伝記『ヌレエフ』の翻訳の検討

『ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影』(Bertrand Meyer-Stabley著、新倉真由美訳、文園社)と『ヌレエフとの密なる時』(ローラン・プティ著、新倉真由美訳、新風舎)の誤訳と改変。『バッキンガム宮殿の日常生活』(Bertrand Meyer-Stabley著、新倉真由美訳、文園社)の一部も対象

ヌレエフの寄与を惜しみなく認めるフォンテーン

『ヌレエフ』P.209:
彼はなすべきすべてをしているように見えました。
Meyer-Stabley原本:
J'ai l'impression de tout lui devoir.
Telperion訳:
すべてを彼に負っているという印象です。

踊りのパートナーとしてのヌレエフについて語るフォンテーン。「彼は私が望むように踊らせる、私自身の最大限を与える」といったことを語った後に続く。

構文解析は単純

直訳は「私はすべてを彼に負うという印象を持っています」。

  • 文中で使われている"devoir A à B"は「AをBに負う」。
  • Aにあたるのがtout(すべて)
  • "à B"にあたるのがlui(彼に)。luiそのものが「彼に」という意味なので、その前に前置詞à(~に)は要らない。

フォンテーンはヌレエフの寄与の大きさを語りたい

"devoir A à B"の難しいところは、「AをBに負う」から転じて「AなのはBのおかげである」という意味にもなること。つまり、「すべてを彼に負う」には次のどちらの解釈もありえる。

  1. 私は彼にすべてを差し出さなければならない
  2. すべては彼のおかげである

ここではどちらを指すのか、私には断定できない。しかし、「彼は私がやりたいように私を踊らせるのです」と「彼はダンサーではない、バレエです」という熱烈な賛辞に挟まれた言葉なのだから、2番目の可能性のほうが高いと思う。

ヌレエフを採点しているようにも見える新倉訳

フォンテーンの動作であるdevoirには「~すべきである」という意味がある。これをヌレエフの動作にした結果が「彼はなすべきことをすべてしている」なのだろう。私がこれを読むと、これだとフォンテーンがパートナーに求める基準をクリアしたというだけで、ヌレエフのおかげで新しい世界が開けたという陶酔には至らないという印象を受ける。

更新履歴

2016/6/17
  • 第2小見出しの下で2番目の解釈に肩入れする
  • 原文と新倉訳の印象の違いに触れる

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プロフィール

Author:Telperion
バレエへの関心が芽生えたのは2011年1月。その翌月に読んだ『ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影』は、そんな新参の私から見ても、間違いや意味不明な記述が多すぎました。その原因のほとんどが翻訳のひどさだと気づいたことからブログ開設を思い立ち、今は同じ訳者による邦訳本3冊を取り上げています。詳しくはこのブログでしたいこと 第3版をご覧ください。
フランス語の学習を始めたのは『ヌレエフ』に出会う少し前。まだまだ知識は浅く、至らぬところもあるでしょう。お気づきのことはぜひ知らせてください。リンクはご自由に。

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