伝記『ヌレエフ』の翻訳の検討

『ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影』(Bertrand Meyer-Stabley著、新倉真由美訳、文園社)と『ヌレエフとの密なる時』(ローラン・プティ著、新倉真由美訳、新風舎)の誤訳と改変。『バッキンガム宮殿の日常生活』(Bertrand Meyer-Stabley著、新倉真由美訳、文園社)の一部も対象

ヌレエフの調子を整えるのは古典バレエ

『ヌレエフ』P.221:
彼はクラシックの役とモダンバレエを巧みにミックスする術を心得ていた。
「医者に行くようなものです」
彼は意味ありげに皮肉って言った。
Meyer-Stabley原本:
Il sait doser les rôles classiques – « C'est comme aller chez le médecin », ironisera-t-il – et les ballets modernes, avec un sens stratégique évident.
Telperion訳:
彼は明白な戦略的な感覚を用い、古典の役(当人は「医者に行くのと同じです」と皮肉る)とモダン・バレエを調合することができた。

1970年代にヌレエフがモダンやコンテンポラリーと呼ばれる分野のバレエを取り上げる割合を上げていったことについて。

受診にたとえたのは古典バレエのみ

原本で« C'est comme aller chez le médecin »(「これは医者に行くようなものです」)は、括弧に相当するダッシュのペアに囲まれ、"les rôles classiques"(古典の役)の直後に書かれている。だから「古典の役」の注釈だと分かる。つまり、ヌレエフが取り組んだ古典バレエとモダン・バレエのうち、医者に行くことにたとえられたのは古典バレエだけ。

一方、新倉真由美の訳だと、「医者に行くようなもの」とヌレエフに言われたのは、「クラシックの役とモダンバレエを巧みにミックスする」ことのように読める。「クラシックの役」だけについてのことだと理解するのは、私には無理だった。

ヌレエフはモダンより古典に馴染んできた

なぜヌレエフが「古典の役は医者に行くようなもの」を皮肉として語ったのか。Meyer-Stabley原本では突っ込んで書いていないため、ここから先は完全に私の推測になる。

1960年代のヌレエフが取り組んだのが古典や新古典と呼ばれる分野のバレエであることは、ヌレエフ財団サイトにあるヌレエフの演目リスト(1960年代など)からうかがえる。モダン・バレエの比重を高くしたとはいっても、ヌレエフにとってモダン・バレエを踊ることは、リスクを伴う慣れない挑戦。自分のレベルを維持するために頼れるのは、やはり長年訓練してきた古典なのだろう。多彩な分野で踊ることに意欲的になっても、古典とモダンを等しくこなすことはできないという限界を、ヌレエフは「古典を踊るのは医者に行くようなもの」と表現したのではないだろうか。

慣れない分野の踊りに伴うリスクは他でも言及される

違う分野の踊りに取り組むのが肉体への負担になるという話は、時折耳にする。書籍では次の2冊。

  1. 『バランシン伝』(バーナード・テイパー著、長野由紀訳、新書館)。うろ覚えだが、バリシニコフがバランシンのNYCBを去った理由として、バランシンのレパートリーに深入りするうちに今まで踊れたものが踊れなくなることをバリシニコフが恐れたからだと書いてある。
  2. そして『ヌレエフ』。原著者Meyer-Stableyはバレエの専門的な話にあまり踏み込まないが、ヌレエフのコンテへの挑戦に触れた最初のほうでこう書いている。
    『ヌレエフ』P.218-219:
    クラシック以外の作品へのアプローチには大胆さと慎重さを要した。今までとは違う動きをするためには、鍛えられた筋肉にさらに別の負荷をかけねばならないのは百も承知だ。

ヌレエフの発言は謎かけではない

医者のたとえを言うときのヌレエフは"ironisera-t-il"(彼は皮肉る)とのみ書かれている。訳本の「意味ありげに」は新倉真由美が追加した独自の表現。

私が上に書いた推測が正しい場合、ヌレエフは「慣れない分野の踊りは大変」という事実に基づいて医者のたとえを言っている。聞き手だって踊りについて知っていれば、ヌレエフの言いたいことを理解できるはず。ヌレエフは自分の現状を隠さず話しているのだから、意味ありげな態度だったとは私は思わない。

新倉真由美のヌレエフは、まるで自分の言葉に隠れた意味があることを匂わせているように聞こえる。つまり、「医者に行くようなもの」は謎めいた言葉、ヌレエフが聞き手を戸惑わせるために放った言葉として扱われている。新倉真由美にとってヌレエフの言葉は意味不明なので、相手を煙にまくための言い草だと思って「意味ありげに」という表現を創作したのかも知れない。

丸括弧の過度な排除は誤解につながる

Meyer-Stableyは原本で、直前に書いたことの詳しい説明を丸括弧に囲んで書くことが多い。今回は丸括弧でなくダッシュだが。それに対応する新倉真由美訳では、ほとんどの場合、丸括弧が消える。次の記事にある引用部分はほんの一例。

  1. プティが作品を引き上げたのはベジャールのためではない
  2. ソ連当局による優遇と締め付け
  3. 衣装係が邸宅の監視を依頼されるのは不自然

訳本『ヌレエフ』での丸括弧はだいたいの場合、新倉真由美による独自の注を始めとする語句の説明。長めの文を丸括弧で囲むことは、新倉真由美あるいは文園社が意識的に避けているのだろう。

原本で丸括弧で囲んだ文は訳本でも必ず丸括弧で囲まなければならないとまでは思わない。しかし丸括弧は便利なもので、避けようとすると余計な労力がかかるのは確か。上に挙げた3番目の例は、括弧を外すのが最も易しいが、それですら「衣装係の名前はMeyer-Stableyにとっておまけの情報に過ぎない」というニュアンスが消えている。まして今回や1番目の例の場合、丸括弧を使わずに読者に誤解させない文を書くのはとても難しい。出版側のこだわりを通すこと、読者に原文の意味を確実に伝えること。どちらを優先するかといえば、当然後者だと私は思うのだが。

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Author:Telperion
バレエへの関心が芽生えたのは2011年1月。その翌月に読んだ『ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影』は、そんな新参の私から見ても、間違いや意味不明な記述が多すぎました。その原因のほとんどが翻訳のひどさだと気づいたことからブログ開設を思い立ち、今は同じ訳者による邦訳本3冊を取り上げています。詳しくはこのブログでしたいこと 第3版をご覧ください。
フランス語の学習を始めたのは『ヌレエフ』に出会う少し前。まだまだ知識は浅く、至らぬところもあるでしょう。お気づきのことはぜひ知らせてください。リンクはご自由に。

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