伝記『ヌレエフ』の翻訳の検討

『ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影』(Bertrand Meyer-Stabley著、新倉真由美訳、文園社)と『ヌレエフとの密なる時』(ローラン・プティ著、新倉真由美訳、新風舎)の誤訳と改変。『バッキンガム宮殿の日常生活』(Bertrand Meyer-Stabley著、新倉真由美訳、文園社)の一部も対象

池が原因で生まれた喜劇

『バッキンガム』P.55:
庭園の一番西側には〈アイトンの泉水〉と呼ばれている小さな池がある。滝もあり、ヴィクトリア時代にはこの辺りで芝居を行っていた。
Meyer-Stabley原本:
À l'extrémité ouest du parc se trouve un petit étang, baptisé « bassin d'Aiton », avec une cascade miroitante, qui donna lieu à une scène comique sous le règne de Victoria.
Telperion訳:
庭園の西端には「エイトンの泉水」と呼ばれる小さな池が、きらきら光る滝とともにある。この池が原因で、ヴィクトリア女王の治世に喜劇的な場面が生まれた。

宮殿の庭の説明より。

仏文解釈

文の最後にある関係節"qui donna lieu à une scène comique sous le règne de Victoria"は、文の主語である"un petit étang"(小さな池)を修飾している。関係代名詞がquiなので、この小さな池は次のようなものだと分かる。

un petit étang donna lieu à une scène comique sous le règne de Victoria. (小さな池は、ヴィクトリアの治世下で喜劇的な場面の原因となった。)

文中で使われている"donner lieu à ~"は、「~を引き起こす、~の原因になる」というイディオム。

なお、文法的には、この関係節は"un petit étang"でなく直前の"une cascade miroitante"(きらきら光る滝)を修飾することもできる。しかしこの場合、後で述べる事情から、滝でなく池だと推測できる。

喜劇的な場面とは

引用した文に続いて、1841年2月のエピソードが語られる。アルバートが池の上でスケートしようとしたら氷が割れ、ヴィクトリアの目の前で池に落ち、泳いで難を逃れたというもの。これこそ、ヴィクトリア治世に起きた喜劇的な場面。池がその原因になったというMeyer-Stableyの記述も充分納得できる。

新倉真由美は「池(または滝)が喜劇の場面の原因になった」を「その辺りで芝居を上演した」と解釈したらしい。しかし、私にはその解釈が妥当には思えない。

  • ある場所で芝居を上演することを「その場所は芝居の原因となった」とは普通言わない。演劇関係者が「ぜひここで芝居を上演しよう」と思い詰めたという可能性がないではないが、単に「芝居を行っていた」と訳している新倉真由美自身、そう考えているように見えない。
  • 庭園の端の小さな池のほとりで芝居を上演するのはとても手間がかかりそう。まして19世紀の英国王室が、そんな斬新なことを習慣的に行うとは信じられない。

コメント

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

プロフィール

Telperion

Author:Telperion
バレエへの関心が芽生えたのは2011年1月。その翌月に読んだ『ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影』は、そんな新参の私から見ても、間違いや意味不明な記述が多すぎました。その原因のほとんどが翻訳のひどさだと気づいたことからブログ開設を思い立ち、今は同じ訳者による邦訳本3冊を取り上げています。詳しくはこのブログでしたいこと 第3版をご覧ください。
フランス語の学習を始めたのは『ヌレエフ』に出会う少し前。まだまだ知識は浅く、至らぬところもあるでしょう。お気づきのことはぜひ知らせてください。リンクはご自由に。

カテゴリ
最新記事
最新コメント
月別アーカイブ
タグ

マーゴ・フォンテーン エリック・ブルーン ノートルダム・ド・パリ パトリック・デュポン マリア・トールチーフ ミック・ジャガー 

全記事表示リンク

全ての記事を表示する