伝記『ヌレエフ』の翻訳の検討

『ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影』(Bertrand Meyer-Stabley著、新倉真由美訳、文園社)と『ヌレエフとの密なる時』(ローラン・プティ著、新倉真由美訳、新風舎)の誤訳と改変。『バッキンガム宮殿の日常生活』(Bertrand Meyer-Stabley著、新倉真由美訳、文園社)の一部も対象

男性から女性のものになったバレエ

『ヌレエフ』P.161:
本来バレエは男性だけのものだったが、ルイ十四世の治世下で宮廷は女性を求め、マリー・タリオニはロマン主義のプリマバレリーナとして成功を収めた。
Meyer-Stabley原本:
Le ballet, à l'origine, était exclusivement masculin. Sous Louis XIV, en passant de la cour à la ville, il fait appel à des femmes et l'époque romantique voit avec Marie Taglioni le triomphe de la prima ballerina.
Telperion訳:
バレエは初め男性だけのものだった。ルイ14世のもとで、宮廷から都市に移行するとき、バレエは女性に訴えかけ、ロマン時代にマリー・タリオーニによってプリマ・バレリーナが勝利した。

バレエで女性が求められたのは宮廷の外

第2文で主文の主語、つまり「女性に訴えかけた」(fait appel à des femmes)のはil(それ)。次の理由から、この代名詞が指すのはバレエ。

  • ilは男性名詞の代名詞なので、女性名詞のcour(宮廷)を指すのではない。ilの前にある男性名詞はballetと"Louis XIV"だけ。
  • ilは主文の主語なので、ジェロンディフ"en passant de la cour à la ville"(宮廷から都市に移るとき)の主語でもある。宮廷から都市に移るのだから、ルイ14世ではない。

バレエが女性に呼びかけたのは、宮廷で生まれたバレエが平民の間で広がるときなのだから、女性を求めたのは宮廷よりむしろ市街のバレエ。

ルイ14世の宮廷で活躍したのは男性ダンサー

フランスのバレエを発展させる原動力となったのは、ルイ14世の後援だというのが定説。フランスのバレエの当初の場所であり、バレエが男性のものだったのは、ルイ14世の宮廷だろう。

Meyer-Stabley原本の参考文献でもある『The Magic of Dance』の邦訳本『バレエの魅力』(マーゴ・フォンテーン著、湯河京子訳、新書館)を読むと、こんなことが書いてあり(P.302~308)、男性ダンサーが大活躍だったことがうかがえる。

  • 20代の頃のルイ14世は自ら踊るのが大好きだった
  • 当時ダンスール・ノーブルやドゥミ・キャラクテールなどの区分けができた
  • ダンサー、ジャン・バロンがルイ14世に寵愛された
  • プロの女性ダンサーが現れたのは男性ダンサーより後だった

女性ダンサー優位時代を打ち立てたマリー・タリオーニ

プリマ・バレリーナの台頭に関する"l'époque romantique voit avec Marie Taglioni le triomphe de la prima ballerina"の直訳は「ロマン時代はマリー・タリオーニによってプリマ・バレリーナの勝利を見た」。

  • 「ある時や場所(ここではロマン時代)が~を見た」とは、「~が起こった」という意味のフランス語独特の言い回し。
  • マリー・タリオーニの前にある前置詞avecは手段を表す。つまり、プリマ・バレリーナの勝利を起こしたのがタリオーニ。

実際、『バレエの魅力』P.259~260には、タリオーニが確立したポワントでの踊りをサポートするために男性の負担が増え、男性自身の踊りがおろそかにされるようになったと書いてある。つまりタリオーニは女性ダンサー優位時代を作る立役者とされている。

しかし新倉真由美の訳だと、タリオーニはすでにできた女性優位時代を謳歌しただけとも受け取れる。これはタリオーニの過小評価。

2014/1/27
箇条書きの増加をもとに書き換え

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Author:Telperion
バレエへの関心が芽生えたのは2011年1月。その翌月に読んだ『ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影』は、そんな新参の私から見ても、間違いや意味不明な記述が多すぎました。その原因のほとんどが翻訳のひどさだと気づいたことからブログ開設を思い立ち、今は同じ訳者による邦訳本3冊を取り上げています。詳しくはこのブログでしたいこと 第3版をご覧ください。
フランス語の学習を始めたのは『ヌレエフ』に出会う少し前。まだまだ知識は浅く、至らぬところもあるでしょう。お気づきのことはぜひ知らせてください。リンクはご自由に。

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