伝記『ヌレエフ』の翻訳の検討

『ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影』(Bertrand Meyer-Stabley著、新倉真由美訳、文園社)と『ヌレエフとの密なる時』(ローラン・プティ著、新倉真由美訳、新風舎)の誤訳と改変。『バッキンガム宮殿の日常生活』(Bertrand Meyer-Stabley著、新倉真由美訳、文園社)の一部も対象

緑の客間の歴史と位置

『バッキンガム』P.51:
シャーロット王妃が取り換えたすべての部屋同様、この部屋も王宮の中心にある中庭に面している。
Meyer-Stabley原本:
Tout comme le salon de la reine Charlotte qu'il remplaça, il occupe le centre de la face est de la cour d'honneur.
Telperion訳:
この部屋に取って代わられたシャーロット王妃の客間とまったく同じように、中庭の東の面の中心を占める。

緑の客間(英名は"The Green Drawing Room")の説明。

王妃の部屋は交替で消えた

文中の関係節"qu'il remplaça"を詳しく見てみる。

  1. 関係節が修飾するのは、先行詞"le salon de la reine Charlotte"(シャーロット王妃の客間)。
  2. 関係節の主語il(それ)は、前の文で名が出た"le salon Vert"(緑の客間)。ilは男性名詞の代名詞なので、男性名詞salonの代わりに使われている。
  3. 関係節先頭のqu'は関係代名詞queの略語であり、先行詞が関係節の文の目的語だということを示す。したがって、関係節の文はシャーロット王妃の客間をこう説明している。
    il remplaça le salon de la reine Charlotte. (それはシャーロット王妃の客間に取って代わった)

つまり、かつてシャーロット王妃の客間だった部屋が緑の客間になった。ちなみに、「シャーロット王妃が取り換えた」に当たる関係節は"que la reine Charlotte remplaça"。

別な個所ではもっと妥当な訳なのに

少し前でも、シャーロット王妃と緑の客間について、同じことが書かれている。

『バッキンガム』P.49:
シャーロット王妃のサロンから改名した緑の客間
Meyer-Stabley原本:
le salon Vert (20 mètres de haut) qui a remplacé le salon de la reine Charlotte,

「高さ20メートル」がないが、「サロンに取って代わった」を「サロンから改名した」に言い換えているのは、上の例よりはるかにまとも。もっとも、シャーロット王妃はバッキンガム・ハウスが王室のものになった当初の住人であり(新倉本P.25-26にも書いてある)、バッキンガム・ハウスはその後で長期間かけてバッキンガム宮殿に改装されるので、王妃の客間と緑の客間の違いは名前だけではないだろうが。

交替したのは一部屋

"tout comme ~"は「~とまったく同じように」。緑の客間と同じと言われているのは、commeの後にある"le salon de la reine Charlotte"一室のみ。

toutには「すべての」という意味もあるので、新倉真由美はtoutがその意味で部屋にかかると思ったらしい。しかし「すべての部屋と同様に」に当たるフランス語は"comme toutes les salons"。

緑の客間と中庭の位置関係

"il occupe"から文末までは、英語でいう第三文型(主語 + 述語 + 目的語)に当たる。

主語
il(それ)

ilとは"le salon Vert"のこと。

述語
occupe(~を占める)

動詞occuperの直説法現在形。主語が三人称単数であり、occupeは三人称単数の活用形なので、この文の述語だと分かる。

目的語
le centre de la face est de la cour d'honneur (中庭の東の面の中心)

estは英語のisに相当する述語としてなじみ深い単語。しかしこのestの前にはすでに述語occupeが現れているので、estは述語になり得ない。だから形容詞est(東の)として前の名詞face(面)を修飾していると分かる。

訳文に「東」がないので、あるいは新倉真由美はestを述語と勘違いしたのかも知れない。それだと文の解析が行き詰まるので、centre(中心)と"cour d'honneur"(中庭)を適当に組み合わせ、他の単語を創作で補ったのだろうか。実際に中庭は宮殿に四方を囲まれているので、当てずっぽうとしては悪くない。しかし、この程度の短い原文で当てずっぽうをするのにはびっくりする。

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Telperion

Author:Telperion
バレエへの関心が芽生えたのは2011年1月。その翌月に読んだ『ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影』は、そんな新参の私から見ても、間違いや意味不明な記述が多すぎました。その原因のほとんどが翻訳のひどさだと気づいたことからブログ開設を思い立ち、今は同じ訳者による邦訳本3冊を取り上げています。詳しくはこのブログでしたいこと 第3版をご覧ください。
フランス語の学習を始めたのは『ヌレエフ』に出会う少し前。まだまだ知識は浅く、至らぬところもあるでしょう。お気づきのことはぜひ知らせてください。リンクはご自由に。

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