伝記『ヌレエフ』の翻訳の検討

『ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影』(Bertrand Meyer-Stabley著、新倉真由美訳、文園社)と『ヌレエフとの密なる時』(ローラン・プティ著、新倉真由美訳、新風舎)の誤訳と改変。『バッキンガム宮殿の日常生活』(Bertrand Meyer-Stabley著、新倉真由美訳、文園社)の一部も対象

異論を唱えるのでなく唱えられるヌレエフ

『ヌレエフ』P.290:
服従すべき立場であったが芸術上の選択に関しては反対意見も申し立てられる彼は、ベルジェのもとに急いだ。
Meyer-Stabley原本:
Incontesté, mais souvent contestable dans ses choix artistiques, il se heurte à Bergé.
Telperion訳:
異論の対象にはならないが、その芸術上の選択には異議の余地があることが多い彼は、ベルジェと対立した。

パリ・オペラ座を統括することになったピエール・ベルジェがバレエ団の運営をも指図しようとしたことに反発したヌレエフ。

最初にある次の語句2つは分詞構文。主文の主語であるヌレエフについての説明。

  1. Incontesté (異論の対象でない)
  2. mais souvent contestable dans ses choix artistiques (しかし彼の芸術的選択において異論の余地があることが多い)

これらの分詞構文のキーワードである2つの形容詞incontestéとcontestableは、『プログレッシブ仏和辞典第2版』ではこう載っている。

incontesté
異論のない、確定的な
contestable
異論の余地がある、疑わしい

ヌレエフが異論を唱える側なのか、唱えられる側なのか、和訳を読むだけでは分かりづらかったので、ラルース仏語辞典にも当たった。

incontesté
Qui n'est pas contesté
異論の対象でない
contestable
Qui peut être contesté, mis en discussion ; discutable, douteux
異論の対象、議論中になりうる。議論の余地がある、疑わしい

動詞contester(異論を唱える)がどちらの説明でも受動態で使われているので、どちらも異議の対象になるかならないかを示すということがよく分かる。

つまり、分詞構文の意味は、「ヌレエフは(少なくとも今まで)反対されずにいたが、ヌレエフの芸術的選択については疑問の声も存在した」となる。ヌレエフ自身が唱える異議についての話ではない。

「急ぐ」でなく「ぶつかる」

"se heurter à ~"とは「~とぶつかる、対立する」。新倉真由美訳の「~のもとに急いだ」は、何かの単語の見間違えか、その場で適当に想像したかのどちらかに思えてならない。

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Telperion

Author:Telperion
バレエへの関心が芽生えたのは2011年1月。その翌月に読んだ『ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影』は、そんな新参の私から見ても、間違いや意味不明な記述が多すぎました。その原因のほとんどが翻訳のひどさだと気づいたことからブログ開設を思い立ち、今は同じ訳者による邦訳本3冊を取り上げています。詳しくはこのブログでしたいこと 第3版をご覧ください。
フランス語の学習を始めたのは『ヌレエフ』に出会う少し前。まだまだ知識は浅く、至らぬところもあるでしょう。お気づきのことはぜひ知らせてください。リンクはご自由に。

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