伝記『ヌレエフ』の翻訳の検討

『ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影』(Bertrand Meyer-Stabley著、新倉真由美訳、文園社)と『ヌレエフとの密なる時』(ローラン・プティ著、新倉真由美訳、新風舎)の誤訳と改変。『バッキンガム宮殿の日常生活』(Bertrand Meyer-Stabley著、新倉真由美訳、文園社)の一部も対象

デュポンの声明に辛辣さはあるのか

以前記事「パリ・オペラ座との関係は監督辞任直後は冷え気味」で、Meyer-Stableyは当時のデュポンに「辛辣さがないわけではない」と書いていることを述べました。それなら、その直後に引用されるデュポンの声明には、その心情がにじみ出ているはずです。なのに訳本ではしごく穏当にヌレエフを立てているのが不自然なので、原文にあたったのですが、私の読解力ではデュポンの意図を解きほぐすことはできませんでした。それでも、構文解析くらいはできるし、訳本と原本の間にはやはり違いが見られるので、原本と訳本の比較だけでも書いておくことにしました。

『ヌレエフ』P.294:
「我々は国際的に認められ厳守されている条件に従い、無条件にスケジュールに従いはしませんが、ヌレエフ氏をいつでも歓迎します。この偉大な芸術家はダンサーの倫理観を啓発しました。それを愚弄するつもりはありません」
Meyer-Stabley原本:
« M. Noureev est le bienvenu, mais à des conditions internationalement reconnues et respectées, non soumises au bon vouloir de son emploi du temps. Ce grand artiste a imposé sur le marché une éthique du danseur, ce n'est pas pour la bafouer. »
Telperion訳:
「ヌレエフ氏を歓迎しますが、国際的に認められ尊重され、氏のスケジュールの熱意には従わない条件のもとでです。この偉大な芸術家は市場にダンサーの倫理を負わせ、それは倫理を愚弄するためではありません」

前半で強調したいのは

最初の文で、まず"M. Noureev est le bienvenu,"(ヌレエフ氏は歓迎される人物です)と言ってから、mais(しかし)の後で条件云々と続けているのは、注意すべきと考えます。以前に記事「ヌレエフが生まれた年のソ連」で、"Certes A, mais B"(なるほどAではあるが、Bである)という譲歩の構文について触れました。certesがなくても、発言者が本当に言いたいのは、「しかし」の前より後にあることが多いというのは、いろいろな文を読んで感じることです。ここでの「歓迎しますが」はヌレエフに注文を付けるのを和らげるための前置きであり、本題は「国際的に認められた条件のもとで」に見えます。「パリ・オペラ座で仕事をするなら、自分のスケジュール優先はやめてもらいます」ということでしょうか。残念ながら、"bon vouloir de son emploi du temps"(彼のスケジュールの熱意)の解釈には困りますが。

後半は直訳だけで手いっぱい

構文解析が最も面倒なのは、最後の文"ce n'est pas pour la bafouer"(これはそれを愚弄するためでない)。文中のla(それ)はbafouer(愚弄する)の目的語であり、女性名詞を指す代名詞。この文の単語のうち、女性名詞はéthique(倫理)だけです。主語である代名詞ce(これ)は、前の文の内容を指すために使われることはしばしばあるので、私はその前の文の内容だと解釈しました。しかし確実ではありません。それにこの文でデュポンが何を言いたいのか、読み取るのは私にはお手上げです。

その前の文"Ce grand artiste a imposé sur le marché une éthique du danseur"(この芸術家はダンサーの倫理を市場に負わせた)で、danseur(ダンサー)は定冠詞が付いた単数形なので、ヌレエフ1人のことです。どうやらヌレエフが自分の倫理を市場に負わせたと言いたいようです。しかし倫理を負わせるというのがどういう意味なのかは分かりません。

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Author:Telperion
バレエへの関心が芽生えたのは2011年1月。その翌月に読んだ『ヌレエフ 20世紀バレエの神髄 光と影』は、そんな新参の私から見ても、間違いや意味不明な記述が多すぎました。その原因のほとんどが翻訳のひどさだと気づいたことからブログ開設を思い立ち、今は同じ訳者による邦訳本3冊を取り上げています。詳しくはこのブログでしたいこと 第3版をご覧ください。
フランス語の学習を始めたのは『ヌレエフ』に出会う少し前。まだまだ知識は浅く、至らぬところもあるでしょう。お気づきのことはぜひ知らせてください。リンクはご自由に。

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