伝記『ヌレエフ』の翻訳の検討

『ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影』(Bertrand Meyer-Stabley著、新倉真由美訳、文園社)と『ヌレエフとの密なる時』(ローラン・プティ著、新倉真由美訳、新風舎)の誤訳と改変。『バッキンガム宮殿の日常生活』(Bertrand Meyer-Stabley著、新倉真由美訳、文園社)の一部も対象

用途が不明確な手紙に署名?

『密なる時』P.78:
あれからほぼ20年を経た今、私はどうしてあるひとりの著名な振付家にかかわり、あのように愚かなことをする話に乗せられてしまったのかと自問自答することがある (注9)。彼が私に差し出した1通の手紙はすっかり書き終えられており、すでに最終的なチェック済みであった。あとは新聞の最終版用に印刷を待つだけという段階で、欠けていたのは私の署名だけだった。私がサインさえすればその振付家と連名になり、すみやかに封がされ発送されてしまうのだろうか。
プティ原本:
Je me pose la question aujourd'houi presque deux décennies plus tard, comment ai-je pu me laisser embarquer par un chorégraphe de renom à cosigner avec lui une lettre qu'il me présenta terminée, bouclée comme pour la dernière édition du journal, et à laquelle il ne manquait plus que ma signature, ce qui fut fait, la lettre étant aussi sec cachetée et expédiée ?
Telperion訳:
ほぼ20年経った今、私は自分に問いかける。ある名高い振付家に巻き込まれ、見せられた手紙に共に署名するのを許すことが、どうして私にできたのか? 手紙は最後まで書かれ、新聞の最終版用であるかのように封をされ、私の署名だけが欠けており、それは行われ、手紙はただちに封印され発送された。

ベジャールとプティが1986年にヌレエフを攻撃する連名の公開書簡を発表したことについて。『Temps Liés avec Noureev』出版は1998年なので、ほぼ20年(presque deux décennies)というほど前ではないが。この文は『ヌレエフ』P.261でも、語尾を「である」から「です」に変えただけで、そのまま引用されている。

プティの自問の内容は、"comment ai-je pu me laisser embarquer par un chorégraphe de renom à cosigner avec lui une lettre"(彼と共に手紙に署名することにより、ある名高い振付家に巻き込まれるがままになることが、どうして私にできたのか)。最後のlettre(手紙)に続く"qu'il me présenta terminée, bouclée comme pour la dernière édition du journal, et à laquelle il ne manquait plus que ma signature"(終えられ、新聞の最終版用であるかのように封をされた状態で彼が私に見せ、私の署名だけが欠けていた)は、手紙を修飾している。ここまでは新倉真由美の訳は私とそれほど違わない。

疑問文の語句がすべて疑問だとは限らない

手紙の説明の後に来る"ce qui fut fait"(行われたこと)は、すぐ前に言ったことの言い換え。恐らく直前の署名と思うが、「巻き込まれるのを許した」という文全体かも知れない。前に書いたことを「~であること」と呼ぶことで、「それは~であった」という感想を述べるのは珍しくない用法で、Meyer-Stabley著『Noureev』にもよく見られる。

そして最後の"la lettre étant aussi sec cachetée et expédiée"は、英語でいう独立分詞構文(主文の主語と分詞の主語が異なる分詞構文)に当たる。分詞構文の意味合いは場合によって変わるので断定は難しいが、「手紙がただちに封印され発送されるために」とか、「手紙がただちに封印され発送されるという結果が伴った」とかいう意味だろう。

プティが「どうして~できたのだろうか」と自分に問いかけたことの内容は、手紙の長い説明を含めても、"comment ai-je ~ ma signature"で終わる。つまり、プティの疑問は「どうして巻き込まれるままになることが私にできたのか」だけ。「行われたこと」と「手紙が封印され発送され」は行われたことに関する補足説明。原文で2つの補足説明の後に疑問符があるのは、この2つは疑問そのものではなくても疑問文の一部であり、疑問符は疑問文全体の最後に付けるというルールのせい。

私が訳本から受けた違和感

新倉真由美の文によると、プティは手紙に署名した時、署名された手紙が発送されることになるのを確信していない。まるでベジャールが手紙を差し出すとき、「この手紙に署名してくれ、わけは聞くな」と言ったかのよう。ベジャールがそんな強引な方法でプティに署名を求めたとは考えにくく、実際には手紙の内容や目的を説明したと考えるのが自然。プティは「私がサインすればこの手紙は発送され、公開されるのだ」と思ったかも知れないが、「発送されてしまうのだろうか」という疑問は抱かなかったと思う。

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Author:Telperion
バレエへの関心が芽生えたのは2011年1月。その翌月に読んだ『ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影』は、そんな新参の私から見ても、間違いや意味不明な記述が多すぎました。その原因のほとんどが翻訳のひどさだと気づいたことからブログ開設を思い立ち、今は同じ訳者による邦訳本3冊を取り上げています。詳しくはこのブログでしたいこと 第3版をご覧ください。
フランス語の学習を始めたのは『ヌレエフ』に出会う少し前。まだまだ知識は浅く、至らぬところもあるでしょう。お気づきのことはぜひ知らせてください。リンクはご自由に。

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