伝記『ヌレエフ』の翻訳の検討

『ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影』(Bertrand Meyer-Stabley著、新倉真由美訳、文園社)と『ヌレエフとの密なる時』(ローラン・プティ著、新倉真由美訳、新風舎)の誤訳と改変。『バッキンガム宮殿の日常生活』(Bertrand Meyer-Stabley著、新倉真由美訳、文園社)の一部も対象

消えた創造者と創造物のたとえ

『密なる時』P.57-58:
ピニョティはフランケンシュタイン博士のように彼を支え、ダンサー特有の問題を克服し調子を上げるのをサポートしていた鎧から、ようやくその肉体を解放した。
プティ原本:
Pignoti tel le docteur Frankenstein libère enfin sa créature de l'armure qui le soutenait et l'aidait à vaincre la difficulté de danser à son rythme survolté.
Telperion訳:
彼を支え、異常に興奮したリズムで踊ることの困難を彼が克服するのを助ける鎧から、フランケンシュタイン博士のようなピニョティは自らの創造物をとうとう解放する。

ヌレエフのマッサージ師ルイジ・ピニョティが、ヌレエフの肉体に巻かれた長い長い粘着テープをはがすさま。

フランケンシュタイン博士は創造者として名高い

プティはピニョティをフランケンシュタイン博士にたとえている。ピニョティが全力を尽くしてヌレエフの肉体をサポートし、その全身脚(2013/11/15修正)を粘着テープでぐるぐる巻きにすることもいとわないさまから、新たな人間を創造するフランケンシュタイン博士を連想したからではないかと思う。フランケンシュタイン博士は人造人間の創造者として名高いのだから、そういう連想をせずにフランケンシュタイン博士の名を出すとは考えにくい。

創造物のたとえ

プティはピニョティがヌレエフの体からテープをはがすのを、「彼の創造物を鎧から解放する」(libère sa créature de l'armure)と呼んでいる。英語のcreatureに比べ、フランス語のcréatureは「(神に)創られたもの」という意味が強い。だからフランス語のcréatureは人間を指す。

この文脈で、「彼の創造物」(sa créature)とは当然ヌレエフ。「彼の創造物」とはピニョティが創り出した人間。「フランケンシュタイン博士のような」と「彼の創造物」は互いに密接に関係する比喩であり、ヌレエフはフランケンシュタイン博士が作った人造人間にたとえられている。

新倉真由美の訳ではぼやけたたとえ

新倉本からフランケンシュタイン博士の比喩を読み取るのは、次の理由から難しくなった。

sa créatureの訳語が「その肉体」
créatureの訳語として「肉体」はありえない。ここでは「創造物」という表現が重要なのに。
「フランケンシュタイン博士のように」の直後が「彼を支え」
まるで「フランケンシュタイン博士のように」が、ピニョティがヌレエフを支える様子の比喩のよう。ただでさえ、「創造物」という表現が消えた時点で、「フランケンシュタイン博士のような」が「新たな人間を造った」という意味だと分かりにくくなったのに。

フランケンシュタイン博士には誰かを支える献身的なイメージはないので。「フランケンシュタイン博士のように支える」は、かなり変な比喩だと思う。

彼を支えるのは粘着テープ

原文で"le soutenait"(彼を支えていた)は、鎧(l'armure)を修飾する長い関係節(qui以降文末まで)の一部。つまり、彼を支えたのは鎧すなわち粘着テープ。新倉真由美の訳だとピニョティのようにも読めるので、明記しておく。もっとも、こういう長い関係節がある文を訳すとき、どの部分がどの部分を修飾しているかを訳文でも明快に反映させるのは骨が折れる作業。紛らわしくても仕方ないかもと思う。

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Telperion

Author:Telperion
バレエへの関心が芽生えたのは2011年1月。その翌月に読んだ『ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影』は、そんな新参の私から見ても、間違いや意味不明な記述が多すぎました。その原因のほとんどが翻訳のひどさだと気づいたことからブログ開設を思い立ち、今は同じ訳者による邦訳本3冊を取り上げています。詳しくはこのブログでしたいこと 第3版をご覧ください。
フランス語の学習を始めたのは『ヌレエフ』に出会う少し前。まだまだ知識は浅く、至らぬところもあるでしょう。お気づきのことはぜひ知らせてください。リンクはご自由に。

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