伝記『ヌレエフ』の翻訳の検討

『ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影』(Bertrand Meyer-Stabley著、新倉真由美訳、文園社)と『ヌレエフとの密なる時』(ローラン・プティ著、新倉真由美訳、新風舎)の誤訳と改変。『バッキンガム宮殿の日常生活』(Bertrand Meyer-Stabley著、新倉真由美訳、文園社)の一部も対象

ナンパ相手を襲おうとしているかのような印象操作

『ヌレエフ』P.204:
でもずたずたに引き裂こうとしている獲物に微笑みかける彼には、野獣のような魅力がありました」
Meyer-Stabley原本:
Je lui trouvais le charme du fauve qui sourit à sa poie avant de la déchiqueter. »
Telperion訳:
引き裂く前の獲物に微笑みかける野獣の魅力を彼から感じました」

イラ・フルステンベルクが語るところの、海岸で土地探しにいそしむヌレエフ。この土地探しを新倉真由美が愛人探しにしたことは、「三日月クラシック」の原文比較記事の「P.203-4 彼は日中~」の項にあるとおり。この記事で取り上げるのはそこで引用した文の直後にある。

獲物を引き裂こうとしていたとは限らない

最後の関係詞"qui sourit à sa poie avant de la déchiqueter"(獲物を引き裂く前に獲物に微笑む)はヌレエフでなく、直前の"le fauve"(野獣)を修飾している(fauve直前のduは"de le"の縮約形)。fauveの前に不定冠詞unでなく定冠詞leが付いているのは、単なる一匹の野獣でなく、関係詞の描写によって限定された野獣のことだから。

「彼は獲物を引き裂く前の野獣のようだった」と「獲物を引き裂く前の彼は野獣のようだった」は同じではない。ヌレエフが獲物を引き裂く前の野獣を連想させたからといって、獲物を引き裂こうと考えていたとは限らない。

探す対象がナンパ相手だと誤解したゆえの変な比喩

ヌレエフが探していたのはプライベートビーチにしたい海岸。イラ・フルステンベルクが見たヌレエフは、気に入った海岸を見つけて会心の笑みを浮かべていたのかも知れない。しかし海岸を買うことを「獲物をずたずたに引き裂く」とたとえるのは、どうにも不自然。もし原文のように「ヌレエフは買える海岸を探していた」の後に上記の新倉訳が続いたら、かなり奇妙に見えるだろう。

しかし新倉真由美は前の文を「ヌレエフは遊べる相手を探していた」と誤訳した。その後なら、「ずたずたに引き裂こうとしている獲物に微笑みかける彼」はしっくりくる。欲しい相手と何としても肉体関係を結ぼうとするヌレエフというわけだ。

直前で創作された「愛人探しに血眼なヌレエフ」のイメージを、続くこの部分がさらに強固にしているのは、とても私の気に障る。新倉真由美がヌレエフをことさらに女たらし扱いするのは記事「訳本が招くヌレエフの誤解(8) - 女性関係」で書いたことがあるが、これも根は同じに思える。

更新履歴

2016/5/13
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Author:Telperion
バレエへの関心が芽生えたのは2011年1月。その翌月に読んだ『ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影』は、そんな新参の私から見ても、間違いや意味不明な記述が多すぎました。その原因のほとんどが翻訳のひどさだと気づいたことからブログ開設を思い立ち、今は同じ訳者による邦訳本3冊を取り上げています。詳しくはこのブログでしたいこと 第3版をご覧ください。
フランス語の学習を始めたのは『ヌレエフ』に出会う少し前。まだまだ知識は浅く、至らぬところもあるでしょう。お気づきのことはぜひ知らせてください。リンクはご自由に。

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