伝記『ヌレエフ』の翻訳の検討

『ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影』(Bertrand Meyer-Stabley著、新倉真由美訳、文園社)と『ヌレエフとの密なる時』(ローラン・プティ著、新倉真由美訳、新風舎)の誤訳と改変。『バッキンガム宮殿の日常生活』(Bertrand Meyer-Stabley著、新倉真由美訳、文園社)の一部も対象

トランジット行きは救済ではなく破滅

『ヌレエフ』P.95:
ルドルフをトランジットまで連れて行かなくてはならない。そこは中立のゾーンで、彼に対し誰も何もできなくなるからだ。
Meyer-Stabley原本:
Il ne faut pas qu'ils emmènent Rudolf en transit : là, il serait en zone neutre et personne ne pourrait plus rien pour lui.
Telperion訳:
ルドルフをトランジットに連れて行かれてはならない。そこでは彼は中立地帯にいて、もう彼のために誰も何もすることができないのだから。

ヌレエフがソ連に送還されると知り、どうするべきか必死に考えるピエール・ラコット。

ラコットはヌレエフをトランジットに行かせたくない

第1文の直訳は「彼らがルドルフをトランジットに連れて行ってはならない」。"Il ne faut pas que ~"(~してはならない)と"ils emmènent Rudolf en transit"(彼らがルドルフをトランジットに連れて行く)が結合している。

  • ヌレエフをトランジットに連れて行こうとしているのは「彼ら(ils)」。
  • ラコットはヌレエフがトランジットに行くのを止めたい。新倉本の「連れて行かなくてはならない」とは正反対。

連れて行こうとしているのはKGB

新倉真由美はヌレエフを連れて行く「彼ら」(ils)をラコットやその友人たちだと見なしたらしい。しかし、ラコットたちはロンドンに発つヌレエフを見送りに来たのであり、ヌレエフをどこかに連れて行こうとはしていない。この状況でヌレエフを連れて行こうとしているのは、ソ連行きの飛行機に乗せたがっているKGB職員。

トランジットではヌレエフの不利になる

ラコットの考えの理由である"personne ne pourrait plus rien pour lui"を「彼に対し誰も何もできなくなる」と訳すことは可能。前置詞pourにはさまざまな意味があるのだから。しかし、その前に異論の余地なく「トランジットに行かせてはならない」とあるのだから、その理由は「トランジットに行くとこういう不利な事態になる」とならなければならない。だからここでのpourは、「~に対し」でなく「~のために」と解釈しなければ、この部分全体の意味が通らない。

おまけ - KGBもヌレエフもトランジットに用はないはずでは

フランス語のtransitは日本語のトランジットと同様、目的地に行く途中で別な国の空港に立ち寄ることを指すらしい。ヌレエフはパリから出発しようとしており、トランジットのために空港にいるのではない。なのになぜトランジットに連れて行くとか行かないとかいう話になるのか、私には分からない。

強いて推測するなら、ラコットのような見送り客が立ち入れない区域のことを便宜上トランジットと呼んでいるのかも知れない。この場合の中立とは、ソ連寄りでもフランス寄りでもないということだろう。国に出入りする人間しか入れない区域は普通のフランス領土とは違うという感覚なのかも知れない。

更新履歴

2016/5/11
分かりやすさを目指して大幅に書き直し

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Telperion

Author:Telperion
バレエへの関心が芽生えたのは2011年1月。その翌月に読んだ『ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影』は、そんな新参の私から見ても、間違いや意味不明な記述が多すぎました。その原因のほとんどが翻訳のひどさだと気づいたことからブログ開設を思い立ち、今は同じ訳者による邦訳本3冊を取り上げています。詳しくはこのブログでしたいこと 第3版をご覧ください。
フランス語の学習を始めたのは『ヌレエフ』に出会う少し前。まだまだ知識は浅く、至らぬところもあるでしょう。お気づきのことはぜひ知らせてください。リンクはご自由に。

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