伝記『ヌレエフ』の翻訳の検討

『ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影』(Bertrand Meyer-Stabley著、新倉真由美訳、文園社)と『ヌレエフとの密なる時』(ローラン・プティ著、新倉真由美訳、新風舎)の誤訳と改変。『バッキンガム宮殿の日常生活』(Bertrand Meyer-Stabley著、新倉真由美訳、文園社)の一部も対象

ダイアナ妃死後の混乱は主に言いたいことではない

『バッキンガム』P.23:
一九九七年のダイアナ妃の死とそれを取り巻いた国民感情は、王国と国民の間の溝を浮き彫りにさせ、君主国に弔鐘を鳴らした。
Meyer-Stabley原本:
Certes, la morte de la princesse Diana l'été 1997 et l'émotion populaire qui l'entoura semblèrent sonner le glas de la monarchie, en soulignant le fossé évident entre la couronne et ses sujets.
Telperion訳:
なるほど、1997年夏のダイアナ妃の死、そしてそれを取り巻いた大衆の心の高ぶりは、王権と臣民の間にある明白な溝をくっきりと見せ、君主制の弔鐘を鳴らすかに思われた。

本題と反例の消失

私にとって、上の新倉真由美の文で最も大きな問題は、certes(なるほど)を抜いたこと。certesは"certes A, mais B"(なるほどAではあるが、Bである)という表現の一部であり、反例Aを出しながらも本題Bを主張するためのもの。ここでの"certes A, mais B"構文は広範囲にまたがるので、まず構文がどのように成り立っているかを見る。

Meyer-Stableyが述べる本題と反例

上で引用した文は、短い段落の後半部分。前半部分を新倉本から引用する。

バッキンガム宮殿に立てこもり、生涯を祖国とウィンザー家に捧げた彼女は、沈着冷静に統治し続けている。

そして最初に引用した文が続き、その後で段落が替わる。その内容は二つに分かれるので、ここでは二つに分けて書く。新倉本には問題が多少あるが、とりあえず引用する。

ウィンザー家は早急にイギリス国民と新たな協定を結び、次世代に何をもたらすことができるか証明する必要に迫られた。国民は馬車や城や財宝や厳格な儀式等に象徴される、古臭い王朝以外のものを求めていた。君主国は社会学的に実社会と断絶しているように見える。皇太子妃の逝去が巻き起こした人びとの悲嘆に満ちた反応は、過去数年間イギリスに起きていた未曾有の大騒動に対し、王国が何も対策を打てなかったことを証明した。
いったん人びとの感情が収まると、いくらかの広報活動を除いては、すべて以前と同じような日々が再開された。数トンに及ぶヴィクトリア時代の石造りの建築に覆われたバッキンガム宮殿とその閉塞的な雰囲気の中で、女王は隔離された世界から抜け出る気にはなれない。

2番めの段落の後半最初の文「いったん人びとの感情が~」は、原本ではこうなっている。注意すべき点は、その冒頭にあるOr(ところが)が新倉本では訳されていないということ。

Or, une fois l'émotion passée, hormis quelques opérations de relations publique, tout a recommencé exactement comme avant.

このorは、"certes A, mais B"構文におけるmais(しかし)の役割を果たす。つまり、原本において反例Aと本題Bは次のとおり。

反例A
ダイアナ妃の死去で英国王室の権威は大きく揺らいだ。
本題B
民の感情が鎮まると、すべては元通りになった。

反例Aの前にある「女王は冷静に統治し続ける」も本題Bと同様の内容なのに注意したい。「女王は冷静に統治し続ける」と書いたMeyer-Stableyは、多分「ダイアナ妃逝去で混乱が起こったばかりではないか」と読者から突っ込まれるのを予期したのだろう(『バッキンガム』原本の出版は2002年)。そこで、「なるほど当時は混乱があった」と譲歩し、その上で「しかし感情が収まったらすべては元通りになった」と続けることで、「女王は冷静に統治し続ける」という記述を補強しているのだ。

新倉本の読みにくさ

新倉真由美がcertesもorも無視した結果、新倉本のこの部分では反対の内容が同列に並ぶだけになっている。だから「女王は冷静に統治し続ける」の直後にいきなり「君主国に弔鐘を鳴らした」が続き、私は「統治し続けているって言ったばかりなのに?」とびっくりしてしまった。原本ならダイアナ妃に関する文の前にcertesがあるため、「ダイアナ妃云々のことはそのうち打ち消されるんだな」と予想でき、動じないで読み続けられるが。

「大雨が降った。運動会は行われた」という文を読むと、私は2つの文の間に「しかし」を入れたくなる。Meyer-Stableyも私と同じ感覚らしく、状況に応じて「しかし」とか「したがって」とかいう接続詞をこまめに入れるので、私には文のつながりが分かりやすい。しかし新倉真由美はそういう言葉に興味がないらしく、原本での使い方をまるで尊重しない。『密なる時』のときすでに「ベッドが1つしかないのを歓迎したプティ」でやらかしているし、『ヌレエフ』での例は挙げきれない。ひどい誤訳の例として挙げるには地味な部類だと思うが、それでも私には読んでいて苦痛。

英国王制は廃止されていない

原文を見ると、「弔鐘を鳴らす」(sonner le glas)の前に「~のように思われた」(semblèrent)がある。つまり、実際には英国の君主制は続き、1997年の騒ぎは弔鐘にならなかったことを、この文の段階でもう示している。しかし新倉真由美はsemblèrentを訳さなかったため、私は読んでいて「英国王制が今も続いているのは明らかなのに、なぜ終わったような言い方をするのだろう?」と変な気になる。死なないうちから弔鐘が鳴り響くことはあるのかも知れないが、原著者が「実際には弔鐘は鳴らなかった」という見解なのだから、それは尊重するべきと思う。

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Telperion

Author:Telperion
バレエへの関心が芽生えたのは2011年1月。その翌月に読んだ『ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影』は、そんな新参の私から見ても、間違いや意味不明な記述が多すぎました。その原因のほとんどが翻訳のひどさだと気づいたことからブログ開設を思い立ち、今は同じ訳者による邦訳本3冊を取り上げています。詳しくはこのブログでしたいこと 第3版をご覧ください。
フランス語の学習を始めたのは『ヌレエフ』に出会う少し前。まだまだ知識は浅く、至らぬところもあるでしょう。お気づきのことはぜひ知らせてください。リンクはご自由に。

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