伝記『ヌレエフ』の翻訳の検討

『ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影』(Bertrand Meyer-Stabley著、新倉真由美訳、文園社)と『ヌレエフとの密なる時』(ローラン・プティ著、新倉真由美訳、新風舎)の誤訳と改変。『バッキンガム宮殿の日常生活』(Bertrand Meyer-Stabley著、新倉真由美訳、文園社)の一部も対象

一つになったプティとヌレエフ

『密なる時』P.101:
私たちが行っていたのは共演以外の何ものでもなかった。
プティ原本:
nous ne faisions plus qu'un dans notre complicité.
Telperion訳:
私たちは暗黙の了解のうちにもはや一心同体になっていた。
『密なる時』の最終章「1997年10月10日」で描かれるのは、ヌレエフの死後数年を経て、プティの夢とうつつのはざまで陶酔のうちに共に踊るプティとヌレエフ。

『密なる時』最終章への私の思い入れ

私がかつてあるブログで『密なる時』の紹介記事を読んだとき、最も胸を打たれたのがここだった。その後しばらく(数年?)忘れていたのだが、ヌレエフについて調べていて『ヌレエフとの密なる時』という書名が目に入ったとき、「ヌレエフってあの、死んだ後で振付家と踊ったダンサーだったのか!」という形で思い出したくらい。だからこの章については、いつもより少し厳格に、原本と訳本の相違に触れておきたい。

本題

仏和辞書でunを引くと分かるのだが、"ne faire qu'un"は「一体である」というイディオム。原文は"nous ne faisions qu'un"(私たちは一体となっていた)を2つの語句が修飾している。

  1. plus(もはや)
  2. dans notre complicité(私たちの暗黙の了解のうちに)

"ne faire qu'un"の成り立ち

"ne faire qu'un"の直訳は、faireの訳語をどうするかに応じて「一つしか作らない」とか「一つしかしない」とかになる。"ne A plus que B"(もはやBしかAでない)という表現を使っている。

大事なのは、「しか」の前に来る語句が名詞un(1つ)だということ。unは冠詞にもなるが、そのためには後ろに名詞句が続かなければならない。ところがここでunの後に続く"dans notre complicité"は、前置詞で始まるので名詞句ではない。だからunは単独で名詞となる。「complicitéしか」でなく「一つしか」だということの意味は大きい。

更新履歴

2014/6/22
"ne faire qu'un"の成り立ちについて加筆

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Telperion

Author:Telperion
バレエへの関心が芽生えたのは2011年1月。その翌月に読んだ『ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影』は、そんな新参の私から見ても、間違いや意味不明な記述が多すぎました。その原因のほとんどが翻訳のひどさだと気づいたことからブログ開設を思い立ち、今は同じ訳者による邦訳本3冊を取り上げています。詳しくはこのブログでしたいこと 第3版をご覧ください。
フランス語の学習を始めたのは『ヌレエフ』に出会う少し前。まだまだ知識は浅く、至らぬところもあるでしょう。お気づきのことはぜひ知らせてください。リンクはご自由に。

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