伝記『ヌレエフ』の翻訳の検討

『ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影』(Bertrand Meyer-Stabley著、新倉真由美訳、文園社)と『ヌレエフとの密なる時』(ローラン・プティ著、新倉真由美訳、新風舎)の誤訳と改変。『バッキンガム宮殿の日常生活』(Bertrand Meyer-Stabley著、新倉真由美訳、文園社)の一部も対象

ラコットがヌレエフに付き添うことの長所と短所

『ヌレエフ』P.95:
ルドルフと一緒にいる限りトランジットまで行くことはできないだろう。
Meyer-Stabley原本:
Tant qu'il restera avec Rudolf, ils ne l'emmèneront pas en transit. Mais en restant avec lui il ne peut rien tenter.
Telperion訳:
ルドルフと共にいる限り、彼がトランジットに連れて行かれることはない。しかし彼と共にいながらでは、何も企てることができない。

ヌレエフがソ連に送還されようとしている現場に居合わせ、ヌレエフがトランジットに連れ去られるのを阻止しようと決意したピエール・ラコット。これを新倉真由美が「ヌレエフをトランジットに連れて行かなくてはならない」という正反対の意味に訳したことについては、記事「トランジット行きは救済ではなく破滅」で述べた。

ヌレエフを連れて行かないのはKGB

原文第1文の直訳は、「彼がルドルフとともにいる限り、彼らは彼をトランジットに連れて行かないだろう」。先ほど触れた記事の部分に続き、新倉真由美はここでも「彼ら」をラコットやその仲間だと思っている。しかし、「ラコットがルドルフとともにいる限り、ラコットたちは彼をトランジットに連れて行かない」は奇妙な文。ヌレエフをトランジットに連れて行くときにラコットが一緒にいてはいけない理由はないのだから。

別記事の部分と同じく、「彼ら」がKGBなどソ連当局の人間だとすれば、原文は理に叶った文になる。ラコットがヌレエフと別れるまでは、KGBはヌレエフを連れて行くのを延ばすということだ。

ラコットがヌレエフと共にいると不利な点もある

新倉真由美が訳さなかった第2文の直訳は、「しかし、彼とともにいる間は、彼は何も試みることができない」。文冒頭の「しかし(mais)」に注意したい。前の文では、ラコットがヌレエフとともにいることでヌレエフが受ける恩恵について書いている。ならその後「しかし」で続くこの文は、ラコットがヌレエフとともにいることの不利な点を述べていると推測できる。実際、ラコットがヌレエフとともにいる限り、ラコットはヌレエフとともにKGBに注視され続ける。下手な行動をすれば、たちまち妨害されるだろう。

つじつま合わせのような原文改変

新倉真由美は「彼ら」とはラコットやその友人たちのことだと解釈している。そして同時に、周辺の原文にさまざまな改変をしている。

  1. 「トランジットに連れて行ってはならない」を「トランジットに連れて行かなくてはならない」にする。
  2. 「トランジットに連れて行かないだろう」を「トランジットまで行くことはできないだろう」にする。
  3. 「しかし彼とともにいると何もできない」という文を消す。

不注意につぐ不注意という可能性もあるが、「彼らとはラコットたちのことである」という仮説に邪魔な原文を片っ端から消していったのではないかと疑いたくなる頻度。しかし、ここまで原文を変える前に、そうしなければ成り立たない仮説を疑うべきだと思う。

更新履歴

2016/5/11
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Telperion

Author:Telperion
バレエへの関心が芽生えたのは2011年1月。その翌月に読んだ『ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影』は、そんな新参の私から見ても、間違いや意味不明な記述が多すぎました。その原因のほとんどが翻訳のひどさだと気づいたことからブログ開設を思い立ち、今は同じ訳者による邦訳本3冊を取り上げています。詳しくはこのブログでしたいこと 第3版をご覧ください。
フランス語の学習を始めたのは『ヌレエフ』に出会う少し前。まだまだ知識は浅く、至らぬところもあるでしょう。お気づきのことはぜひ知らせてください。リンクはご自由に。

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