伝記『ヌレエフ』の翻訳の検討

『ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影』(Bertrand Meyer-Stabley著、新倉真由美訳、文園社)と『ヌレエフとの密なる時』(ローラン・プティ著、新倉真由美訳、新風舎)の誤訳と改変。『バッキンガム宮殿の日常生活』(Bertrand Meyer-Stabley著、新倉真由美訳、文園社)の一部も対象

ストリップ劇場のいかがわしさの微妙な差

『密なる時』P.51:
年端の行かないダンサーたちが観客たちの前で色あせた衣装を1枚1枚はぎとっていき、むくつけき男たちはその様を見ながら膝の上にぶっきらぼうに置かれたレインコートの下の手をせわしなく動かしていた。
プティ原本:
des danseuses sans âge effeuillaient leurs costumes fanés devant un auditoire strictement masculin dont les mains étaient occupées sous leur imperméable négligemment posé sur leurs genoux;
Telperion訳:
年齢不詳のダンサーたちが男性だけの客の前で色あせた衣装をむしり取り、客たちの手は膝の上に無造作に置かれたレインコートの下で忙しくしていた。

ミラノでヌレエフがプティを連れて行ったストリップ劇場にて。

ダンサーが未成年とは限らない

"sans âge"は「年齢不詳の」。プティたちが見たダンサーは、若作りした中年女性という可能性もある。少女のストリップだと、私は経営者どころか観客の人間性も疑いたくなる。そうでない可能性が原文にある場合は、それを尊重したい。

新倉真由美がいうほどうさんくさくない観客

仏和辞書によると、形容詞masculinはこんな言葉。

『プログレッシブ仏和辞典 第2版』より
価値判断を伴わない「男の」の意味ではmasculinが普通。
『ラルース仏語辞典』より
Qui appartient, qui a rapport au mâle, à l'homme
雄、男性に属する、関係がある(Telperion訳)

これを念頭に置くと、「厳密に男の聴衆」(auditoire strictement masculin)とは、客が全員男だったという意味だろう。ストリップ劇場では珍しくもないことでもある。

新倉真由美は"auditoire strictement masculin"を「むくつけき男たち」と訳している。国語辞典によると、「むくつけき」はこんな言葉。

『新明解国語辞典 第5版』より
やさしい所が見えず、何をしでかすか分からない。
『デジタル大辞泉』より
1. 無骨(ぶこつ)である。2. 気味悪い。3. 常軌を逸していて恐ろしい。

「無骨」は女性より男性を形容することが多いとはいえ、「むくつけき」が特に男性らしさを表す言葉かどうかは疑わしい。それに、価値判断を伴わないmasculinの訳語として、マイナスイメージいっぱいの「むくつけき」はふさわしくない。翻訳の時に多彩な言葉を使うのは良いことだろうが、多彩な言葉を使うために原文が置いてきぼりになるのは感心しない。

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Author:Telperion
バレエへの関心が芽生えたのは2011年1月。その翌月に読んだ『ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影』は、そんな新参の私から見ても、間違いや意味不明な記述が多すぎました。その原因のほとんどが翻訳のひどさだと気づいたことからブログ開設を思い立ち、今は同じ訳者による邦訳本3冊を取り上げています。詳しくはこのブログでしたいこと 第3版をご覧ください。
フランス語の学習を始めたのは『ヌレエフ』に出会う少し前。まだまだ知識は浅く、至らぬところもあるでしょう。お気づきのことはぜひ知らせてください。リンクはご自由に。

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