伝記『ヌレエフ』の翻訳の検討

『ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影』(Bertrand Meyer-Stabley著、新倉真由美訳、文園社)と『ヌレエフとの密なる時』(ローラン・プティ著、新倉真由美訳、新風舎)の誤訳と改変。『バッキンガム宮殿の日常生活』(Bertrand Meyer-Stabley著、新倉真由美訳、文園社)の一部も対象

外部からの訪問者も廊下を通る

『バッキンガム』P.47:
特別秘書官、料理や郵便物を運ぶ人、鍵付きの赤い「レッドボックス」を抱えた小姓たち、その中には各国の大臣からの国家機密書類も入っている。
Meyer-Stabley原本:
secrétaires particuliers, porteurs de plateaux de courrier, pages chargés de ces mallettes fermées à clef qui contiennent les secrets d'État de tel ou tel ministre, ou encore ministres eux-mêmes - sans compter les autres, humbles et puissants qui, pour un motif toujours entièrement justifié, sont convoqués en audience devant Sa Majesté.
Telperion訳:
個人秘書、手紙のトレーの運搬係、鍵をかけられ、あれこれの大臣の国家機密を収めたアタッシェケースを持たされた小姓、さらには大臣自身…他にも、しがない者や有力な者がいる。いつも完全に正当な動機のために、陛下の前での謁見に召集されたのだ。

記事「2本の廊下の名前と用途」で引用した文の続き。廊下を通る人々、新倉真由美が「女王に仕える」と呼んだ人々の具体的な例を挙げている。

Meyer-Stableyが挙げた5つの例

Meyer-Stableyが挙げた例は5つ。分かりやすさのために修飾語を削って並べる。

  1. 最初に個人秘書(secrétaires particuliers)
  2. コンマで区切った後に運搬人(porteurs)
  3. コンマで区切った後に小姓(pages)
  4. コンマで区切り、"ou encore"(またはさらに)の後に大臣自身(ministres eux-mêmes)
  5. ダッシュで区切り、"sans compter"の後に他の人々(les autres)

最後の例の前置きに使われる"sans compter"の文字通りの意味は「~を考慮せずに」。"sans compter que ~(文)"は「~は別にしても、その上~だ」という意味のイディオムなので、queで始まる節を名詞に置き換えた"sans compter ~(名詞)"も、同じように何かを追加で説明する言葉だろう。

新倉真由美が省いた最後の2例

最後の例の"les autres"は2つの語句で修飾されている。

  1. 形容詞"humbles et puissants"(取るに足らなく、力がある)
  2. 関係節"qui, pour un motif toujours entièrement justifié, sont convoqués en audience devant Sa Majesté" (いつも完全に正当な動機のために、陛下の前での謁見に召集される)

このうち、最も重要な特徴は「陛下の前での謁見に召集される」。だから女王の謁見の間につながる廊下を通るのだ。表現全部の意味は呑み込めていないが、謁見するべき正当な動機があれば、身分の上下を問わないという意味ではないかと思う。

4番目の例の大臣も、宮殿の職員に用があるなら部下をよこせば足りる。会う相手が女王だからこそ、自ら出向くのだろう。

新倉真由美が省いた2つの例は、最初の3つの例とは違い、宮殿の職員ではない。特に謁見に呼ばれた人は、謁見がなければ女王と無関係かも知れない。私なら単に女王の求めでやって来るのを「女王に仕える」とは呼ばないが、それは個人の好みの範囲内だろう。新倉真由美の文が気にかかるのは、「女王に仕える」という表現を使うのと同時に、明らかに常勤の職員でない例を省いたこと。おかげで、「女王のために働く」というニュアンスが強まり、「女王に会いに行く」というニュアンスが薄くなっている。

細かいこと

  1. plateauxの基本的な意味は「盆、トレー」。料理のトレーにもなりうるが、ここでは"de courrier"(手紙の)が後に続いているので違う。多分、新倉真由美はcourrierの前のdeをou(または)あるいはet(そして)と読み間違えたのだろうが。
  2. 書類の主である大臣は"tel ou tel ministre"(これこれの大臣)。具体的な明言を避ける表現らしい。必ずしも外国の大臣とは限らず、イギリスの大臣かも知れない。
  3. 書類入りのケースの描写が、Meyer-Stableyと新倉真由美でだいぶ違う。もっとも、イギリスで要人の書類入れを"red box"と呼ぶことはあるようなので(英国王室公式サイトにある女王の一日の説明ページで見かけた)、見かけほどは違わない。

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Author:Telperion
バレエへの関心が芽生えたのは2011年1月。その翌月に読んだ『ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影』は、そんな新参の私から見ても、間違いや意味不明な記述が多すぎました。その原因のほとんどが翻訳のひどさだと気づいたことからブログ開設を思い立ち、今は同じ訳者による邦訳本3冊を取り上げています。詳しくはこのブログでしたいこと 第3版をご覧ください。
フランス語の学習を始めたのは『ヌレエフ』に出会う少し前。まだまだ知識は浅く、至らぬところもあるでしょう。お気づきのことはぜひ知らせてください。リンクはご自由に。

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