伝記『ヌレエフ』の翻訳の検討

『ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影』(Bertrand Meyer-Stabley著、新倉真由美訳、文園社)と『ヌレエフとの密なる時』(ローラン・プティ著、新倉真由美訳、新風舎)の誤訳と改変。『バッキンガム宮殿の日常生活』(Bertrand Meyer-Stabley著、新倉真由美訳、文園社)の一部も対象

プティが作品を引き上げたのはベジャールのためではない

『ヌレエフ』P.260-261:
“ノートルダム・ド・パリ”事件以来二年間ヌレエフと冷戦状態にあったローラン・プティに助けを求めた。この振付家はオペラ座のレパートリーから彼のすべての作品を引き上げるよう要求した。
Meyer-Stabley原本:
et appelle à la rescousse Roland Petit, en froid avec Noureev depuis deux ans à cause d'un Notre-Dame de Paris problématique (le chorégraphe français a demandé que tous ses ballets soient retirés de l'affiche de l'Opéra).
Telperion訳:
ローラン・プティの助けを求めた。プティは疑わしい「ノートルダム・ド・パリ」が原因で2年間ヌレエフと冷戦状態だった(このフランスの振付家はオペラ座のポスターから自作のバレエをすべて引き上げるように要求していた)。

1986年にヌレエフとベジャールが衝突したとき。上の文を読むと、このときプティはベジャールに呼応して自作を引き上げたと考えるのが自然だろう。しかし原文の次の2点から、プティはベジャールに助けを求められる前に自作の引き上げを要求していたことが分かる。

  1. 「助けを求めた」(appelle)の時制は直説法現在、「要求した」(a demandé)の時制は直説法複合過去。つまり、プティが要求したのはベジャールが助けを求めたより前。
  2. 引き上げ要求についての文は、プティとヌレエフの冷戦状態に関する部分の直後に括弧で囲まれて書かれている。つまり、引き上げ要求は冷戦状態の補足説明。

この文以外で引き上げ要求について分かる資料

『Nureyev:His Life』(Diane Solway著)
『ヌレエフとの密なる時』(ローラン・プティ著、新倉真由美訳)
これらの本によると、1983年にプティの「ノートルダム・ド・パリ」をヌレエフが踊った後で二人は仲たがいし、プティが自作をパリ・オペラ座から引き上げた。
『ヌレエフ』巻末の「ヌレエフがパリ・オペラ座に招聘した振付家」リスト
プティの名は1988-1989シーズンでのみ出ている。ヌレエフが監督に就任した1983-1984シーズンですでに、プティはパリ・オペラ座とは断絶状態だったことがうかがえる。

更新履歴

2014/1/17
主に箇条書きの導入による書き換え

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Author:Telperion
バレエへの関心が芽生えたのは2011年1月。その翌月に読んだ『ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影』は、そんな新参の私から見ても、間違いや意味不明な記述が多すぎました。その原因のほとんどが翻訳のひどさだと気づいたことからブログ開設を思い立ち、今は同じ訳者による邦訳本3冊を取り上げています。詳しくはこのブログでしたいこと 第3版をご覧ください。
フランス語の学習を始めたのは『ヌレエフ』に出会う少し前。まだまだ知識は浅く、至らぬところもあるでしょう。お気づきのことはぜひ知らせてください。リンクはご自由に。

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