伝記『ヌレエフ』の翻訳の検討

『ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影』(Bertrand Meyer-Stabley著、新倉真由美訳、文園社)と『ヌレエフとの密なる時』(ローラン・プティ著、新倉真由美訳、新風舎)の誤訳と改変。『バッキンガム宮殿の日常生活』(Bertrand Meyer-Stabley著、新倉真由美訳、文園社)の一部も対象

指揮者の本分

『ヌレエフ』P.299:
指揮は単に拍子をとったり指示するだけでなく、演奏に彼個人の色をもたらす。
Meyer-Stabley原本:
Diriger, ce n'est pas seulement battre la mesure et donner les départs mais c'est aussi apporter sa couleur personnelle à une interprétation,
Telperion訳:
指揮とは拍子を取ってスタートを切るだけではなく、演奏に独自の色をもたらすことでもあり、

指揮者の活動を始めたヌレエフへのジェラール・マノニの批判から。"donner les départs"の直訳は「始まりを与える」。donnerには「伝える」という意味もあり、曲を始める合図を送ることだと推測できる。それなら指揮者の仕事のうち最も簡単と言ってよく、拍子を取るのと同様、素人にもできる指揮者の動作としてふさわしい。

その指揮者ならではの演奏をオーケストラにさせることが指揮の肝心な点であることは、マノニの言うとおり。指揮者はそれを実現するために、リハーサルのときオーケストラに様々な指示を出す。本番で棒を振るのには、その指示をオーケストラに思い出させる側面がある。本番で初めて指揮者が現れて棒を振ったところで、開始や速度を伝えるのがせいぜいで、指揮者が曲に抱くイメージをオーケストラが細かく音に具体化するのはまず無理。だから指示こそが指揮者の最も重要な役目であり、それに比べれば棒振りの役目は軽い。『ヌレエフ』のマノニは指示を「指揮はそんな易しいことだけではない」と鼻であしらっているが、指揮者の指示を馬鹿にするなんて、バレエが主分野とはいえ音楽と縁の深い業界に長くいるジャーナリストの発言とは思えない。

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Author:Telperion
バレエへの関心が芽生えたのは2011年1月。その翌月に読んだ『ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影』は、そんな新参の私から見ても、間違いや意味不明な記述が多すぎました。その原因のほとんどが翻訳のひどさだと気づいたことからブログ開設を思い立ち、今は同じ訳者による邦訳本3冊を取り上げています。詳しくはこのブログでしたいこと 第3版をご覧ください。
フランス語の学習を始めたのは『ヌレエフ』に出会う少し前。まだまだ知識は浅く、至らぬところもあるでしょう。お気づきのことはぜひ知らせてください。リンクはご自由に。

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