伝記『ヌレエフ』の翻訳の検討

『ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影』(Bertrand Meyer-Stabley著、新倉真由美訳、文園社)と『ヌレエフとの密なる時』(ローラン・プティ著、新倉真由美訳、新風舎)の誤訳と改変。『バッキンガム宮殿の日常生活』(Bertrand Meyer-Stabley著、新倉真由美訳、文園社)の一部も対象

シャンデリア制作者に化けたピアニスト

『バッキンガム』P.50:
アーサー・ルビンスタインが自ら作った数々のシャンデリアは宮殿の中で最も美しい。
Meyer-Stabley原本:
les lustres immenses demeurent les plus beaux du palais. Arthur Rubinstein lui-même s'y produisit.
Telperion訳:
広がるシャンデリアの数々は宮殿で最も美しいものであり続けている。アルトゥール・ルービンシュタインその人がここに姿を現した。

バッキンガム宮殿内の音楽の間(英名は"the Music Room")の説明。

仏文解釈

新倉真由美はどうやら、2番目の原文を"Arthur Rubinstein lui-même les produisit."と混同したらしい。

  1. 文の述語"s'y produisit"で使われている動詞は、代名動詞"se produire"であり、意味は「生じる、現れる、出演する」など。単なる他動詞であるproduire(作り出す)とは違う。
  2. yは「そこに、そこで」などという場所を指す代名詞。この場合は、引用したのより1つ前の文で名指しされた音楽の間を指す。「それを」とか「それらを」とかいう意味ではない。

2番目の原文でシャンデリアは触れられていない。完全に別な文。

ルービンシュタインの素性

ピアノ曲に偏ったクラヲタ歴が長い私にとって、この新倉真由美訳は『ヌレエフ』や『密なる時』にあるどんな「明らかに事実でない文」よりも噴飯もの。アルトゥール・ルービンシュタインは20世紀に活躍したピアニストのなかでも、特に高名な一人なのだから。

2014年現在では、googleでArthur Rubinsteinを検索すると、ルービンシュタインの日本語wikipedia記事がトップに出る。『バッキンガム』が出版された2011年でも、ルービンシュタインを扱うページが上位にずらずら出たはず。たとえインターネット検索がなかった時代でも、音楽の間に来る人間としてまず考えられるのは音楽家だと推測し、クラシック人名事典か何かで正体を知ることはできたろう。

それに、「仏文解釈」で書いたとおり、あの原文に「シャンデリアを作った」という解釈はありえない。たとえRubinsteinについて調べる気がなくても、原文をしっかり読んで「アーサー・ルビンスタイン自身がそこに現れた」にすれば、人名表記は別として、どんな職業の人間にも通用する文になったのに。

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Telperion

Author:Telperion
バレエへの関心が芽生えたのは2011年1月。その翌月に読んだ『ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影』は、そんな新参の私から見ても、間違いや意味不明な記述が多すぎました。その原因のほとんどが翻訳のひどさだと気づいたことからブログ開設を思い立ち、今は同じ訳者による邦訳本3冊を取り上げています。詳しくはこのブログでしたいこと 第3版をご覧ください。
フランス語の学習を始めたのは『ヌレエフ』に出会う少し前。まだまだ知識は浅く、至らぬところもあるでしょう。お気づきのことはぜひ知らせてください。リンクはご自由に。

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