伝記『ヌレエフ』の翻訳の検討

『ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影』(Bertrand Meyer-Stabley著、新倉真由美訳、文園社)と『ヌレエフとの密なる時』(ローラン・プティ著、新倉真由美訳、新風舎)の誤訳と改変。『バッキンガム宮殿の日常生活』(Bertrand Meyer-Stabley著、新倉真由美訳、文園社)の一部も対象

独立宣言を聞いて内心は逆だと感じたプティ

『密なる時』P.54:
ある日ヌレエフはマーゴのことを「僕は彼女と永遠に踊っていくつもりはない。僕は自立すべきだし、さもなければ彼女が年を重ねていった時、僕はいったい何をしていけばよいのだろう」と言った。彼はいかなる束縛も望んでいなかったが、その神々しいばかりのパートナーには非常に強く惹かれていた。
プティ原本:
Rudolf: « I will not dance with her for ever. I have to be independent or what will I do when she is older*. » Le monstre parlait de Margot. Il ne voulait aucune contrainte, et pourtant il était très attaché à sa divine partenaire.
* « Je ne dansereai pas avec elle toute ma vie. Je dois être indépendant, sinon que faire quand elle sera plus âgée. »
Telperion訳:
ルドルフ曰く、「彼女といつまでも踊りはしない。独立しなければならない、そうしなければ彼女が年を取ったら僕はどうすればいい(英語)」。怪物はマーゴのことを話していたのだ。彼はいかなる束縛も望まなかったが、それでも自分が神から授かったパートナーには強い愛着を抱いていた。

ヌレエフの言葉だけを読むと、「マーゴは今のパートナーというだけだ」と言いたげに見える。しかしそれを聞いたプティの感想は、「束縛嫌いなルドルフにとっても、マーゴは別格」。一見不思議な反応に思える。なぜだろうか。

ヌレエフが不意にマーゴの話をしたかのような原本

プティ原本では、まずヌレエフの発言が来て、次にヌレエフがフォンテーンのことを話していると明かされる。「彼女って誰?…ああ、フォンテーンか」と一瞬疑問を持たせる説明になっている。私の考えでは、この一瞬の疑問は当時のプティが本当に感じたことではないだろうか。つまり、プティが「ヌレエフはマーゴのことを話している」と理解したのが、ヌレエフの言葉を聞いた後。いきなりフォンテーンの話をされ、しかも彼女といえばマーゴなのは自明だと言わんばかりの話し方をされれば、「ルドルフにとってマーゴの存在は非常に大きい」とプティが推測したくもなるだろう。

最初からマーゴの話をしているかのような新倉本

一方、新倉真由美の文では、「ルドルフがマーゴの話をした」と最初に説明した。そのため、2人がフォンテーンについて話したときにルドルフが上の発言をしたような印象を受ける。その場合、ヌレエフがフォンテーンのことを話したという説明自体は何ら異例でないため、最も目立つのはヌレエフの発言内容。その後で「彼はマーゴには非常に惹かれていた」とプティに言われると、少なくとも私は「フォンテーンに依存しないという宣言を聞いて、なんで感想がそれなわけ?」と当惑する。

原本と訳本は一文ずつの意味は同じで、文の順番が変わっているに過ぎない。プティの文と新倉真由美の文を読んで私が考えたことが、大多数の読者も考えることだとまでは断言できない。でも語順は文章の印象を左右する大事な要素。原著者の文の書き方を翻訳でむやみに変えないほうがいいと思う。今回のような場合は、原文をそのまま訳すのは簡単であり、新倉真由美の書き換えのほうが書きやすいとか分かりやすいとかいう要素は私には感じられない。

更新履歴

2015/2/25
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Author:Telperion
バレエへの関心が芽生えたのは2011年1月。その翌月に読んだ『ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影』は、そんな新参の私から見ても、間違いや意味不明な記述が多すぎました。その原因のほとんどが翻訳のひどさだと気づいたことからブログ開設を思い立ち、今は同じ訳者による邦訳本3冊を取り上げています。詳しくはこのブログでしたいこと 第3版をご覧ください。
フランス語の学習を始めたのは『ヌレエフ』に出会う少し前。まだまだ知識は浅く、至らぬところもあるでしょう。お気づきのことはぜひ知らせてください。リンクはご自由に。

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