伝記『ヌレエフ』の翻訳の検討

『ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影』(Bertrand Meyer-Stabley著、新倉真由美訳、文園社)と『ヌレエフとの密なる時』(ローラン・プティ著、新倉真由美訳、新風舎)の誤訳と改変。『バッキンガム宮殿の日常生活』(Bertrand Meyer-Stabley著、新倉真由美訳、文園社)の一部も対象

同行者が訪問先を間違える?

『密なる時』P.85:
彼は家族との再会や子供時代を過ごしたキーロフ劇場の訪問に深く感動したとのことだった。
プティ原本:
Il est très ému de retrouver sa famille, de revoir le Kirov, le théâtre de son enfance.
Telperion訳:
彼は家族と再会し、少年時代の劇場であるキーロフを再訪して、とても心を動かされた。

1987年にヌレエフがソ連に家族に会うために一時帰国したとき同行したロッシュ=オリヴィエ・メーストルから聞いた話を書いているプティ。原文のここだけ読むと、これはメーストルの談話とも、それを聞くプティの説明とも取れる。一方、新倉真由美は「とのことだった」と追加したので、メーストルの談話にしか見えない。

実は、この文がメーストルの語りをそのまま写したものでないということは、「キーロフを再び見る」から分かる。実際にはこの旅行でヌレエフが行ったのは、飛行機の乗り継ぎに使ったモスクワ、そして最終目的地のウーファだけだったのだから。一時帰国で見た劇場とはウーファのオペラ座。ウーファに縁がないプティの頭の中で、そこの劇場が名高いキーロフ劇場にすり替わっても不思議はない。しかしヌレエフに同行したメーストルが、ウーファのオペラ座とレニングラードのキーロフ劇場を取り違えるとは考えられない。だからこの文はプティ自身による説明なのだろう。

なお、キーロフを子供時代の劇場(le théâtre de son enfance)と呼んだのも、同じくプティがウーファを知らないゆえの勘違いに見える。ウーファで育ったヌレエフがキーロフに初めて来たのは17歳、すでにenfanceと言える歳ではないのではなかろうか。

あいまいな原文の場合、私は「プティがそう思ったんだろう、勘違いしても無理もない」ですませている。しかし、旅行の件で信頼性の高い証言を出せる立場のメーストルの話として、明らかに間違った「キーロフ劇場の訪問」が出てくるのは、かなり変だと思う。私はヌレエフの伝記を読むとき、「これは事実か、それとも誰かの推測か」とか「こう言ったのは誰か、その人の言うことは信頼できるのか」にはかなり神経をとがらせている。ヌレエフについて言われていることを全部信じようとすると収拾がつかなくなるせいだが、この場合に限らず、「誰がそれを言ったのか」は重要なことだと思う。それに関する情報を変えてほしくない。

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Author:Telperion
バレエへの関心が芽生えたのは2011年1月。その翌月に読んだ『ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影』は、そんな新参の私から見ても、間違いや意味不明な記述が多すぎました。その原因のほとんどが翻訳のひどさだと気づいたことからブログ開設を思い立ち、今は同じ訳者による邦訳本3冊を取り上げています。詳しくはこのブログでしたいこと 第3版をご覧ください。
フランス語の学習を始めたのは『ヌレエフ』に出会う少し前。まだまだ知識は浅く、至らぬところもあるでしょう。お気づきのことはぜひ知らせてください。リンクはご自由に。

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