伝記『ヌレエフ』の翻訳の検討

『ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影』(Bertrand Meyer-Stabley著、新倉真由美訳、文園社)と『ヌレエフとの密なる時』(ローラン・プティ著、新倉真由美訳、新風舎)の誤訳と改変。『バッキンガム宮殿の日常生活』(Bertrand Meyer-Stabley著、新倉真由美訳、文園社)の一部も対象

尽きることがない悲しみの勝手な創作

『密なる時』P.100:
ロンドンではモード・ゴスリングが彼の名を口にしては、ずっと尽きることのない悲しみに付きまとわれていた。
プティ原本:
à Londres Maude Gosling est omniprésente dès que le nom du danseur est prononcé.
Telperion訳:
ロンドンではダンサーの名が発せられたとたんにモード・ゴスリングが至る所に現れる。

モード・ゴスリングはヌレエフの生涯にわたる親しい友人の一人。この文はヌレエフ亡き後の彼女の行動について述べている。

モードは何にも付きまとわれてはいない

"Maude Gosling est omniprésente"は「モード・ゴスリングはあらゆる場所にいる」。omniprésenteには「絶えず付きまとう」という訳語もあるが、この訳語を採用するとしても、モードは付きまとう主体。何かに付きまとわれてはいない。

新倉真由美はomniprésenteを「絶えず付きまとう」でなく「絶えず付きまとわれる」に読み替えたらしい。しかし原文にはモードに付きまとうものの描写が当然ないので、原文にない「ずっと尽きることのない悲しみ」なる概念を創作し、それがモードに付きまとっていることにしている。

ヌレエフの名を口にするのはモードに限らない

普通の人間であるモードが本当にあらゆる場所にいるはずがない。モードが現れるのは、"dès que le nom du danseur est prononcé"(ダンサーの名が発音されたらすぐ)という条件が満たされた時。「ダンサーの名が発音される」は受動態であり、誰がヌレエフの名を発音するのかは明示されていないことに注意してほしい。

ヌレエフが話題になるすべての場所にモードが現れるのも、厳密にはやはり不可能なこと。この文を単なる文法解釈でなく、プティの真意まで含めて解釈するのは難しい。私の推測では、「ダンサーの名が発音される」とは、どこかで大々的にヌレエフが話題になるイベントが開かれることだと思う。『密なる時』原書が出版された1998年当時、そういうイベントはすでに何度も開かれていたはず。そのたびにモードが駆けつけるということなら、実現可能性が高くなる。

更新履歴

2014/9/24
仏文解釈と新倉真由美の解釈の説明を分ける
2017/8/5
小見出しを導入

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Author:Telperion
バレエへの関心が芽生えたのは2011年1月。その翌月に読んだ『ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影』は、そんな新参の私から見ても、間違いや意味不明な記述が多すぎました。その原因のほとんどが翻訳のひどさだと気づいたことからブログ開設を思い立ち、今は同じ訳者による邦訳本3冊を取り上げています。詳しくはこのブログでしたいこと 第3版をご覧ください。
フランス語の学習を始めたのは『ヌレエフ』に出会う少し前。まだまだ知識は浅く、至らぬところもあるでしょう。お気づきのことはぜひ知らせてください。リンクはご自由に。

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