伝記『ヌレエフ』の翻訳の検討

『ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影』(Bertrand Meyer-Stabley著、新倉真由美訳、文園社)と『ヌレエフとの密なる時』(ローラン・プティ著、新倉真由美訳、新風舎)の誤訳と改変。『バッキンガム宮殿の日常生活』(Bertrand Meyer-Stabley著、新倉真由美訳、文園社)の一部も対象

映画「ヴァレンティノ」ラストのオレンジ

間違いとまでは言わないものの、原本と訳本の間にある差異に気づいたことが、この記事を書くきっかけとなりました。まずその部分を引用します。

『ヌレエフ』P.242:
この映画の最後には、ヴァレンチノが決して手に入れられなかった穏やかな幸福の象徴としてオレンジが登場するが、彼のオレンジはなんだったのだろう? イタリアの恋人ヴァレンチノは、オレンジ畑を買って引退することを夢見ていたらしい。
Meyer-Stabley原本:
Quelle est son orange à lui, ce symbole du bonheur tanquille que l'on voit, à la fin du film, échapper à jamais des mains de Valentino (toute sa vie, paraît-il, l'Italian lover rêva d'acheter une orangeraie et de s'y retirer...).
Telperion訳:
彼のオレンジ、映画の終わりでヴァレンティノの手から永遠に逃れていくのが見られるこの平穏な幸福の象徴とは何なのか(どうやら生涯を通じて、「イタリアの恋人」はオレンジ園を買ってそこに隠居することを夢見ていたらしい…)。

新倉真由美訳の「ヴァレンチノが決して手に入れられなかった」に当たるMeyer-Stableyの原文は"échapper à jamais des mains de Valentino"(ヴァレンティノの手から永遠に逃れる)。さらに、この語句が"l'on voit"(不特定の人が見る)と組み合わさり、「永遠に逃れるのを不特定の人が見る」という意味になることから、ヴァレンティノからオレンジが逃げる場面は、目に見える具体化された映像らしいと推測できます。

オレンジの登場の仕方

映画「ヴァレンティノ」の終わりでオレンジがどのように登場するか、私が2つの描写から想像したことを書きます。

新倉真由美の描写から受ける印象
  • 本筋の場面と無関係にオレンジの画像がフラッシュバックのように現れる
  • エンドクレジットの背景
Meyer-Stableyの描写から受ける印象
  • ヴァレンティノがオレンジを取り落とす
  • ヴァレンティノがオレンジに手を伸ばすが、届かない

Meyer-Stableyは「ヴァレンティノの手から逃れるのが見られる」とはっきり書いている以上、オレンジはヴァレンティノのすぐそばにあったはず。本当にそうだったのだろうか、気になる…見られたらいいんだけど…そういえばYouTubeにあったはず…見つけた!

そんなわけで、映画のラストだけ見るなんて行儀が悪いとは思いながらも、確認してしまいました。確かに、手から永遠に逃れ去りましたね、オレンジ。オレンジをもてあそんだヴァレンティノが倒れ、転がるオレンジから目を離さないまま目を閉じるのでした。

Meyer-Stalbeyはどこでオレンジのことを知ったのか

それにしても、Meyer-Stableyはさらっとラストを描写していますが、「ヴァレンティノ」のラストは大して知られていないでしょうね。オレンジのことまで書くほど詳しいあらすじ紹介は、なかなかないだろうと思います。

Meyer-Stableyの参考文献の中に、"BLAND (Alexander),Noureev-Valentino,Paris, Le Chêne, 1977"があります。ナイジェルとモードのゴスリング夫妻がペンネームで書いた本。恐らく原題を尊重し、英語やイタリア語の書籍タイトルではNureyevと書くMeyer-Stableyが、ここではNoureevというフランス語表記なのに注目です。しかも出版社がパリのLe Chêne。恐らくフランス語版ですね。外国のヌレエフ関連本がフランスで出版し直されるのはほとんどなさそうなのに、これが出版されるとは驚きです。ゴスリング夫妻なら、綿密に場面を説明しても不思議はありません。多分この本がオレンジの出典だと私は考えています。

映画の映像を見た可能性もありますね。2003年当時にDVDの普及がどうだったかは覚えていませんが、ビデオテープだったとしても、ざっと見るくらいはできそうです。もし実際に見ていたとしたら、そのまめさに感動します。

新倉真由美訳について

新倉真由美は別の個所で、"à jamais"(永遠に)を"ne ~ jamais"(決して~ない)と取り違えています(「三日月クラシック」の原文比較2より「P.186 彼らの関係に~」。だからここでも「決して~なかった」という表現を使っているのを見ると、「また取り違えているのかな」と疑ってしまいます。しかし、同時に"échapper des mains"(手から逃れる)を「手に入れる」と訳したために、文全体としては「永遠に手から逃れる」に対して「決して手に入れられない」という、それほどかけ離れていない意味になったのではないかと。

原文の直訳を正しく理解した上であえて「決して手に入れられない」にした可能性はあります。ただ、私自身が実際の情景を浮かべられるのはMeyer-Stableyの描写なので、この場合はそれを尊重したほうがよかったかと思います。

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Author:Telperion
バレエへの関心が芽生えたのは2011年1月。その翌月に読んだ『ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影』は、そんな新参の私から見ても、間違いや意味不明な記述が多すぎました。その原因のほとんどが翻訳のひどさだと気づいたことからブログ開設を思い立ち、今は同じ訳者による邦訳本3冊を取り上げています。詳しくはこのブログでしたいこと 第3版をご覧ください。
フランス語の学習を始めたのは『ヌレエフ』に出会う少し前。まだまだ知識は浅く、至らぬところもあるでしょう。お気づきのことはぜひ知らせてください。リンクはご自由に。

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