伝記『ヌレエフ』の翻訳の検討

『ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影』(Bertrand Meyer-Stabley著、新倉真由美訳、文園社)と『ヌレエフとの密なる時』(ローラン・プティ著、新倉真由美訳、新風舎)の誤訳と改変。『バッキンガム宮殿の日常生活』(Bertrand Meyer-Stabley著、新倉真由美訳、文園社)の一部も対象

思いやりあふれるのはジジでなくヌレエフ

『密なる時』P.36:
情熱的なジジはこのスーパースターとの共演を非常に享受し、彼に合ったゆったりした雰囲気づくりに成功し、それはこの思いやりあふれるダンサーの魅力を余すところなく際立たせた。普通ヌレエフはパートナーとして組むことを決める前には厳しいテストを行うのだが、
プティ原本:
Zizi passionée s'amusait beaucoup avec le monstre, elle avait réussi à créer sur le plateau un climat détendu propre à faire ressortir le charme attentionné du danseur qui en général mettait ses partenaires durement à l'épreuve avant de se décider à les accompagner;
Telperion訳:
熱狂したジジは怪物とともに大いに楽しみ、彼の思いやりある魅力を引き立たせるのにぴったりのリラックスした雰囲気を、首尾よく舞台の上に醸し出した。彼は相手になろうと決める前にパートナーを厳しく試すのが普通だが、

ヌレエフとジジ・ジャンメールが「若者と死」の収録に向けて稽古中のとき。

ダンサーという言葉のあいまいさ

訳の間違いではないが、あいまいさは気になるので書いておく。

新倉本を読むと、思いやりあふれるダンサーがジジのことかヌレエフのことか、迷いが残る。原文では「ダンサーの思いやりある魅力」(le charme attentionné du danseur)でdanseuse(女性ダンサー)でなくdanseur(男性ダンサー)が使われているので、ヌレエフのことだと分かる。「男性ダンサー」は訳文に入れるにはいささかくどいので、私の訳では単に「彼」にしてみた。

新倉本では、danseurを修飾する関係節(quiから文末まで)の意味「パートナーと組むことを決める前に厳しく試す」がヌレエフのこととして訳されている。新倉真由美自身は、思いやりあふれるダンサーが誰のことか、正しく把握しているのだろう。

ヌレエフをmonstreと呼ぶ真意

これまた新倉訳が不適切なわけではないが、短い記事なのでついでに書き留めておく。

プティはこの本でヌレエフをよくmonstre(怪物)または"monstre sacré"(聖なる怪物)と呼ぶ。新倉真由美は『密なる時』ではこれらを「スーパースター」と訳すことが多い。フランス語で"monstre sacré"が規格外れの大スターという意味なのを踏まえてのことだと思う。

しかしプログレッシブ仏和辞典やラルース仏語辞典を読む限り、monstre(怪物)は人を指すときには非難として使うらしい。プティがヌレエフをmonstreと呼ぶとき、"monstre sacré"の短縮形として畏敬の意を込めているのか、それとも苦々しさを込めているのか。プティはヌレエフに対してどちらの気持ちも持っているから、第三者がどちらか断言するのは不可能だろうが、気にはなる。「怪物とともに楽しみ」には、「あの扱いにくいルドルフと仲良くなるとは」という意味がこもっているのかも知れない。

更新履歴

2014/9/24
散漫な書き方だったので推敲

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Telperion

Author:Telperion
バレエへの関心が芽生えたのは2011年1月。その翌月に読んだ『ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影』は、そんな新参の私から見ても、間違いや意味不明な記述が多すぎました。その原因のほとんどが翻訳のひどさだと気づいたことからブログ開設を思い立ち、今は同じ訳者による邦訳本3冊を取り上げています。詳しくはこのブログでしたいこと 第3版をご覧ください。
フランス語の学習を始めたのは『ヌレエフ』に出会う少し前。まだまだ知識は浅く、至らぬところもあるでしょう。お気づきのことはぜひ知らせてください。リンクはご自由に。

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