容易に」。Meyer-Stableyならずとも、スキャンダル報道がないほうが女王はせいせいするに違いないと推測したくなるだろう。

英王室スキャンダル報道を女王のもとに届けるマスコミ

文中の"une presse impitoyable"(容赦ないマスコミ)には、関係節"qui lui offre chaque matin au breakfast un nouvel épisode d'un feuilleton"が付いており("un feuilleton"に付いている関係節はここでは省略)、マスコミが次のようなものだと説明している。

une presse impitoyable lui offre chaque matin au breakfast un nouvel épisode d'un feuilleton. (容赦ないマスコミは毎朝の朝食で連続ドラマの新たな回を彼女に提供する。)

ここで注意すべき単語は次の2つ。

  1. 代名詞lui。場合に応じて「彼に、彼女に、それに」のいずれかになる。女王についての文なのだから、ここでは当然「彼女に」。
  2. 述語offre。動詞の原形はoffrirで、意味は「提供する、示す」など。

つまり、マスコミは連続ドラマをわざわざ女王にもたらしている。どういうことなのか。その答えになりそうな文が、第2章「女王の一日」にある。女王夫妻が朝食をとる時間の描写から。

『バッキンガム』P.60:
朝刊は2人の間にある台の上に積み重ねてある。

残念ながら、英国アマゾンではこの部分の原本を読めない。原本を参照せずに新倉真由美の文を信じるのは無謀には違いない。しかし、女王が報道に目を通す時間はどこかにあるはずなので、朝食を取りながら新聞を読むのは自然なことに思える。その新聞に王室批判だの王族の失態だのが書かれていることもあるだろう。20世紀末のイギリスなら、報道が過熱しても不思議はない。

まとめ

原本からは、「見たくもない報道に毎日付き合わされて、女王も大変だ」という同情めいたものが感じられる。Meyer-Stableyだって芸能マスコミの一員だが、イギリスの騒ぎをフランスから見ているため、少しだけ第三者的なのだろう。でも新倉本ではその薄い同情がさらに薄くなった。「女王自ら出演している」では、本人もまんざらでないようにも読める。

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Author:Telperion
バレエへの関心が芽生えたのは2011年1月。その翌月に読んだ『ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影』は、そんな新参の私から見ても、間違いや意味不明な記述が多すぎました。その原因のほとんどが翻訳のひどさだと気づいたことからブログ開設を思い立ち、今は同じ訳者による邦訳本3冊を取り上げています。詳しくはこのブログでしたいこと 第3版をご覧ください。
フランス語の学習を始めたのは『ヌレエフ』に出会う少し前。まだまだ知識は浅く、至らぬところもあるでしょう。お気づきのことはぜひ知らせてください。リンクはご自由に。

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