伝記『ヌレエフ』の翻訳の検討

『ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影』(Bertrand Meyer-Stabley著、新倉真由美訳、文園社)と『ヌレエフとの密なる時』(ローラン・プティ著、新倉真由美訳、新風舎)の誤訳と改変。『バッキンガム宮殿の日常生活』(Bertrand Meyer-Stabley著、新倉真由美訳、文園社)の一部も対象

真っ赤になったわけではなさそうなプティ

『密なる時』P.32:
この奇想天外な説明に私は赤面し、それが少しどころではなかったことは神様がご存知だろう。
プティ原本:
Suivirent des explications rocambolesques qui me firent monter le rose aux joues, et Dieu sait s'il en faut plus qu'un peu pour me faire rougir.
Telperion訳:
途方もない説明が続いたために私の頬はピンク色が差し、私を赤面させるために必要なことが少しですむかどうかは神のみぞ知る。

初めてフォンテーンとヌレエフに振付けた「失楽園」の初演前、「今日は3回愛し合ったから今夜の気分は最高」みたいなことをヌレエフに言われたプティ。

構文解釈

引用したうち前半の解釈は新倉真由美とそう違わないので、後半に絞って書く。

  • 神が知ることの内容である"s'il en faut plus qu'un peu pour me faire rougir'の直訳は、「私を赤くするために少しのそれより多いものが必要かどうか」。
    • "il faut A pour B"は「BするにはAが必要だ」。その前にs'が付くことで、「BするにはAが必要かどうか」となる。
    • 「少しのそれより多いもの」に当たる語句は、中性代名詞enと"plus qu'un peu"。たとえば「少しの花より多いもの」なら"plus qu'un peu de fleurs"となる。「花」を「それ」に言い換えると、"de fleurs"がenに言い換えられ、述語fautの前に移動する。
  • "Dieu sait ~(神が~を知る)は文脈によって次のことを表す。
    • 「~なのは間違いない」という断言
    • 「~なのは分からない」という不確かさ
    この場合、後に続くのが「~が必要かどうか」という疑問なので、表すのは不確かさ。

プティが言いたいこと

人を赤面させるために必要なものは、無遠慮さ、はしたなさなどいろいろ考えられる。プティは中性代名詞enを使うことで、具体的には明言せずにすませている。「それ」が何なのかを深く考えずにこの後半の文を読むと、「私が少しのことでは赤面しないかどうかは何とも言えない」と言い換えられると思う。

「ヌレエフが露骨なエロ発言をし、プティが頬を染めた」という文脈を考えると、プティを赤面させるのが易しいかどうかに応じて、プティの内心はこんな感じなのだろう。

  • 赤面させるのが易しい
    私はすぐ赤面する人間なのだから、あんなことを言われたら赤くなるに決まっている。
  • 赤面させるのが易しくない
    私は簡単に赤面しない人間なのに、あまりの言い草に赤くなってしまった。

次のことから、私の考えでは「簡単には赤面しない」のほうがありえそう。

  • 「ヌレエフったらあんなこと言って」という気持ちを強調できる。
  • プティは長年バレエ界で仕事をしてきたのだから、ある程度の奇矯さには慣れているだろう。

プティの赤面の程度

もう一つ、私が「プティを赤面させるのは易しくない」説を取る理由がある。引用した前半でプティが"le rose"(バラ色、ピンク)という言葉を使っていること。後半の一般論ではrougir(赤くなる)という単語を使っているが、実際になった色を表すときは赤でなくピンク。プティの頬が染まったとしても、たかが知れていたのではないだろうか。

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Telperion

Author:Telperion
バレエへの関心が芽生えたのは2011年1月。その翌月に読んだ『ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影』は、そんな新参の私から見ても、間違いや意味不明な記述が多すぎました。その原因のほとんどが翻訳のひどさだと気づいたことからブログ開設を思い立ち、今は同じ訳者による邦訳本3冊を取り上げています。詳しくはこのブログでしたいこと 第3版をご覧ください。
フランス語の学習を始めたのは『ヌレエフ』に出会う少し前。まだまだ知識は浅く、至らぬところもあるでしょう。お気づきのことはぜひ知らせてください。リンクはご自由に。

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