伝記『ヌレエフ』の翻訳の検討

『ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影』(Bertrand Meyer-Stabley著、新倉真由美訳、文園社)と『ヌレエフとの密なる時』(ローラン・プティ著、新倉真由美訳、新風舎)の誤訳と改変。『バッキンガム宮殿の日常生活』(Bertrand Meyer-Stabley著、新倉真由美訳、文園社)の一部も対象

翻訳に由来する新倉本『ヌレエフ』の間違い - ヌレエフ

新倉真由美による『ヌレエフ』の翻訳のせいで、原著者が間違いだらけの文を書いているように見える個所の列挙、第2弾です(第1弾はバレエ一般について)。今回は、以下のすべてを満たす部分を挙げます。

  • 新倉本にあるヌレエフに関する間違った記述
  • 間違っているのは原著者のせいではない
  • 事実が事実であるという裏付けが取りやすい
  • ヌレエフの伝記作者なら正しくはどうなのかを知っていて当たり前だと私が思う

正しくはどうなのかは、リンク先の記事にあります。今回も、※があるのは「三日月クラシック」のミナモトさんによる指摘です。

「三日月クラシック」の怪しい部分まとめ(間違いの説明)と原文比較1(対訳)より
  • P.212 ベジャールがヌレエフとパオロ・ボルトルッチに「さまよえるオランダ人の歌」を振り付けた※
  • P.263 ヌレエフ振付「シンデレラ」は一九三〇年代にハリウッドで戯曲化された作品の改訂版
  • P.282 ヌレエフには姪ビクトルとユーリがいる
  • P.284 1989年にキーロフ劇場でヌレエフが「ラ・シルフィード」を踊ったとき、パートナーはアンナ・イワノワ※
  • P.295 ヌレエフはフレミング・フリンジの「ベニスに死す」に似たバレエを創作した
  • P.304 1992年の「ラ・バヤデール」全幕初演後、ヌレエフは芸術文化部門のレジオンドヌール勲章を授与された
「三日月クラシック」の原文比較2より
  • P.186 ヌレエフとロバート・トレイシーはヌレエフ逝去まで仲が良かった
「三日月クラシック」の原文比較3より
  • P.14 ヌレエフの2番目の姉はラジダ、3番目の姉はリリア
  • P.73-74 1960年にヌレエフはモスクワでエリック・ブルーンの舞台を直接見た
  • P.97 亡命時にフランスの出入国検査官もしくは検察官がヌレエフを援護した
「三日月クラシック」の原文比較5より
  • P.285 ヌレエフは1983~84年にHIV陽性になった
このブログより

とても短い一覧

上に挙げたうちからさらに厳選するなら、次の3つ。

「さまよえるオランダ人の歌」
「さすらう若者の歌」は2003年からしばらくの間イレールとルグリが踊っていたし、1980年代の「Nureyev and Friends」には欠かせなかったと思われる演目なのに。
「シンデレラ」
「三日月クラシック」のまとめ記事に怒りのコメントを寄せたとおりです。
ヌレエフがバレエと出会ったいきさつ
ヌレエフが初めて見たバレエに魅了されたあまりにダンサーを志すというのは、ヌレエフを知る人には有名なエピソードでしょう。創作かと思いたくなるほど劇的な出来事。訳本では「公演を見る前からしょぼいとはいえバレエは見て踊っていた」。でも最初のバレエはやはり、地方のバレエ団とはいえ美しい公演であってほしいです。

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Telperion

Author:Telperion
バレエへの関心が芽生えたのは2011年1月。その翌月に読んだ『ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影』は、そんな新参の私から見ても、間違いや意味不明な記述が多すぎました。その原因のほとんどが翻訳のひどさだと気づいたことからブログ開設を思い立ち、今は同じ訳者による邦訳本3冊を取り上げています。詳しくはこのブログでしたいこと 第3版をご覧ください。
フランス語の学習を始めたのは『ヌレエフ』に出会う少し前。まだまだ知識は浅く、至らぬところもあるでしょう。お気づきのことはぜひ知らせてください。リンクはご自由に。

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