伝記『ヌレエフ』の翻訳の検討

『ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影』(Bertrand Meyer-Stabley著、新倉真由美訳、文園社)と『ヌレエフとの密なる時』(ローラン・プティ著、新倉真由美訳、新風舎)の誤訳と改変。『バッキンガム宮殿の日常生活』(Bertrand Meyer-Stabley著、新倉真由美訳、文園社)の一部も対象

ダンサーだったのはヌレエフでなくケン・ラッセル

『ヌレエフ』P.232:
しかし結局彼はこのイギリス人監督が映画“イサドラ”を製作したことと彼自身がダンサーだったのを考慮しその申し出を受けた。
Meyer-Stabley原本:
Mais il finit par dire oui, en songeant à I'Isadora déjà réalisée par l'Anglais et au fait que Russell a été danseur.
Telperion訳:
しかし、このイギリス人がもう監督していた「イサドラ」、そしてラッセルがかつてダンサーだったことを考え、ついに引き受けた。

1970年代半ばにヌレエフがケン・ラッセル監督「ヴァレンティノ」の主演要請を受けたことについて。

彼自身とは誰のことか、私には確定できず、原文を読むまで「ダンサーであるイサドラ・ダンカンの映画を撮ったラッセルをダンサーであるヌレエフが尊重したのか? それともラッセルがダンサーだったのか?」と迷い続けてしまった。原文ではダンサーだったのはラッセルだと明記してある。

原文で「彼はついに承諾した」(il finit par dire oui)の時制は直説法現在、「ラッセルがダンサーだった」(Russell a été danseur)の時制は直接法複合過去。ラッセルがダンサーだったのは、ヌレエフの承諾より前の出来事だということが、時制の違いから分かるようになっている。

ケン・ラッセルのダンサー歴

英インディペンデント紙の訃報記事より

prior to becoming a dancer with the Ny Norsk Ballet in 1950,

その後で1950年にNy Norsk Balletでダンサーになり、(Telperion訳)

英テレグラフ紙の訃報記事より

For five years he attended dance school and toured with dance troupes, before finally accepting that he was not a good dancer.

5年間ダンス学校に通い、ダンス・カンパニーとツアーし、その後でとうとう、自分が良いダンサーでないことを受け容れた。(Telperion訳)

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Author:Telperion
バレエへの関心が芽生えたのは2011年1月。その翌月に読んだ『ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影』は、そんな新参の私から見ても、間違いや意味不明な記述が多すぎました。その原因のほとんどが翻訳のひどさだと気づいたことからブログ開設を思い立ち、今は同じ訳者による邦訳本3冊を取り上げています。詳しくはこのブログでしたいこと 第3版をご覧ください。
フランス語の学習を始めたのは『ヌレエフ』に出会う少し前。まだまだ知識は浅く、至らぬところもあるでしょう。お気づきのことはぜひ知らせてください。リンクはご自由に。

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